暮らしが中心になった
ここ数年の変化。
何と言っても暮らしが中心になった。
仕事が変わったからだけど、それまでの生き方とは、全くガラッと変わった。
食事を作ることも多い。
掃除、洗濯、家周りの様々なこと。
気がつけば、いつもバタバタしている。
そのせいか、自然に体重も落ちた。
食事はお腹が減ったら食べる。
一日2.5食位かな。
暮らしが中心にどんと居座っている。
そして基本、自由だ。
暮らしの為に宿泊の方の滞在の為にやるべきことをやれば自由だ。
本来、こんな感じで良いのではないかと思う。
至ってシンプル。
日の出と共に動き出し、夜になればしっかり寝る。
何の心配事もなく、一日を無事過ごせた安堵感で眠る。
ただ暮らしがある。
本来、暮らしが中心だったはず。
暮らしの中のちょっとした変化や気づき、そんなものに情緒を感じ、また宇宙を感じ、日々を過ごしていく。
感覚や感受性が研ぎ澄まされれば、朝の光、夕暮れの残り日にも溶け込んでいける。
今は便利なスマホという機械もある。
気軽に世界を切り取ることが出来る。
その場で発信も出来る。
ここ10年位で徐々にスマホは暮らしにも溶け込み、今では切り取ったものを発信する機能として、手放せなくなった。
世界は変わった。
みんなが発見者になり、発信者になった。
だから、暮らしはとても大事なのかも知れない。
同じ今なんて二度と来ない。
今この時、今この暮らし。
そんな風に私たちの過ごし方、在り方が徐々に変わっていったんだ。
今を見つけて欲しかった世界の方から手招きされて、気づけば、身の回り様々な対象と仲良しになっていた。
それで、良かったんだ。
何も不足なんてなかった。
世界は満ち満ちていた。
暮らしを取り戻せば、世界と仲良くなれる。
世界ともっと近くなれる。
暮らしの中で生きて、生かされる。
そこには、感謝が巡り、優しさが溢れる。
それで良かった。
それが良かった。