鏡の世界
高校生くらいの時だったか、鏡の世界って不思議だと感じたことがある。
夜中家族が寝静まった頃、一人で洗面台の鏡の前に立って自分の姿を見ていたら、だんだん「この人だれだっけ?」みたいな感覚に襲われた。
自分の姿を見ている気がしないというか。
その時のことはよく覚えている。
大人になると鏡は身だしなみを整えるために使うことが多くなり、見られている自分を確認する為のものになる。
寝ぐせはないか?顔はちゃんと洗ったか?
女性だったら、化粧をするために毎朝鏡を見ると思う。
外からの自分をチェックする鏡。
でも、僕が感じた高校時代の鏡の感覚は鏡の世界という感じ。
自分の姿だけではなくて、映っている世界そのものだ。
そしてそこにいる存在としての自分。
最近、子供たち(7歳、5歳)も鏡をみることがあるが、時々不思議そうに鏡を見ている。
考えてみれば、自分が映って、自分と同じ動きが見れて面白いものだと思う。
そして、子供たちもその鏡の世界をじっと見ていることがある。
ちょっと不思議そうに。
これが僕か・・・これが私か・・・と見つめているのかも知れない。
その姿をみて、僕も思い出した、鏡の違和感。
高校生の時感じた「あの、誰?」って感覚。
鏡の世界。
最近になってこの世界は「マトリックス」「仮想現実」なんて表現されたり、科学者からも、現実はきちんと実体のあるものではないような言われ方をすることもある。
実際にバーチャルリアリティの技術も格段に上がっている。
リアルとバーチャルが混沌としてきた。
もしかして、僕らが見ているこの世界が仮想なのではないか?
そんな仮定をしながら、高校生の時の不思議な感覚を自分なりに読み解いてみたい。
鏡の正体・・・
鏡は自分の顔が映るけど、それと同時に自分の背後、後ろが映る。
自分の後ろは常に、見えない。
今、後ろであるところを振り返っても、振り返ったら自分からは、前になる。
常に後頭部の方向は見えない。
今まで一度も見たことがないし、これからも見ることが出来ない。
でも、ここで鏡を使う。
自分の前に鏡を立てると、後ろを見ることが出来る。
常に顔が向いている方向しか見れない私たちが、その反対側を見ることが出来る。
これは自分の姿をチェックするだけの機能ではなく、決して見ることが出来ないもう一つの、後ろの世界を映すことが出来るという機能がある。(三種の神器の一つが鏡というのは意味深い)
そして、ここに映るのは自分の顔!よくよく考えると不思議!
鏡に映るのは後頭部の方向。自分の顔は本当は後ろの世界だ。
前にはない。
だから、決して見ることが出来ないのが実は自分の顔。顔面。
そう考えると恐ろしい気がする。
あれだけ意識する自分の顔はほんとうは後ろの世界。
だからか!鏡で自分を見た時に「だれ?」と感じたのは。
顔は後ろの世界の象徴だったのだ。
そこで、マトリックス、仮想現実の世界とここを繋げてみる。
この、顔が象徴する後ろの存在を一つの世界で共有して、作り上げた場が仮想現実とする。すると鏡の世界=仮想という解釈が成り立つ。
そしてその鏡の世界、鏡の中の仮想現実に生きているのが私たち自身だという根拠で、この世はマトリックスなのだ!という解釈はあながち間違っていない。
既に、鏡の世界に、鏡の中の世界に生きていたのか・・・?
そして、その世界を共有するために必要なのは言葉という共通の概念。
リンゴという言葉を聞いた時、頭の中に「リンゴという共有イメージが」立ち上がることが必要。
つまり、私たちは既に鏡と言葉で仮想現実を体験してきたのではないかという大胆な仮説がなりたつ!
そして、そして、これからの新時代!
鏡の外へ出るときだ。
もしかして『鏡割り』とはそういう意味かも。
このある種の囚われに気づき、そこから出ようという気運を僕は感じる。
その方法は人それぞれ様々。
「ありのままで生きよう」「好きなことをしよう」「断捨離をしよう」「本音で生きよう」
そういう心の動きは、鏡の世界から飛び出そうとする、私たちの意識の変容なのではないかと思っている。
後ろではなく、前に存在の実態を感じるとき。
その鏡が開かれる時だ。
そして、私たちは既に概念で、言葉で繋がっている。
繋がりという概念を知っている。
目を閉じれば、世界中の人々が手を取り、繋がっている姿を想像することが出来る。
ここまで来たんだと思う。
そしてこれから、一気に前に出る。
オセロの白黒がひっくり返るように一気に前に出る。
今まで鏡の中で育ててきた繋がりを前に引っ張り出す時だ。
見られた自分ではなくて、見る自分を取り戻す。
そんな時代がいよいよやってきた。
そして、見る自分、顔のない自分。
その自分からすると、本当のわたしの顔は実はあなたの顔だ。
みんなの顔だ。
だから、あなたの笑顔を見ると嬉しい。みんなの笑顔をみると嬉しい。
そんなのあたりまえ。
だってそれがわたしの顔なんだから。
そんな感覚が前の世界に出た感覚。
そんな感覚になると、世界が愛おしい。
この世界が愛おしいという感覚、誰でも一度は経験したことがあるのではないかと思う。
たとえば、恋愛が成就した時、行きたかった場所に行ったとき、夢が叶ったとき、大好きな音楽を聞いている時、この世界ごと抱きしめたくなったはずだ。
その感覚を取り戻そう。
それは条件付きではなくても出来るはず。
今、ここから出来るはず。
鏡の世界で生きてきた『私』をしっかり抱きしめて、新しい世界へ進む。
もう、その準備は出来ている。