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Music Station 出雲大東駅① 故郷での再スタート

2015年から島根県雲南市にて音楽で地域を盛り上げよう!と活動をしてきました。ミュージシャンが地域で活動するということ、特に少子高齢化が進む地域で音楽活動する為にどういう工夫、考え方をしてきたのか、6年間の歩みをここで振り返ってみようと思います。

簡単に私、森脇謙治の音楽歴ですが、学生時代からバンド活動を始め、社会人になると東京へ拠点を移し、音楽活動、シンガーソングライターとしてのを始めます。並行してボイストレーナーとして歌の指導も。10年の活動後、故郷島根にUターン。

そして、地域での音楽活動をし始め、都会とは違う形の活動に取り組むことになるのです。

そこで、感じたこと、気づき、苦悩、そこからのブレイクスルーそんなことを書いていこうと思います。

そして、タイトルにもなっていますが「Music Station 出雲大東駅」

僕の音楽の拠点は小さな町の小さな駅「JR木次線出雲大東駅」

でした。

一時間に一本あるかないかのダイヤ運航の小さな駅が僕の音楽活動のホームになるとは!!!初めの頃は思ってもみませんでした。

そこで始めた音楽活動、それがMusic Stationとなってたくさんの人を繋げていくことになったのです。

そんな奇跡のようなお話をここで綴っていきたいと思います・・・


・悩みからのスタート

その前段階、僕は悩んでいました・・・
東京ではボイストレーナーとして働き、音楽を仕事としていました。
東京にはライブハウスなどもたくさんあり、やる気があればいつでも活動をすることが出来ます。
そして、シンガーソングライターとしての楽曲を聞いてもらえる機会も多いのです。オリジナル曲で凌ぎを削るミュージシャン達に囲まれていました。

しかし、しかし、田舎へUターンしてからの僕の生活は一変します。
まず、音楽の仕事なんてそうそうありません。
そして、ライブハウスも少なく、オリジナル曲を披露する場面も多くないのが現状です。

基本的に東京とはリスナーの絶対数が違うのです。

島根で音楽をするには・・・?
もちろん趣味でならいくらでも出来ますが、仕事として成立するには・・・?

そういう疑問が膨らんできました。普通にやっても絶対無理・・・

そこで、考え方を変えました!音楽だけやっていてはダメだと!

シンガーソングライターとして、自分の想いだけを歌にしても誰も聞いてくれない。それが現状!

そこで、動きます!
島根の起業家スクール、地域プロデューサー育成塾を受講し、起業、独立を目指す方法を考えました。

そこでの学びから、私の生まれ故郷、島根県雲南市が拠点と決まり、音楽+地域振興という形で活動を始めました。

そこで、すこし心の葛藤を抱えます・・・

僕が音楽を始めたのは故郷を離れ、大学生になってからです。
なので、故郷では僕が音楽をやる人というイメージはゼロでした。
自分としても、東京ではある意味、誰も知らない場所で好き勝手出来できたのですが、故郷には家族や古くからの友達、知り合いたくさんいます。

そんな中で音楽をやっている森脇謙治というイメージを何だか、自分自身が一番持ちにくかった。キャラじゃない気がしていたのです。(考えすぎですが・・・)
要するに、周りの目を過度に気にしてしまったということだったと思います。

まず、ここが都会と田舎の違い!

どうしても、周りの目が気になる。

そこの壁をどう超えるか?

独りよがりですが、そんな気持ちになりやすいのが田舎の現状だと思います。

そんな気持ちをどうにかやり過ごすために考えたのが本名とは違う芸名でやろう!そんなアイディアでした。

その名前が「もりのゆ」(温泉みたいな名前・・・笑)

この名前はたまたまSNSのハンドルネームに使っていただけで、そんなに思入れも無かったのですが、本名じゃなければいいかなと思いい、「もりのゆ」で活動を始めました。

ここでのブレイクスルーポイント!

周りの目が気になる。
成りたいセルフイメージを持ちにくい場合はもう一つの名前を持つ!

名前って意外と存在感あるんです。
芸名みたいな名前を付けて、それで活動して、少し俯瞰して自分を見るようにする。
そうすると、それまでやりにくかったことが、簡単に出来るようになったりしちゃいます。

当時も、もりのゆがやっている、歌う、とか考えると何だか自分じゃない気がしていました。

やっぱり本名はある程度長らく生きるといろんなものがくっついていますもんね。

これは本当、自分の気持ちの持ちようだけど、そういうところって意外と大事だと思います!

そうこうしているうちに自分自身のセルフイメージと合致してきて、名前のことは気にならなくなってきました。

そんなこんなで、生まれ故郷でもりのゆというミュージシャンが活動をすることになったのです。

振り返ればここから故郷での再スタートだったし、自分自身が生まれた場所の良さを再発見するきっかけになりました。