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話せる話題は人によりけり。

「この人とはこの話題を話せる」というように意識的なのか無意識なのかわからないが、人によって話せる内容が変わる。

きっとほとんどの方だそうなんだと思う。

私には、生活の中で気づく細々としたことを話せて、尚且つ共感もしてくれる友人がいる。

高校の後輩なのだが、いつも話す内容がなんとも細かい。

この前会った時、社会人になりたての後輩は「趣味とか好きなものとか自己紹介で話すたびに精神が削られます。」と話していた。

わかる。

そうなんだよ、好きなこととかって人によって熱量が違うものがから安易に「〇〇が好きです」とか言って他の人が自分の好きよりも上回っていた時が怖い。
とにかく怖いのです。
もちろんそんなことを気にしなくてもいいのもわかる。
だけれども気にしてしまうので厄介なのです。

だから当たり障りのないことをいってみる。
「強いていうなら〜、うん、散歩とかですかね〜はは」的な感じ。

どうでしょう。

しかし、ここで打ち明けさせてもらうと私は何が好きなのか自体もよくわからなくなっている。
「好きとはなんだ、楽しいとはなんだ、どこから線引きされるのだ」

いや、好きなことは好きだと勝手にいえばいいじゃないか、というかそういう世の中になってほしい。

ただSNSがある時代だからだろうか、人とすぐに比べてしまう癖が身についてしまっているのかもしれない。
自分の「好き」が他人の「好き」と天秤にかけた時に、下にくるのは自分だろうな。となんとなくわかってしまう。
そこから奥まで掘ることができる人は私から拍手を送らせてもらいます。
私はそこで諦めがちなため、そしてまあとんでもなく飽き性なため、だいたいのものは他人より「好き」の熱量が下周ります。

ここまで書いておいてなんだけど、こんなネガティブ発信をしたいわけではなかった。

そうです、これはそんな細かいことすらも共有できる友人がいるって最高だよねっていうお話でした。

そしてまたこのインターネットを通じてこんなことに共感してくれる人がきっといると願って。

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