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行くべき場所

春、新しい始まりのニュースを耳にするこの季節。
友達の子供が進学で家を出たとか、そんな話も耳にした。
我が家も5歳と3歳の子供がいる。この子達もいつかはこの家を出るのかなと想像すると何だか切ない。

そういう自分も高校卒業と共に実家を離れ、その後14年間は故郷を離れていた。田舎の生まれなので都会への憧れもあり、知らないことを知りたい好奇心で溢れていたように思う。

4年間の大学生活を終え、さあ就職、新しい門出、将来が光り輝いているはずだった、22歳の春、現実は違った。
当時は就職氷河期と言われ、新卒の雇用も厳しかった。この年、山一證券の倒産や、銀行の破たんなどがメディアを騒がすことが多く、日本経済に高度成長期のような勢いは無かった。

この様な厳しさを大学時代はぼんやりとしか描けていなかった自分。ただただ甘かった。学生時代からこの状況を想定し動いていた人もいただろう。
最終的に良い就職が出来る様、高校、大学と勉強を頑張ってきた気がするのに、ここに来て結果が出ず。
大学4年のときの就職活動ではどこからも必要とされず、結局自分が何をやりたかったのか分からなくなった。
今思えば、当時やりたいことが分からなくたって、所属できる場所があればそこから、出来る事をコツコツ重ねやりたいこともみえてきたかも知れない。やりたいことなんて、やる前からは分からないものだ。

どんな状況でも時間は流れる。何かをして生きていかねばならない。
そこから「やりたいことをやる」ということがやりたいことのようになってしまい、やりたいことをやる自分とやりたいことをやっていない自分との狭間でもがく時期が長く続いた。

やりたいことをやって生きるって一番シンプルで迷いのないように思えていたけど、実践してみるとなかなかそうはいかず何度も迷走を繰り返した。
自分の場合はさあ就職となって、初めてやりたい仕事を考えた。そこが問題たっだ様に思う。もっともっと前、子供のころからやりたいこと、好きなこと、続けられることを自分でも意識して取り組んでいたら。子供の頃はとかく大人に褒められることを頑張りがちだ。認めてもらいたくてそのことに取り組む。それも大事だが、周りの評価は時代や場所が変われば、その都度変わる。
そうではなく、自分自身がそのこと自体で満たされるような取り組み、日々の営みが長い人生には必要だ。

結局22歳の春、半ばやけくそでやりたいことを「音楽」に決めて東京で生活を始めた。あれから随分時は過ぎた。
不思議なことに今でも続いている音楽。仕事としてやっていた時期も少しあるが、ほとんどは趣味として続けてきた。
好きだから続いたのか?やっぱりやりたいことだったのか、今となってはよく分からない。
でも長年続いたということは、好きでやりたいことだったんだろう。
時間をかけないとわからないことって案外たくさんある。

これからこのやりたいことを自分の中でどう育てていくのか?
インターネットや多様化する働き方でやりたいことを仕事に出来る道は増えてきた。

2019年の春、やけくそではなく確かな自信でやりたいことを実行しようとしている自分がいる。回り道はしたけど、行くべき場所はぶれていなかった。