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寿司ラバーです。
今日は死について自分の考えを書こうと思います。
最近の死の扱われ方について疑問を持っているからです。

私は大切な人の死を2回経験しています。
1回目が大好きな祖父の死です。

祖父は私を1番可愛がってくれたし、いつも色んなところへ連れて行ってくれて私に愛を教えてくれた大好きな人です。 

祖父は私が中学生になってすぐ亡くなりました。中学生になる前に中学校と制服を着て祖父に会いに行った時、私の姿に泣いて喜んでくれました。その時の祖父の顔は一生忘れないと思います。

私は当時幼かったこともあり、祖父は死なないと思っていました。だから今もっとあの時に毎日メールを沢山送ったり、もっといっぱい感謝の気持ちを伝えればよかったと後悔しています。自分にとって大切な行事、例えば大学入学や成人式などがある時は、祖父がいたらどれだけ喜んでくれたかなとどうしても考えてしまいます。 

もう一つは父の死です。
私が高校3年生の時に亡くなりました。
私は父が大好きです。母と喧嘩して部屋に篭ってる時はいつも話しかけにきてくれたり、喧嘩をしてもいつも味方をしてくれました。
父は口数は少なく、シャイな人だったので誕生日はいつもLINEでお祝いしてくれました。当時は直接言えばいいのにと思っていたけれど、今は誕生日の日にそのメッセージを読み返す事ができるので良かったと思っています。笑

そして父は私があげたプレゼントを大切にしてくれていました。私が小学生の時に初めてプレゼントしたボールペンをインクを替えてボロボロなのにずっと使ってくれていました。プレゼントした石鹸も袋も空けず父の押し入れの中にしまってありました。

お金のかかる習い事や部活を6年間も続けさせてくれて、大学にも奨学金なしで通わせてくれました。本当に感謝でいっぱいです。
だけど成人式も自分の結婚も、恩返しも父に見てもらえず、することができず本当に悲しくなります。もっといっぱい2人で出かけたり、お手紙を書いたりすれば良かったと後悔ばかりが残ってしまいます。

命というものは本当に儚いものです。
祖父は癌で亡くなりました。父は突然死でした。
昨日まで元気だった人がいきなり次の日には一生会えなくなってしまう。それくらい、命は儚く、わからないものだと思いました。
そして人の人生はその人以外誰にも語ることができない、その人だけのものであると思います。

最近では、亡くなった芸能人に対する扱いが一種エンタメのように扱わられていると感じます。主人公が病気で死んでしまうような映画を観て、『超泣ける!めっちゃいい!』と感想を残す人にも疑問を感じます。

死は話のネタのように扱われることなのでしょうか?
命を軽く見ていませんか?


今のこの風潮が私にはおかしく感じます。
上手くまとめられなかったのですが、この2つが私が持っている疑問です。
父の死については、スピリチュアルな話があるのでまたいつか書けたらと思います。

また、こういう話には色んな意見があると思います。不快に感じられた方がいましたら申し訳ございません。

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