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【映画感想】『あんのこと』

あらすじ

売春や麻薬の常習犯である21歳の香川杏は、ホステスの母親と足の悪い祖母と3人で暮らしている。子どもの頃から酔った母親に殴られて育った彼女は、小学4年生から不登校となり、12歳の時に母親の紹介で初めて体を売った。人情味あふれる刑事・多々羅との出会いをきっかけに更生の道を歩み出した杏は、多々羅や彼の友人であるジャーナリスト・桐野の助けを借りながら、新たな仕事や住まいを探し始める。しかし突然のコロナ禍によって3人はすれ違い、それぞれが孤独と不安に直面していく。

https://eiga.com/movie/100503/

感想メール

『アフター6ジャンクション2』の課題映画になったので、番組に送った感想メールを貼り付けています。

以下、作品の内容に触れています。

あまり事前情報を入れずに映画を鑑賞したい方は映画鑑賞後にご一読くださいませ。



1:個人ができる支援の限界

『あんのこと』見てきました。

あまり事前情報を入れずに見たのですが、見終わったあと率直に湧き上がったのは「こんな結末の物語を見せられてどんな感想を抱けというのか?!」という気持ちでした。しかしこの物語が空想でもなんでもなく、事実に基づいた作品だと後から知ったことでより深い絶望感を抱きました。

この映画は非常にシンプルな物語構造かつ、背景にある社会問題もストレートに描かれているため「何が言いたい映画なのかわからない」ということにはなりません。しかし鑑賞後に観客が持ち帰ることになる問いかけはとてつもなく巨大です。個人が他者にできる支援の限界を見せつけられ、社会は何ができるのか、市民は社会福祉に何を求めるべきなのかを問われます。映画的文法を効果的に使ってドスンと重たい余韻を残してきた本作は、現時点で今年一番のトラウマ映画になりそうです。

2:どん底からの復活・・・にならなかった

非常にわかりやすい三幕構成の本作は、三幕構成がもつ強みを有効活用して観客をどん底に落とすことに成功していると思います。主人公・杏が、時に挫折しながらも未来へと駆け上がっていく流れは非常に美しく、自然と観客が彼女を応援したくなるようになっています。やがて劇中の時間軸がコロナ禍に突入し、坂道を転げ落ちるように彼女は地獄へと呼び戻されてしまいます。事前情報を入れなかった私は、アバンタイトルと同じ映像が流れたときに「これほどのどん底まで落ちきったのだから、きっとここから再起の物語が始まるに違いない、いや、始まってくれ!」と希望を抱きました。

しかし、残念ながら実際にはそうなりませんでした。映画的文法から必然的に浮かび上がる映画的感動や飛躍がこのあとに待っているはず、と無意識に抱いた期待が見事に裏切られ、絶望のどん底に落とされました。結末を知ってしまうとアバンタイトルの時点で憂鬱になり、劇場から逃げたくなるはずなので、本作は2回目を見ようという気持ちになかなかなれない作品です(褒めてます)。

3:入江監督の新境地

私は、コロナ禍の最中に公開された『シュシュシュの娘』を入江悠監督ご本人が登壇する座談会付きの上映で見ました。その座談会の中で、劇場パンフレットに書かれているように「コロナ禍で亡くなったご友人」への想いを監督が沈痛な面持ちで語っていました。

そんな『シュシュシュの娘』公開当時はまだコロナ禍の暗い雰囲気がありましたし、全国のミニシアターを支援するという目的があったことも踏まえると、ムラ社会の暗部を描きつつも「陽性」の雰囲気に仕上げる必要があったと思います。それに対し本作は、コロナ禍の空気感を忘れつつある2024年のいま、思い切り「陰性」に振り切る狙いが監督の中にあったのではないでしょうか。あの頃に感じた、怒り・やるせなさを呼び起こす本作は、「新しい生活様式」「withコロナ」に適応できなかった、あるいは適応したくてもできなかった全ての人々への鎮魂の想いが誠実に響く作品だと思いました。入江監督の新境地と断言できる一本です。

4:善悪の二元論では語れない

この作品の登場人物は「善悪」の境界線が曖昧な人々ばかりです。多々羅はサルベージでの活動を通して依存者たちを救済している事実がある一方、ある女性に対し絶対に許されない行為をしていたことが判明します。桐野がその件で多々羅を追い詰めた際、「その記事がでたらサルベージはどうなるんだ?彼らの生活が壊れるぞ」と多々羅は言い返しますが、だからといって多々羅の行為は許されるものではなく、桐野が記事を書いたことについて誰も非難できないでしょう。しかし結果的に、杏と多々羅のつながりが途切れてしまった。もし杏の電話にあの時多々羅が出ていたら、絶望的な結末にはならなかったかもしれない。そうだとすると桐野は悪だったのか?といった疑念が湧いてきてしまいます。

また薬物依存の人が自死を選ぶ場合、薬物による衝動が原因ではなく、これまで積み上げてきたものが崩壊したことに絶望することが原因となる場合が多いと多々羅が語ります。しかし「1日1日マルを書いて積み上げろ、1日でもバツがついたらダメなんだ」とサルベージで語っていたのは多々羅自身であり、杏がその言葉を重く受け止めていたとすれば多々羅にも原因の一端はあると言えます。ほかにも、最後の最後の引き金になってしまった子どもを巡るエピソードでは、杏に無理矢理子どもを押しつけた母親に非難が集中してもおかしくありません。しかしあの母親もDVなど複雑な状況からやむなく逃亡を選んだわけであり、完全な悪だとしてバッサリ切り捨てることはできない人物です。

「杏を死に追いつめた原因は何だったのか」を考え続けると、善悪の二元論では語れないことに気づかされます。私はメンタル不調の経験があるので、こういった問題は深入りしすぎずこの辺りで考えることは切り上げようと思います。ただし、自分が生き延びるために行動を起こそう、誰かのために行動を起こそう、と考えるときは「正義ではなく正気で考える」という大林宣彦監督の言葉とともに、私は今後「香川 杏」という女性の人生についても思い出すことにすると決めました。

とにかく、この映画は社会に適応したくでもできなくて、いつのまにか消えてしまった全ての人々への真摯なレクイエムだと思います。入江監督の新たな傑作ではないでしょうか。


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