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ARTのよもやま話

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アートというより「art」に関するよもやま話。Copyright©Susie Y. All rights reserved.
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#美術史

ちょっとしたアートのテスト 〜 答えあわせ

昨日の続き。 昨日のテストで、お見せした画像と記事にもう一度、お付き合いいただければ幸いだ。 こちらの作品は、《ニューヨークのクーロス》(紀元前590年〜580年)。 アッティカ地方で出土されたと推定されている。現在、米国・ニューヨークのメトロポリタン美術館(*)に所蔵されている(CC0)。 さて、昨日、この作品の画像と共に下記のようにおたずねした。 試してみていただきたいことがある。上の作品の画像を見た時、どのくらいの大きさに見えるだろうか。ご自分の脳の中で想像して

ちょっとしたアートのテスト

現代アートに過去のアートは必要ない。。のだろうか。

アートの知識は、見えないものを見えるようにしてくれることもある

アートを鑑賞する方法は、自分が楽しければ何でも良い。 とはいえ「知識は鑑賞の邪魔」と最近巷でよく聞こえてくる。 鑑賞するために、知識はそんなに悪者なのだろうか。 例えば、ミケランジェロの専門家が膨大な資料の中から、当時の領収書を1枚1枚調べて、ミケランジェロの顧客、契約内容を調べる。一見、無駄な努力なようだが、その結果「システィーナ礼拝堂の壁画は、当時の教皇ユリウス2世が注文した」という事実が、浮かび上がってくる。 つまり、キャプションや美術書を通して我々が読んでいる

美術を鑑賞する作法 「美術史は、ツールだ」

先日、以下のnoteを書いた。 上記のnoteで取り上げた『自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 』(2020年、ダイヤモンド社)の著者である末永幸歩氏は、美術史が我々に提供する知識(の一部)である「背景知識」について同書で次のように述べている。以下同書より引用する。 アート思考の本質は、たくさんの作品に触れたり、その背景知識を得たりして、「教養」を身につけることにはありません。 上記の著者の説明から「作品の背景知識を得る=美術史を学ぶ」と読み取るならば、

「アート思考」と知識の関係について一考

先日のnote「美術館女子についての一考」でも考察したが、アートの世界の「わかりやすさ」について考えながら、つぶやいてみる。 最近、noteでも『自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 』(2020年、ダイヤモンド社)が話題になっている。 著者の末永幸歩氏は、同書のプロローグでこう述べている。以下、引用する。  美術館を訪れることは多かったにもかかわらず、それぞれの作品を見るのがせいぜい数秒。すかさず作品に添えられた題名や制作年、解説などを読んで、なんとなく

美術を鑑賞する作法 「作品の基礎知識を意識する」

だいぶ前になるけれども、「美術を鑑賞する作法」について以下のnoteを書いた。 私の「美術の鑑賞」に関する基本的な考えを上記のnoteから引用する。 私の知る限り、欧米では「美術検定」はない。もし、美術に興味があり、知識を深めたいのであれば、学生は、学校で、社会人は、コミュニティカレッジで「美術史」を学ぶ。なぜなら、基本的に美術史の学問は、そこら辺で受講出来るほど身近なものだ。もちろん、ただ、ただ、美術が好きで「鑑賞するだけ」の人々もいる。「プロ」を目指さない限り「自由」