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マウイ島の古都ラハイナの山火事⑦被災した3寺院は、信仰と希望を守る

【ホノルル・スター・アドバタイザー2023年9月3日】
1900年代初頭に設立された3つの仏教宗派の住職は、ラハイナを焼き尽くした2023年8月8日の山火事で、寺院だけでなく家も失った。
しかし、炎は彼らの希望と信仰を打ち砕くことはできなかった。

★ラハイナ浄土院
妻や子供たちと現地で暮らしていた住職は皆、敷地内に飛んできた燃えさしを消そうと、庭用のホースで消火活動を行った。
ラハイナ浄土院の87歳の原源照住職もその1人で、家族が避難を余儀なくされるまで、屋根や壁に水をかけるのを手伝った。

他の焼失した寺院は、1904年建立のラハイナ本願寺と1902年建立の高野山真言宗ラハイナ法光寺。
焼失した建物は1930年代〜70年代に建てられた。

原住職は「1912年に建立された寺院の信徒50人ほどを集め、焼失をのがれたランドマークの阿弥陀如来座像の前で祈りを捧げる予定だ。
高さ12フィートの荘厳な阿弥陀如来座像は、ラハイナを特別な場所にした地域社会の希望と強さを象徴している」と語った。

原住職は、母国語である日本語で母国のメディアのインタビューに応じているが、娘の原弥生さんの助けを借りながら、たどたどしい英語で衝撃的な1日を語った。
彼らは、通常と異なる、山から海に向かって吹く強風に運ばれてくる遠くの火災の熱を感じ、寺院の建造物を救おうと奔走する中でガスタンクが爆発する音を聞いたという。
現地に住む70歳以上の数人の入居者が、消火活動に協力した。
「私たちは、10数件発生した小さな火災は消したが、人命の安全を考え、避難する時が来たと判断した。
その地域から避難したのは私たちが最後だった」と原弥生さん。
彼女と8歳の娘は両親とともに、プウノア・ポイントの海辺の敷地に住んでいた。

疲れ切った原住職は感極まった声で、次のように語った。
「尼僧は、勇気をふりしぼって、祭壇から高さ3フィートの阿弥陀如来像を救い出して戻ってきた。
数え切れないほどの人たち、見知らぬ人たち、たくさんの人たちが私たちを励まし、私たちの寺院への支援を広げてくれた。
愛情に満ちた優しさ…私たちが毎日聞く仏陀の声。
私たちは大きな励ましを感じると同時に、寺を再建する義務と責任を感じている。
私は、深く感謝している」。

原弥生さんは「銅と青銅製の大きなランドマーク的な阿弥陀如来座像は、おそらく周囲に燃えるものがなかったので、焼失をのがれたのだろう。
ハワイへの最初の日本人移民の到着から百年を記念して1968年に日本から輸入した阿弥陀如来座像は、世界各地からの訪問者を魅了し、Eメールで思い出を共有している」と語った。

ラハイナ浄土院は、阿弥陀如来座像が焼失をのがれた

★ラハイナ本願寺
2010年からラハイナ本願寺で住職を務める廣中愛さんは、この地域の文化の多様性、歴史、コミュニティ精神を常に大切にしてきた。
「私はラハイナの町の再建に参加したいと思っている」と彼は何度も強調した。
「私はすべてを失い、寺もすべてを失った」。
日本出身の廣中住職によると、彼の門徒は100人に満たず、今のところ全員が無事のようだが、今は広範囲に散在しているという。
彼は、門徒がラハイナに戻る理由を与えるために、寺院の再建を望んでいる。

本願寺は、隣接する200年の歴史を持つワイオラ教会が燃えたのと同時に炎に包まれた。
その様子は、マウイのニュースの写真に劇的に捉えられ、国際的に拡散した。
「仏教徒とキリスト教信徒は、多様性、友情、ラハイナのアロハを表現するために、常に協力し合い、互いの宗教的伝統を尊重してきた」と廣中住職。☆
4人の子供の父親である廣中住職は、嗚咽を飲み込みながら、次のように語った。
「自分の寺が燃えている写真を見て唖然とした。
私にとっては、自分の息子が死んで、死を確認したようなものだった。
私にとって、この寺は建物ではなく、個人的なものであり、私の息子と同じような人格がある。
言葉で表現するのに苦労するが、私は寺が燃えているときでさえ、寺を、小さな女の子が殺されないように守る兵士のように感じた。
寺は、門徒たちの精神的な家を、何十年にもわたる先祖たちの懐かしい思い出を、あらゆる意味深い行事の思い出を、そこで行われた霊感あふれる教えを、守っていた。
寺は、私が帰ってくるのを待っている。
新しい町には、多様性と歴史に加え、思いやりが生まれるだろう。
私は、新しいコミュニティの一員になりたいと思っている。
傷ついた人たちは、もう少し優しくなり、他人の痛みにもっと敏感になれると、私は信じている」。

ラハイナ本願寺は、隣接するワイオラ教会と共に炎に包まれた写真が世界に配信された。

★高野山真言宗ラハイナ法光寺
1902年に建立されたラハイナ法光寺は、ハワイ州最古の真言宗の寺院だった。
高野山真言宗ハワイ開教区のクラーク・ワタナベ総監は、日本出身で2004年からラハイナ法光寺を率いる目黒孝範住職の代理として発言を求められた。
「私たちにとって、ラハイナ法光寺は、生まれ故郷のようなものだった。
サトウキビ農園に働きに来た日本人移民に必要不可欠な社会福祉サービスを提供していた。
目黒住職は、寺の創設者である湯尻法眼師の唯一の写真を持ち出すことができなかったが、亡くなった信者の登録簿を持ち出すことができた。
寺院の20人ほどの信者は、2人を除いて無事を確認した。
このような状況にもかかわらず、目黒住職は元気で、火災の翌日から避難所で信者の安否を確認し始めた」。

ワタナベ総監は、今後の寺の行事計画について希望を込めて語るが、寺院の再建は、まだ決定していない。
「目黒住職の生活が安定するまでは何もできない。
当面の目標は、目黒住職と彼の家族が生活を取り戻すことを支援するための資金を集めることだ。
GoFundMeのアカウントを通じて少額の寄付が寄せられており、日本の寺院や友人からも寄付が寄せられることを望んでいる。
目黒住職は、クラ祥福寺の住職も兼務しているが、彼は2人の子供たちを友人たちの近くに留めたいと考えているので、彼の家族は今のところ、クラではなく、ワイルクに住み続けることになるだろう」とワタナベ総監。

8月8日午後6時頃の法光寺周辺(目黒孝範住職が撮影)

★ラハイナ3寺院の寄付アカウント
ハワイ国際仏教徒協会は、各寺院のGoFundMeアカウントなどを組織しており、詳細は次のウェブサイトに掲載している。

★ラハイナ浄土院

★ラハイナ本願寺

★高野山真言宗ラハイナ法光寺

協会会長で本派本願寺の元開教総長の松本エリック師は、次のように語った。
「仏教の中心的な教義は、人生のすべては無常であることを、信者に思い起こさせる。
人々がネガティブな面に目を向けるのは自然なことだが、同時に、マウイ島の状況は永遠に続くわけではない。
私たちは、希望を失ってはいけない。
みんなで力を合わせれば、そして、より良いラハイナのために亡くなった人々のことを忘れずにいれば、おそらく、楽観的に前へ進めるはずだ」。

★ダライ・ラマ法王がハワイ州知事へ送った書簡
火災の数日後、チベット仏教の高名な僧侶ダライ・ラマ法王は、ハワイ州知事のジョシュ・グリーン氏への書簡を通じて哀悼の意を表し、祈りを捧げた。
「私は何度かハワイを訪れる機会に恵まれ、マウイ島も訪れたことがある。
人間の基本的価値観と宗教間の調和を促進する私の取り組みに、ハワイの人々が関心を寄せてくれたことに深く感謝している。
また、ハワイの人々との交流の中で、私は、彼らの伝統と遺産に対する深い献身に心を打たれてきた。
したがって、今回の山火事で、ハワイ王国のかつての首都が被害を受けたことを知り、特に悲しく思う。
あなたとハワイの人々が、この悲劇に立ち向かう精神的な強さを見出せるように祈る」。
(Pat Gee)

【NHK】
ハワイ マウイ島の山火事から1か月 ラハイナの3寺が合同で法要

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