見出し画像

神様って感謝出来る存在のこと…?

都会生活をしていると、自然と頭の中でそろばんを弾いている自分がいる。

都会では、みんなそう。
それは都市というシステムだから仕方がない。
人間が考えた概念的価値をぐるぐる回す。
それの多くは数値化されている。

この数値がお金。
このお金をみんなが信じて価値の指標にしている。
だから、都市生活者は誰だって「お金教」。
私は無宗教です、なんて言う人も実際はお金教なはずだ。

お金はただの数値だから、ある意味、平等な存在。
そこに善悪は無い。

普段から無意識にこの数値を信じて、それに安堵したり、不安を覚えたりする。

そう考えるとある意味、お金が神様のように君臨している。
本当に強い存在。

一方、田舎の生活。
全然お金を使わない訳ではないけど、全てが数値化された世界とも言えない。

数値化されない価値、余白的な価値がたくさん転がっている。

昨晩、娘が突然、今夜は温泉に入りたいと言い出した。
晩ごはんを食べる寸前に。
どうしても…と泣きじゃくるから、それに負けて家族ですぐ近くの温泉に行った。
入館料は300円。
この温泉は出雲國風土記にも記載がされている、古い古い源泉かけ流しの温泉。

行ってみたら、お湯は良いし、それほど混んでいないし、極楽気分を味わえた。

何?この豊かさは?

もう感謝しかない。

そうなると、この温泉を代々守ってきた存在、日々運営している方々、だだをこねて、温泉に行くといった娘…そんな全てに感謝をする他無い。

みんながいたずらに数値を信じているのではなく、この状況、巡り合わせを生み出す存在を信じている。

それこそが神様。

だから、神様って感謝出来る存在のことなのかな?って思う。
そして、神社は感謝を伝えられる場所。

そんな存在を近くに感じながら、今日も田舎で暮らしている。