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映声人語~十二人の怒れる男~ ※一部ネタバレ

イントロ

小学校の時に授業の一環で行ったディベートワーク。
「○○と○○」でどっちがよいか。 という題材がいくつかあって自分のグループが選んだのは「手作り弁当と冷凍食品(コンビニ?)弁当」の「手作り弁当側」。

小学生当時かなり口も達者で、ある程度のことは何でもそつなくこなしていた自分は、このディベートも余裕で勝てると思っていた。しかも「手作り弁当」側。冷凍食品が悪、自分たちは正義側と単純な思考で決めつけて。いつ思い返しても天狗になっていたんだろうと思う。

結果は惨敗。天狗の鼻へし折られ。

相手の冷凍食品の準備のしやすさやそこから生まれるタイムマネジメントなどの様々なメリットに対して反論をほとんどせず、手作りには愛情が詰まっているからと曖昧な根拠のない感情論で戦って勝てるわけもない。
今でも心に残っている大きな大きな挫折だった。

あらすじ

今回の映画は「十二人の怒れる男」。
父親殺しの容疑をかけられた青年を、裁判員制度によって選ばれた12人の男性陣が有罪か無罪か判断するという男たちの会話のみで話が進んでいくミステリー。

すべての弁論を聞いた後から話は始まり12人のうち11人は有罪と考えていたが、1人だけ無罪を推す。

たしかに弁論中の証拠をなぞると有罪で間違いないが、青年の人生を左右する場においてその証拠に気になる点がある。
自分は無罪と確信しているわけではないが、このことをみんなで話し合いたいということだった。

映声人語

主役の無罪を主張する男は、無罪と確信しているわけではなく並べられた証拠の穴を素通りして判断はできない、ここを正し次第最終判決をという大前提を立てて、話を進める。
シンプルで聞き手側にもスペースを与えるリスペクトに満ちた行動だと感じた。

面白いのは建設的に理論的に話を進めることで、最初は反対意見、しかもどう見てもこの事件は有罪で決定だ!と息巻いていた人たちも徐々に、君の意見に加えるとすると、、、と主役ですら見落としていたことに見解を添え始めることだった。

逆に感情論で意見をまくし立てる側には、「こいつには何をはなしてもだめだ。建設的に話し合えない。」とレッテルを貼られ味方側ですら徐々に離れられてしまう。

ネタバレになってしまうが、物語後半で無罪主張の数が有罪主張を上回り、残った有罪主張のメンバーへの対応があからさまになっていくことだった。
(無罪側にも理論的な人間はいて、それが感情有罪論人間との比較対象になっていることもまた良かった。)



この映画を鑑賞した際に、まさに有罪派感情論枠になっていた当時の自分を思い出し、それでは聞き手側の理解や聞こうとする耳を集められなくて当然だったと十数年ぶりに反省をした。

今の仕事でもお客様と話をする場面は多く、ややクレームっぽい対応をすることもある。

その際に聞き手側にスペースを与えるでもなく、自分の言いたいことだけをまくし立てる相手には、こちらも相手にとって結果一番良い成果につながりにくい、この話を終わらせるための対応をすることが常になる。

意見が交錯する場面において自分にとっても相手にとっても良い姿勢やマインドを改めて学んだ作品だった。
上映時間も約90分と短いのでお勧め。


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