三好愛『ざらざらを触る』
誰しも生きづらさを抱えているとは言うけれど、その中でも自分はなかなか難易度が高い方なんじゃないか。
そんな風に思って生きているので、自分と同じような感覚の人がいることに救われる。
オードリー若林の語りのような安心感があって、まだこんな人がいたのかとほくほくしながらあっという間に読み終えてしまう。
お辞儀をして出ていった空き巣、タンメンに入っていたコバエ、小学校の先生も人間だということ、名前とアイデンティティ、本名を教えてくれないローリー。
大抵の人は見過ごしてしまうささくれのような部分に目が向いてしまう私たちの悲劇と喜劇。
三好さんは「能動的か受動的か」にとても敏感で、こういう生きづらさもあるんだなとむむと唸った。
そんな繊細な神経を持っているにも関わらず、三好愛さんのイラストは、モチーフとアウトプットがおおざっぱに接続されていて面白い。
(「どもる体」の伊藤亜沙さんもあとがきでそんなことを言っていた)
ほにゃほにゃっとしていて、細やかな違いを包み込んでくれるようで、とても可愛らしいのです。
ZINE「やわらかな移動」もよかった。タイトルだけでもドキドキする部分を鷲掴みされてしまう良さがある。
たくさんの小さな出来事が、ひとつの大きな出来事に絡めとられることなく、それらしくあるための感触を発揮できるように、いらない連帯を生むことがないように、私はいろんなところで起こる小さな出来事に、できればずっと敏感であり続けたいなあ、と思います
あとがきの言葉。とても説得力がある。
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