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家族の形って?チョコレートドーナツ・1640日の家族

先日岸田総理から同性婚の法制化について
「極めて慎重に検討すべき課題だ」と発言がありました。
確かに長きにわたって続いてきた婚姻制度や法律を変えることは様々な事態を想定する必要があるため検討を重ねて万全な状態で迎える必要があります。
ただそのあとに続いた言葉が「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と続けていることに疑問を覚えました。


すでに家族や性別の形についてはどんどん変わっていく状況にあります。
その状況に既についていけていないにも拘らず、まだその変化を課題ととらえる発言にはステレオタイプな日本の文化を感じます。

ということで本日は家族の形について描いた2本の映画を紹介します。

チョコレートドーナツ


2012年に公開された映画で、日本では当初の国内上映館が1つだけでした。
しかし映画コメンテーターのLiLiCoさんが王様のブランチにて涙ながらの紹介をしたことをきっかけに一気に上映館数が増えたことでも有名な映画です。

あらすじ
ショーパブで歌手を目指すルディは検事局で働くポールと恋人となる。
そんな中でルディのアパートの隣に住むダウン症の少年マルコが一人ぼっちになっていることを知る。マルコの母親は薬物所持のために逮捕されたのだった。

施設を何度も抜け出すマルコに心を痛めたルディはポールとともに法的手続きを経て、マルコの監護者となり3人であたたかく暮らす。

しかし1970年代後半のアメリカでは、ゲイのカップルである二人に対して冷たい視線が投げつけられていた。
そしてその冷たい状況は悲しい運命を導かせることとなる。

現在は全米で同性婚が法律化しているアメリカですが、舞台である1979年にはまだまだ様々な差別、偏見がはびこっている世の中です。
この作品は実話をもとにしたフィクションなので例としては極端ではあります。
ただ最後のシーンから家族とは何か、何が一番家族を救うのか「いわゆる大多数が占める正しい家族の形か?」と問いかけられる作品です。
総理の話していた「家族観や価値観」とは何かを考える作品となります。


もう一つ紹介する映画が

1640日の家族

里親制度を題材にした里親と実の親、二つの立ち位置からのとても複雑な心境を感じる映画です。

あらすじ
主人公アンナの家族は愛する夫に三人の子どもたち。ただ、うち一人の息子シモンは実の息子ではなく、里子として育てている。
しかし四年半も一緒に過ごしてきて、我が子と同じように愛情を感じている。

そんな時、シモンの実の父親エディがシモンを引き取りたいと申し出る。
エディは、シモンの母の死をきっかけに子育てができないほど心を病んでしまい、いつかその日が来るまで少しずつ気持ちと生活のケアと準備をしてきていた。

当然その日が来ることはある程度理解しつつも、そんな日は来ないとも思っていたアンナは動揺。
シモンとエディの過ごす時間を少しずつ増やしていくという里親局からの指示に従いつつも何かと理由をつけてはシモンと離れないように画策する。

しかし近づく別れの時。最後に家族が選ぶ未来は。

私はこのアンナにはあまり共感はできず、言葉を選ばずに言えば難癖や言い訳をつけてシモンとエディの家族の再出発を頓挫させようとする姿にう~んとなってしまいました。

けれどもアンナもこうなることは最初からわかっていたはずです。
理屈や制度に納得して始めたにもかかわらず、論理的な部分の理解を上回ってしまうのが愛情、母性というものなのだと感じます。

客観的にみているからアンナにおいおいと思ってしまう私もいざ当事者になると同じ気持ちになるのかもしれません。

血がつながっているほうが家族なのか、血がつながっていなくても家族なのか、どんな構成が家族なのか、そもそも家族はどういったものなのか。
総理が懸念した家族観の一例を考える映画になるかと思います。



愛情といった人の気持ちが入ってくる問題に対して不用意にこれだと言い切れる言葉はなかなかないと思います。
これからの日本の家族の形がどうなるのか、私としては大多数の意見だけではなく少数派の声が少しでも届くようにこの問題は早期の解決につながることを望みます。

もしもこの記事が有益なものであると感じたら、是非他の方への発信をしていただけたらと思います!