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鮨職人を目指してから現在までのキャリア ①


こんにちは!

六本木で「鮨 ×  音楽」をテーマにした鮨屋
Sushi Bar Mugenを営んでいます、irugoと申します。

前回の記事では、鮨職人を目指すようになったきっかけをお話しさせて頂きましたが、読んでくれましたでしょうか?

今回はその後、Sushi Bar Mugenのオープンまで、どこで何をしてたのかをお話しさせて頂きます。


銚子丸 編


前回も軽く触れましたが、私のキャリアのスタートは千葉を中心に、92店舗を展開するグルメ回転寿司の先駆け「銚子丸」

私は生まれ故郷の佐倉店でのアルバイトから鮨職人を目指し始めました。


当時は20歳、髪の毛はツイストパーマ、両耳には向こう側が見えるようなでかいピアスをつけおり、池袋ウエストゲートパークの「キング」を意識しているくせに、ケータイが鳴ると
「はい、マコト」とめんどくさそうに出ており、完全にキャラが定まっていませんでした。

20歳の時マカオで
中目黒のレストラン「nou」のryo itagakiと……


銚子丸では結局1年半ほど働いたのですが、最初に料理長をしていた板前さんには本当に色々教えて貰いました。

その板前さんは何をやっても仕事が早く、機械のように正確、どんな人よりも綺麗だったのですが、(今でも私が出会った中でダントツNO.1)
4kgほどある「」のサーモンを「捌き」から「切り付け」(約200貫分)までを7分以内終えてしまった時の事は今でも鮮明に覚えています。

そんなすごい板前さんの横に毎日張り付いて仕込みをしていたのですが、カウンター内で握る事もありました。

大体1人でカウンター6席とテーブル6名様×2を担当、当時はタッチパネルなどなく、基本的に口頭で注文を受けながら持ち帰りのお寿司も握っていたのですが、佐倉店はかなりの人気店で、客単価3000円〜4000円ながら、週末は1日130万円以上売り上げるお店でしたので、ピーク時には「戦場」のようなお店でした。

小さいながらも本マグロ(60kgくらい)の解体ショーなんかもやらせてもらえました。

そんなお店では「先読み」の大切さや、銚子港から毎朝届く、なかなか他では見ない「ネタ」の美味しさを学びました。

Mugenでもよくお出しする「カマス」も銚子丸で好きになったネタのひとつですね。

パートのお姉様方にも可愛がってもらい、鮨職人を目指す上で、スタートとしてとても良い経験を積ませてもらった1年半でした。


おたる政寿司 編



もうすぐ22歳になる時、大学に行った友達達が就職活動をする中、私もなんとなく「そろそろ東京に行くか」と思い、飲食系の雑誌「グルメキャリー」を眺めていたのですが、見ていたポイントは休みの数と労働時間、給料、何より坊主必須か否かでした。

当時は東京の鮨屋がどれだけ若手不足で引くて手数多なのかを理解しておらず、ダメ元でなんとなく面接を受けた、新宿高島屋の中に入っている
おたる政寿司」にその場で採用が決まりました。



「おたる政寿司」は北海道小樽に本店を構え、銀座、新宿、名古屋、バンコクにも店舗展開、
お鮨を通して小樽の魅力を世界に向けて伝えているお店です。

私が勤務していた新宿店は、叩き上げの職人さんばかりでみんな「江戸っ子気質」

今の世の中ではなかなか経験できないような事もたくさん教えていただきました。
当時はその理不尽さに思う所もありましたが、今思うと、その理不尽さを経験できて本当に良かったと思います。

ただ、当時は殺意が湧くくらい怒ってました。笑

そんなこんなで入社してあっという間に半年が経ち、若さゆえの自信もあったのですが、現実はなかなかカウンターに立つ機会がなく、自分の置かれた環境にヤキモキしており、不満ばかりの毎日を送っていたのをよく覚えています。

たまにカウンターにもいました
大好きだった大ベテランさん「はしさん」の横



ではどうしたらカウンターに立てるのか?
私なりに考えた結果は「英語」でした。

当時は土地柄もあり、海外からのお客様がかなり多かったのですが、英語が喋れる板前がいなかったので、意思疎通ができない事が理由でトラブルに繋がってしまう事も少なくなかったです。

自分が英語をもっと話せたらカウンターに立つ機会も増えるんではないか。
そんなことを考えながら裏方にも飽きていた頃、大きな転機が訪れました。


店舗の改装工事を行うため、丸々2ヶ月店舗が休業になることになったのです。
その期間他の板前さんは別の店舗に研修などに行く中、私は英語の勉強のため「語学留学」に行く事を決め、フィリピンの北部、ターラックという田舎町にある語学学校「MMBS」に入学しました。

2015/5/9 入学のみんなと
(左端のでかくてなにやらジャラジャラつけているのが私です)



そこでの2ヶ月間も後の人生に大きく影響を与える事ばかりだったのですが、それはまた別の記事でお話しさせていただきます。(3部くらいの大作になりそうです)


フィリピンでの語学留学を終えて、改装工事を経て綺麗になった新宿店での勤務に戻ったのですが、すぐ直感的に「ここは自分の居場所ではないな」と感じ、退職→転職活動へと行動を移しました。

今考えるとなかなか迷惑な話ですが、当時の私なりに考えた結果なのだと思います。

おたる政寿司では約2年お世話になったのですが、都内ではあまり見ないネタ「ニシン」などの美味しさも知り、Mugenでも季節になると定番のネタになっています。

転職活動中、なんとなく登録していた海外求人のサイトからのオファーをうけ、ニューヨークの
「Sushi Yasuda」にトライヤルを受けに行く事になるのですが、そのお話も長くなりそうなので今回はここまでとさせて頂きます。


NY Brooklyn bridgeにて



次回はNew York Sushi Yasuda 編〜帰国後編

あたりをお話しさせて頂きます!!

長々とお付き合いありがとうございました😊


Sushi Bar Mugen irugo


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