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これほどまでに不完全な自分を痛感するのは。

私という人生をかけて一番悩んで一番考えて、これで良かったのかと自問自答するもの。

それが育児である。

大袈裟かもしれないが、自分ではない人間たちと真剣に向き合うというのは、並大抵のことではない。


寒い。昨年末に築何十年かの古い一軒家に引っ越した。隙間風は吹くし、建て付けも悪く隙間が開いている。

その上、アンペアが低く、すぐ電気がとんでしまうため、電力が大きい家電を併用できない。(上げればいいだけなのだけど、、、)

今、オランジェット用のオレンジをオーブンにかけているため、エアコンもこたつも付けられない。

寒い。そして一人で考える。


子供たちが3人でお風呂に入っていた。その途中で下の娘の泣き叫ぶ声が聞こえていた。喧嘩はいつものことである。夕飯の支度を中断する余裕もなかったので、放っておいた。その後、お風呂から上がってきて、極度に寒がる上の二人から訴えがあった。何があったかよくわからないが、おそらく下の娘の、よくある、何かが気に入らないわがまま。なぜか寒いお風呂から出るな、と言われたという。(我が家は前述の通り、お風呂も極寒)

そんなわがままな妹は放っておいて勝手に出ればいいじゃん、と思うことだろう。私もそう言った。風邪でもひいたほうが大変である。

しかし、上の二人の言い分はこうである。

何を言っているか分からないので対処のしようがない。無理やり出ようとすると泣き叫ぶので、近所迷惑になる。ママにも迷惑がかかる。

泣いて訴えるのである。小4の男子2人が。

実はこの家に引っ越してきたのは、アパートの下の階の人からの”うるさい”という苦情からの嫌がらせを受けていて、それから逃れるためだ。

私がそれに苦しんでいたことを子供たちはよく知っているし、私は常に静かにするように怒っていたし、とにかく家族全員が音に過敏になっていた。気を付けていても、おもちゃを1回落としてしまったらインターホンを鳴らされる。顔を合わせれば怒鳴られる。

だから引っ越してきた今も、近所に迷惑をかけることを必要以上に気にしてしまって、寒さより、私を呼ぶより、妹を黙らせることにしか頭がまわらなかったのである。

「ママにも聞こえてた?聞こえてたら近所の人にも聞こえてるよね?」

また住むところがなくなっちゃう、ママが困る、そう思っているのだ。


私はどうしてあげたらいいんだろう。

とりあえず下の娘のわがままはキツめに注意し、兄たちに謝るよう促した。明らかに自分の非を認めてる様子の娘はいつになく素直で口答えしなかった。

うちの子たちには、ひとり親であることからたくさん我慢もさせているし、たくさん頼って助けてもらっている。特に上の二人には、お手伝いもそうだし、妹のこともよく見てもらっている。

言いたいことを言えない時も、もしかしたら多いかもしれない。それでも今のところ反発は少ないし、とても素直だと思う。

私がそうさせているのかな、と。

常にそれは葛藤。

この生活はこの生活で、きっとこの子たちの人生の役に立つ。ずっと満たされる人生なんてないのだから。

と思える日もあれば

子供の時くらいもっとのびのびさせてあげたい、私が離婚さえしなければ、もっと手も目もかけてあげられたら、、、

と自分を責める日もある。

今日だって祝日だったのに、私は仕事でたいしてかまってあげられなかったから娘はご機嫌斜めだったのかな、とか。


答えが出ない。考えても考えても答えは出ない。正解もない。

でも考えて悩んで考えて。反省して、自分を鼓舞して、また落ち込んで。そうやって毎日毎日を積み重ねる。どんなに意味がなくともそれを辞めたらだめだ。諦めたらだめなのだ。

寒い部屋で、自分でも理由の分からない涙を流しながら、また考える。こんなにも自分以外の人間について考えることになるなんて。


私の背負った荷物はとてつもなく重い。一人の肩には背負いきれないほどだ。

けれど、絶対に絶対に下ろせない荷物。

そして世界で一番、私の背中を温かくしてくれる荷物。

愛だけは、この大きな愛だけは伝わってるといいな。

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