見出し画像

1972年(50年前)のデーブ・ウォットルから2022年のクーパー・ティアに至るまで

トップ画(Joe Haleより)

現在、Twitterにて以下のプレゼントの応募を受け付けている。このツイートは7月29日のもので明後日の9月5日中に締め切って当選者を決めたい。

ところで、このポスターがモノクロなのは、1972年に撮影された以下の一番左の写真のオマージュだからである。

画像2


The iconic photo of Sid Sink and Dave Wottle was taken 50 years ago on Janet Heinonen’s porch in Eugene during the 1972 US Olympic Trials held at Hayward Field. Nike officially started that same year and used the trials as a sort of “coming out party.” They provided Nike-branded, “Olympic Trials” tees to every athlete who competed. The local team from Nike’s first store in Oregon—called The Athletic Department—added a personal touch to each tee by ironing athletes’ names on the back. Janet was one of those Athletic Department employees responsible for ironing on athletes’ names.
50 years later — we ran it back. Shot after this year’s USAs in the same exact chair as the original photo, at the Heinonen’s house, in recreated shirts.

翻訳すると、

シド・シンクとデーブ・ウォットルの象徴的な写真は、50年前の米国五輪選考会での一枚。ユージンに住んでいたジャネットさんの家で撮影された。この1972年にナイキは正式に事業を開始し、この選考会を商機と考えた。ナイキは選手たちに「Olympic Trials」Tシャツを提供し、オレゴン州でのナイキ第1号店「アスレチック・デパートメント」では、選考会に出場する選手の名前を背中にアイロンで貼り付けるという、オリジナルのTシャツが用意された。ジャネットは、そのアスレチック・デパートメントの従業員の1人としてアイロンをかける役割を担っていた。
50年後、私たちはそれを再現した。今年の全米選手権の後、ジャネットさんの家で、元ネタの写真とまったく同じ椅子で、同じようなモノクロの写真を撮影した。(フォトグラファーのJoe Haleの投稿より

1972年五輪800m金メダルのデーブ・ウォットル

2022年9月2日は、1972年ミュンヘン五輪で全米代表のデーブ・ウォットル(元ネタの写真の手前で椅子に座っている人)が800mで金メダルを獲得してからちょうど50年が経った日である。

独特なゴルフキャップを被る選手...

「そんな50年前の昔の話なんて、知らない」と思う人が多いかもしれないが、心配ご無用。私は1986年生まれなのでこのレースをもちろんリアルタイムでは見ていない。とはいえ、以下の動画を見たこともある人も多いのではないだろうか。

このレースの200mごとのラップは26.4, 27.1, 26.2, 26.2(1:45.86)とほぼイーブンであるが、まだ世界記録が1:44.3の時代でこのラップなので「前方の選手のラップが少し速すぎた」というようにも思える。

スクリーンショット 2022-09-02 22.12.25

因みにウォットルはこの五輪前の全米選手権でその1:44.3(手動計時)の世界タイ記録(1962年のピーター・スネルに並ぶ記録)を出しているが、その選手が最後方からこのレースをするのだから、全米選手権からミュンヘン五輪まで調整不足ということを考えると、彼は神ががっていたといえる。


ビル・バウワーマンとアメリカの1960年代後半から-1980年代にかけてのランニング史

この時の1972年ミュンヘン五輪の全米代表のコーチといえば、当時のオレゴン大学陸上部を率いていたビル・バウワーマンである(彼はまた、ナイキの共同創業者としても知られていた)。彼が当時大学の現場で指導していたのはオレゴン大学のスターのスティーブ・プリフォンテーンらであった(プリはミュンヘン五輪では5000mで4位に終わった)

映画「プリフォーンテーン」では、これらのシーンが大きく取り上げられているが、ミュンヘン五輪はイスラエル選手団の選手村に夜中にテロ集団が侵入し、死亡者を複数名出してしまった大会である。

その最中で数日の競技中断を経て五輪大会は再開された。ボストンマラソンでも過去に爆破事件があったが(映画:パトリオット・デイ)こういった大きなスポーツ大会でのテロは令和の今ではあまり考えられないことかもしれない。

話を戻すと、アメリカは1960年代後半から1970年代にかけて、
ジム・ライアン(全米高校生初のサブ4マイラー / 1マイル元世界記録保持者 / 1968メキシコシティ五輪1500m銀メダル)
スティーブ・プリフォンテーン(オレゴン大時代に1マイルよりも長い距離の種目で学生相手に生涯無敗のスター / ミュンヘン五輪5000m4位 / 2000-10000mまでの6種目で全米記録を樹立)
フランク・ショーター(ミュンヘン五輪マラソン金メダル / モントリオール五輪マラソン銀メダル)
ビル・ロジャース(ボストン、ニューヨークシティマラソンともに4勝)
らが活躍し、当時のランニングブームを引き起こしたとされる。

そして、ミュンヘン五輪で全米代表のコーチを務めたバウワーマンはオレゴン大のコーチをビル・デリンジャーに引き継いだ後に1977年のアスレティクスウエストの黎明期に繋げていく。

Athletics Westで活躍した選手】
ジョーン・ベノイト(1984年ロサンゼルス五輪女子マラソン金メダル = 五輪での女子マラソン初代王者)
メアリー・デッカー(1983年ヘルシンキ世界選手権女子1500m / 3000m 2冠)
アルベルト・サラザール(1000m元全米記録保持者 / '80-82 NYC3連覇など)

バウワーマンはその他、共同創設者のフィル・ナイトとのナイキの事業拡大だけでなく、1962年のニュージーランド訪問の際にアーサー・リディアードとの出会いから1966-1967年の「ジョギング」本の出版、大ヒットも手掛けており、名実ともにアメリカにおけるランニング界のドンであるといえる。

バウワーマンが指導した選手は、挙げればキリがないが有名どころでいうとフィル・ナイト、ビル・デリンジャー、プリフォンテーン、マット・セントロウィッツ(セントロ父)などである。


バウワーマン・トラッククラブに新加入の選手

ビル・バウワーマンの次はBTCについて。

現在ではナイキがフルサポートする陸上中長距離プロチームとしては世界で最も知名度が高いのがBTCであるが、そのBTCに2022年全米選手権男子1500m優勝のクーパー・ティアの加入が決定した。

9月1日は日本の長距離の実業団選手3名の移籍が話題になったが、アメリカでもプロチームの移籍 / 新加入に関する話題は全米学生選手権や全米選手権、世界大会が終わったあたりに加速する。

クーパー・ティアはBTCでジェリー・シューマッカーの指導を受けることになる。そして、これまでのトレーニングパートナーだったコール・ホッカー('21全米五輪選考会1500m優勝 / 東京五輪6位)はこれまでと同じくベン・トーマスの指導を受ける。

「1972年(50年前)のデーブ・ウォットルから2022年のクーパー・ティアに至るまで」

画像3

話は長くなったが、このような経緯の50年間である(1985-2020の35年間ぐらいは端折っているが....)因みに真ん中の2人がティア(奥)とホッカー(手前)で、1番右の2人はBTCのマクゴーティ(奥)とフィッシャー(手前)である。

ということで、今回はアメリカの中長距離のおけるランニング史について記載した。

ちなみに冒頭のツイートでのプレゼントはこのnoteを読んだ人の中から当選者を決めたいと思っている。

このポスターが欲しい方は以下のツイートと、その次のツイートを両方リツイートしてください。

この両方のリツイート者の中から当選者を決めたいと思っており、今回のプレゼント企画で貰えるものが、そもそもどういうものなのかをある程度理解した人に差し上げたいと考えています(リツイートの締め切りは9月5日の午後10時までとします)

#OREGON22 (オレゴン世界選手権)関連のプレゼント企画は今後数回続けていきますので、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。

サポートをいただける方の存在はとても大きく、それがモチベーションになるので、もっと良い記事を書こうとポジティブになります。