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女子1500m(3:54.99)・5000m(14:23.92)全米記録保持者シェルビー・フーリハンから学ぶべき4つのポイント

※トップ写真:The Extra Year: Episode Three (Shelby Houlihan) — Bowerman Track Clubより

先日、バウワーマントラッククラブの女子エースのシェルビー・フーリハンが5000mで14:23.92(世界歴代12位)という素晴らしい全米新記録を樹立。

最近、彼女についての記事がいくつか上がっているので、そこから学ぶべきポイントを4つ紹介する。


【シェルビー・フーリハンの5000m全米新記録】
1000m 2:56
2000m 5:52(2:55)
3000m 8:48(2:56)※3500mでペーサーが抜ける
4000m 11:42(2:53)
5000m 14:23.92(2:41)
ラスト400m 1:01
ラスト800m 2:07
ラスト1500m 4:08
ラスト3000m 8:31

①:競技種目は“徐々に”伸ばしていくのが王道

フーリハンは高校時代800m / 1500m(1マイル)の選手だった。彼女の高校時代の自己記録は、
400m 55.52
800m 2:07.35
1500m 4:26.39
3000m 9:56.71
と、特筆して速かったわけではない。

ただ、800mの中距離的な速さを持ってアリゾナ州立大に入学(彼女のツイッターのアカウントが@shelbo800なのは、この時の800mの競技に由来している)。

大学1年の春にいきなり800mで2:03.85をマークするが、その年の全米学生選手権には駒を進められなかった(それぐらい全米学生のレベルが高い)。

その後、800mの記録は大学3年の時に2:01.12まで伸ばしているが、その記録を出す前の全米学生選手権1500mで優勝し、初の全米タイトルを獲得。1500mは大学3年で4:10.89まで記録を伸ばしている。

アリゾナ州立大時代の彼女の自己記録は
800m 2:01.12
1500m 4:09.67(大学4年の全米学生選手権:決勝2位)
3000m 9:28.94
5000m 15:49.72
全米学生チャンピオン×1回(1500m)

800mと1500mで高いレベルにあるが、一方でジュニアやシニアの世界大会に彼女は出場していない。

現在、1500mと5000mの2種目で全米記録を持っていることを考えると、彼女の学生時代の成績は物足りないように思えるが、一方では強大な有酸素ベースを開発することで800mと1500mの記録上昇に繋がっているが、大学時代に有酸素の基礎を築いたことでシニアへのベースを作ったのだ。

一見、ジョグやロングランなどの低強度の走り込みは、こういった800m / 1500mの選手のとってあまり重視されないのかもしれないが、高校を卒業し、体の成長を終えた大学時代にベースを作り直すことは非常に大切なことである。

私は、トラック種目で高いレベルを目指すなら、競技距離は徐々に数年間かけて伸ばしていくべきだと考えている。

彼女が1500mと5000mで成功したのは間違いなく、400 / 800mの速さを高校時代に持っていたことと、大学時代にクロスカントリーで有酸素ベースを構築したことにある。

以下に挙げる好記録の例は全て素晴らしい記録であるが、その誰もが素晴らしいナチュラルスピードと持久力の組み合わせを持っていたように感じる。

クリス・ソリンスキーの初10000m26:59.60(2010年5月)
その夏に5000mで3回12分台を記録するなど、コンスタントに5000mを走れる状態にあった彼の2010年は非常に高いレベルだった。

セントロの5000m13:00.39(2019年9月)
フーリハンの現在のボーイフレンドであるリオ五輪1500m金メダリストのセントロは、高校時代に3000mや2マイルの距離で活躍。大学では1500mに活路を見出し、オレゴンプロジェクトでは1500mメインの800mでの動きづくりを重視していた。
BTCに移籍してから800mよりも5000mへのアプローチが増え、5年ぶりの5000mサブ13:40を13:00.39という好記録で走った。

ラガトの初10000m27:49.35(2016年5月)
ラガトの10000mは41歳で初めてだったが、最後は大迫傑に競り勝って27:49.35で走って全米マスターズ記録を樹立した。
ラガトは1500m / 5000mの全米記録保持者であるが、41歳で27分台で走れるのは強いモチベーションと中距離時代からコツコツ積み重ねた有酸素ベースがあったからこそ。それでいて、その年には41歳にして5000mでリオ五輪出場を果たした。

佐藤清春の5000m
当時、800m、1500m、3000m、5000mの4種目で日本高校記録を樹立した怪物。多くの名選手を輩出してきた両角速監督曰く「100年に1度の逸材」。5000mでも高いレベルの記録をあっさり出せたのは800mと1500mでの高い能力あってこそのものだった。

ラップの1マイル改造計画
この例は、短い距離の速さを持ちながら有酸素ベースを構築していくという上に並べた例の逆であり、箱根駅伝に出た選手が実業団で1500mを強化するという例に近い。
ラップはオレゴン大時代に10000mで大阪世界選手権に出場しており、元々10000m寄りの長距離選手だった。しかし、ロンドン五輪で銀メダルを獲得する2012年の春に、1500m3:34.75、5000m12:58.90で走っており、1500mは彼の大学時代の3:44.39の自己記録よりも10秒速い。
また、ロンドン五輪後には2013年の室内シーズンの1マイルを3:50.92で走っているが、これは室内1マイル全米記録保持者のラガトの3:49.89と1秒しか変わらない。そして、この1マイルの翌月にラップは室内3000mを7:30.16の全米記録で走っている。
ただ、こういった彼のような10000mからの中距離での世界レベルでの大幅の自己記録更新の例は稀である。


②:持久力養成の“キモ”はロングランとクロスカントリー

BTCのコーチとして現在活躍しているシャレーン・フラナガンは、フーリハンのタイプについて、

「彼女はスピードとスタミナの“理想的な組み合わせ”を持っている」

と話している。

フラナガンコーチもラップと同じように五輪の10000mでメダルを獲得しているが(2008年北京五輪銀メダル ※3番手のフィニッシュながらドーピング選手の発覚で銀に繰り上げ)、ラップとは違って決定的に足りていなかったのが1500m / 1マイルの競技力だった(ラップの1500m / 1マイルが異常に速かっただけであるが...)。

とはいえ、室内 / 屋外3000m、5000m、10000mで全米記録を更新したフラナガンは全米女子中長距離のレジェンドである。また、フラナガンの初10000mは30:34.39の全米記録(当時)で、その時の5000mの持ち記録は14:44.80の当時の全米記録だった。そんなフラナガンがフーリハンに対して、スピードとスタミナの理想の組み合わせの選手と述べているのは興味深い。

フーリハンは高校時代に
400m 55.52
800m 2:07.35
1500m 4:26.39
3000m 9:56.71
の記録を月間200km程度の走行距離の練習で記録していたが、アリゾナ州立大に入学してクロスカントリーで走り込むことを覚えた。当時のコーチは、高校時代に優勝を重ねていたフーリハンが、クロカンのレースで20-30位に惨敗してしまうことにショックを受けていたことを慰めていたという。

「他の人と自分を比較することは時間の無駄。ここでの走り込みはいつか、この先に繋がるから今日の結果は気にするな」

このコーチの言葉は、今も彼女の心に刻まれているという。

その結果、彼女は地道な走り込みに適応していき、800m2:01と1500m4:09と全米学生王者のタイトルを獲得。ここで、一番重要な点は、彼女が大学の4年間で特に大きな故障をしなかったことである。

その結果、彼女の有酸素ベースを年間ごとに引き上げられ、その結果800mも1500mも5000mも速くなったのである。

アリゾナ州立大時代の彼女の自己記録は
800m 2:01.12
1500m 4:09.67(大学4年の全米学生選手権:決勝2位)
3000m 9:28.94
5000m 15:49.72
全米学生チャンピオン×1回(1500m)

3000mや5000mは特筆するほどの記録水準ではないが、彼女が高校時代に比べて長い距離を走れるようになった、という証だろう。

このようなことから、アメリカにおけるクロスカントリーに向けての走り込みや、年間のコンスタントな有酸素能力の開発を4年間辛抱強く継続したことで、彼女はシニアで活躍するためのベースを築いていった。

ここで、重要なのは日本の大学ように冬の10kmや20kmのレースのための走り込みではなく、フーリハンにとっては800mや1500mで競技力を伸ばすためのクロカンシーズンや年間での走り込みだったという点である。

これが、大学4年間を通して有酸素ベースを徐々に引き上げる基礎構築の考え方である。


③:高い質のリカバリーを持つことは高い質の練習をすることと同じぐらい重要

高校時代からマクドナルドなどのジャンクフードが好きだったフーリハンは、大学時代に4.5kg太ってしまい、チームの栄養士に相談した。その結果、食事を改善することになったという。

さらに、BTCに入ってからはフラナガンの当時のストイックな栄養面でのリカバリーの高さを学んだという。要するに、プロ選手として高い質のトレーニングを継続していくためには、高い質のリカバリーを持つことが非常に重要だということである。

フラナガンは、彼女の大学時代(ノースカロライナ大チャペルヒル校)の陸上部のチームメイトのエリス・コペッキーとともに"RUN FAST, EAT SLOW"のレシピブックを出版している。この本はアスリート、特にランナーのためのレシピ本で、多くのスーパーフードが食材として使用されている(私もこの本を持っている)。

フラナガンはプロ選手として現役時代に良い練習を積みながら、栄養の知識もつけ、料理の腕も上げていったのだ。日本の実業団や大学のチーム(関東)であれば、チームに栄養士や食事を作ってくれる人(寮母さんとか)がいる。

しかし、彼女のように常に自発的に学び続ける姿勢は、BTCの女子選手にも浸透しているので、フラナガンコーチは競技実績もさることながら尊敬されるべき人物である(そういえば最近、フラナガンコーチは養子を授かった)。

フーリハンは、シニアでレベルを引き上げるために、まず食事の栄養レベルを上げることに取り組んだ。とはいえ、彼女はコロナ渦のしばしのセントロとのジャンクフードを楽しんだようだ。


1500mサブ3:50と5000mサブ14:00の世界記録を目指す

フーリハンはプロ1年目の終わりに5000mでリオ五輪に出場しているが、15:08.89の11位に終わった。その頃の彼女の自己記録は15:06である。

キャリアの転機になったのは2018年。ユージンDLの1500mで優勝を収め、その後1500mの3:57.34まで記録を伸ばす。また、その2週間後には5000mで全米新(14:34.45)をマーク。

その後、2019年に800mで自己新、1500mで全米新、2020年に5000mで全米新と、彼女は確実に「1歩1歩ステップアップ」している。しかし、昨年のドーハ世界選手権での全米新(3:54.99)はメダル獲得をわずかの差で逃した“痛い敗戦”だった。

「あれは本当に辛い瞬間だったけど、それは、私がそこから学んで成長できたと思っている。このまま競技を続けていれば、いつかはメダルを取らなければならないと感じているが、それは必ず私にはできると思っている。あの日、全米新記録が出なかったとして、メダルを獲得することのほうが幸せだったと思う」出典:Women's Running

このインタビュー記事の終盤では、彼女が将来1500mでサブ3:50、5000mでサブ14:00を目指していることにも触れられている。

大事なことは、彼女が高校時代、大学時代から、毎年1歩ずつ段階的に競技力を伸ばしているということだ。

来年の東京五輪の日程では1500mと5000mが被っている日があるので、その2種目を兼ねることはできない。1500mは年々レベルが上がってきていて、彼女でさえメダルに届かない。そして、今回5000mでは14:23まで記録を伸ばした。

しかし、彼女の考えでは、

「今回の5000mの記録はあくまでペーサーがうまく引っ張ってくれただけであって、勝負感は1500mのほうがこれまで多くのことを経験している」

と述べている。そのようなことから、東京五輪では1500mと10000mを兼ねることも視野に入れて、彼女が初の10000mをどこかで走るのかもしれない(2021年のスタンフォードなど)。


④:“うまくいっていること”は変えないほうがいい

彼女にとって、“うまくいっている”ということはなんだろうか?

例えば、3000mSCでケニア人が独特のハードリングを行うが、欧米の選手の洗練されたハードリングとは違った跳び方をする。ただ、その跳び方で、世界一になる選手がたくさんいることから、彼らはそれを変えようとしない。

つまり、“うまくいっていること”は変えないほうがいい。ということだ。

理想では、確かに400mHの選手のような良いハードリングをするべきであるが、彼らはそれを必要としていないのは、もうすでにそれをしなくても勝てていたり速く走れているからだ。

【3000mSC参考記事】

「そこにハードル(障害物)があるから、ただピョンと飛ぶだけ」

フーリハンにとって、いつもうまくいっていることの1つが“ロングラン”だろう。元々800m / 1500mの選手だったにもかかわらず、彼女の好きな練習は“ロングラン”で、無酸素性のワークアウトよりも有酸素の練習の方が得意だという。

このことから何が言えるかというと、①の「競技種目は“徐々に”伸ばしていくのが王道」ということと、有酸素能力の開発は中長距離のベースであるということである。

彼女は将来はマラソンを走る日が来るかもしれないことを、今から考えているが(それでもまだ彼女は1500m / 5000mの選手である)。

もう1つの彼女にとってうまくいっていることは、スパイクを大学時代から変えていないということである。彼女が先日5000mを14:23で走った時のスパイクは旧型のヴィクトリーだった。このシューズには、エアポッドもZoox Xも、厚底のメカニズムも何もない。

ただ単に、彼女はそれが自分の脚に合っていると今も思っているだけである。そして、新製品を試すほど柔軟ではなく、自分自身を頑固だと思っているという。ただ、うまくいっていることはあえて変えないほうがいい。それが、実は選手が本当に強くなるための、自力を上げるための1番大切なヒントなのかもしれない。

※彼女はその後、2020年12月の5000mではドラゴンフライを着用していた。


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