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『この世界で俺だけが邦画が面白いということを知っている』というチート能力に気付いたので、ここ数年の面白かった邦画を紹介する

ここ数日ボケッとtwitterを眺めていて、あることに気付いた。
みんな、邦画が面白いということを忘れている。
そしてその中で、自分だけが邦画が面白いということを憶えている。
もしかしてこれが、いま流行りの異世界転生というやつなのか。
『この世界で俺だけが邦画が面白いということを知っている』というのが一種のチート能力なのではないだろうか。
チート能力にしては無双にもハーレムにも結び付かなそうなのがイマイチ納得いかないが、何にせよ授かりものは存分に活用したい。


てなわけで、この能力によって自分が知っている、ここ四年程で観た(恥ずかしながらこれ以前は自分も「邦画なんて…」タイプの映画ウォッチャーであった)面白かった邦画というのを紹介しようと思う。
まず厳選に厳選を重ねた15本について簡単なコメント付きで書いていく。
これは後に同種の異能に目覚めた人の助けになればという意図からだ。
それから、ざっくりと面白かった邦画をリスト化したものを載せておく。これは全93本からなっていて、上の15本のリスト作る前準備で出来た副産物のようなものだけど、近年の邦画の豊かさが何となく見える化しているんではないかと思う。
もっとも、自分が観ているものなんて本当に氷山の一角のはずで、これもごく一端の一端ということにしかならないだろう。


2016~2019 特に好きな邦画15

何本かこれ以前の作品も含まれてるのだが、旧作で鑑賞したもので特に感銘を受けたものは入れてしまった。
新作でつぎつぎ良さげな邦画が公開されていくから、旧作は基本的に合間合間でチェックするくらいの片手間になってしまうのだが…。


残穢(2016)

ダークツーリズムなんて言葉もあるけど、さしずめダークアースダイバーか。おかしな事が起こる土地の来歴を調べて遡り、呪いの根源を探る話。


今やJホラーなるものも遠くなりしで、資料的な性質を帯びた概念になりつつある。
ただ、何しろ、ホラーというジャンルにあってはそれって別段悲しむことでもないだろうと楽観的に構えている。
ことホラーにあっては、刻めたら充分、と考える。
刻まれたのなら、それはいずれ必ず、呪いのように立ち返ってやって来るからだ。
潮の満ち干きにも似た、その亡霊的な運動によって、ホラーという表現は先を開いていく。
幽霊は、いちどそこに死があって、その死が忘れられたあとに、場の記憶の歪んだ表象としてそこに現れる。
そういうことで言うなら、Jホラーの終わり、成仏したかに見えたときにやってきたこの呪いは、とびきりおぞましいそれであるように思う。


聲の形(2016)

聾の子どもをいじめてしまった子が、大きくなってそのことを償おうとする。

やはり京アニはアニメ映画というものを変えたように思う。
自分がとりわけ衝撃を受けたのはこの作品だ。
萌えアニメ的な言語を用いて、映画を語る…語るってか、うたう、映画を歌うことはできるんだ、そういう驚きがあった。
うたう。
物語の核をまるごと音楽に託す。しかもその音楽はノイズミュージックだ。
物語は抽象的なそれじゃなくて、とびきりにドラマティックでエモーショナルだ。
すごくプリミティヴな表現だと感じる。
ノイズ、世界の音、の上で、あらゆるしぐさは踊りになるだろう。
細やかなしぐさの集積によって命を描きだす。
それって多分、アニメーションという言葉の意味そのものでもある。
アニメーションは、表現の根本的な性格として、命を美しいとうたわずにはいられないのではないか、と、そういう大それたことを考えてしまう。
とにかくあのジェットコースターのシーンが忘れられない。見直すたびにボロボロと泣いてしまう。


怒り(2016)

殺人犯が指名手配になる。もしかしたら自分の近くに最近やってきたあいつが殺人犯なのではないか、と思い悩む三組の人びとの話。

話としてはそんなにスケールの大きなものとは思わない。
ただ、そことは無関係な映画としてのデカさは、作品の格調によるものではないだろうか?
美しいショットが連なり、映像に血を通わす音楽があり、最高の演技が応える。
重力が増すような圧を持った作品で、気楽に見られるものではないけど、映画で充たされるような体験になる。
疑うのは、信じたいから。誰にも覚えのあるジレンマを取り扱ったドラマで、そんな普遍性も映画のデカさに寄与しているのかな。


バチアタリ暴力人間(2010)

心霊ドキュメンタリーを撮りに行ったらとんでもない暴力男二人組に絡まれ、出演料を出せ、でなきゃオレらを主役に映画を撮れと脅される。

今、なんでこの作品をここで挙げようと思ったのかちょっと分からなくなった。
ただ、多分自分の中には、映画を求めてやってきた人にこそこの映画を叩きつけてやりたい、という暴力性が常に存在している。
笑えないコメディ、というべきか、笑いというのは、「規範」「常識」「(こう行ったらこう来るという)流れ」みたいなものが破壊されることで生じるのだが、この映画が最後に破壊するのは、映画という枠組みだ。
観た人が、そうしてやって来るクライマックスを、どういう表情で眺めるのか?
そのことに興味がある。


淵に立つ(2016)

父の昔馴染みが出所してきたというので受け入れる家族の話。

コレジャナイロボってあるけれど、「望まないプレゼント」こそ、われわれが本当に欲しているものではないだろうか?
『ファニーゲーム』で白シャツの二人組が言うように、最悪の結末をこそ、われわれは待ち望んでいるのではないだろうか?
トーンが一転するこの映画の後半部は、そんな問いのためにあてられている気がする。
映画の半ばでもう最悪の結末が訪れてしまう。
そのあとの残りものをどう味わうか、そこに焦点がある。
最悪の終わりがいつまでも終わらない、それは最悪を超えている。
色や音を使って直観に意味を叩き込むソリッドな表現も素晴らしい。


永い言い訳(2016)

妻が事故で死んだとき、不倫相手と会っていた。
後ろめたさで潰れそうになる。でも愛してなかった。

西川美和監督の映画はどれも大好きで、どれを挙げようか、特に『ゆれる』とは最後まで迷ったけど、こちらにした。
11年以降、この国で作られる物語の中で、「喪失」、「大切なものを喪失したあとの時間をどう生きるか」、みたいなことって、ひとつの中心的なテーマになっている。
この物語もその「喪失と再生」の話の一形態だと思うんだけど、特殊なのが、「失くしたあとでそれが大切だったんだと少しづつ気付いていく」みたいなこと。
ただそれって、「喪失」の実感をより鋭く捉えているようにも思える。
だから深いところで何かが癒されるような、許されるような感覚があって、優しくて好きな映画。


アイスと雨音(2018)

中止になった演劇と、その現実を受け入れられず練習を続ける演者たちの暴走。

作品を構成する様々な要素が混濁するカオスを生むところに凄まじい熱が生じる。
演劇をテーマにした映画で、ワンカット撮影なのだが、ということは劇中劇とそのほかのシーンが繋がっているということだ。『バードマン』もそうだけど、こっちは小さな規模の劇だからリハにステージなんか使わない、なのでもっとぐちゃぐちゃだ。
更に畳み掛けるのが、劇伴はその場で演奏される。
MOROHAがキャストや撮影クルーと一緒に走り回り、その場でライブを繰り広げ劇伴とする。
ラップだから、音楽がセリフと混じり合って映画は更にぐちゃぐちゃになる。
その先に驚くべき飛躍が待っている。
映画館がライブハウスになるような高揚を味わった驚愕の青春映画。


志乃ちゃんは自分の名前が言えない(2018)

歌が下手なギター少女と、歌うときだけちゃんと言葉が出てくるどもりの女の子が、バンドを組む。

邦画はマンガ原作だから駄目だ、なんて言ったのは誰なんだろうか?
この青春映画のマスターピースにおいて、「半分排除されているような存在」が主題化されていたことがとりわけ深く刺さった。
大仰な言葉で、なにか差別の対象になっているとか、そういう属性ではないけれど、ゆえに排除されていること自体が不可視な存在、ひょっとしたら自己責任の範疇に収められそうな存在、そういう人がここにいる。
いや、もちろん、差別の対象になるような属性とか、そういったものを矮小化するわけではないけど。
ただそういう、「名前が言えない」程度の不全感、いない事にされている存在、そのための避難所として映画や音楽やマンガがあるのは、すてきなことだよな、と思えたのだ。
Yuri Manga、Yuri Comicsとあちらでもいうくらい、「百合」なるものがこの国独特の曖昧な感性なのだとすると、この映画はそういうアンビバレントさを何とか表現し得ているようにも思う。


CURE(1997)

手口のまるで分からない殺人鬼と精神を絞め上げられていく刑事。

思いっきし旧作なのだが、黒沢映画として一本、悩みに悩んでこれとした。
最新作『旅のおわり 世界のはじまり』は既にして本物の傑作だと思うのだが、ウズベキスタンとの合作とあって邦画として挙げるか微妙なとこも感じたので。
ホラーは結局一番見ていて、もはや「面白いとは感じても怖いと思うことはそうそうない」みたいな状況なのだが、そんな中で心の底から怖いと感じる映画があるとしたらそのうちの一本はこれだろう。
何を描いているのか分からない、その揺らぎそのものが怖さ、というような迷宮のような入れ子構造があり、そうして映画を覗き込むうち、映画のほうがこちらを覗き込んでいたと気付く。
根源的恐怖というか、恐怖の源が分からない恐怖を描くっていうのは、作り手にしたら矛盾のような難しさかもしれない。


幼な子われらに生まれ(2017)
そして父になる(2013)

方や、ステップファミリーで連れ子の姉妹と再婚相手の父親が揉める。
方や、六歳の息子が病院で取り違えられた別の家の子どもだったと分かる。

自分が男だからなのか、家族の中でも父子の関係って結構入り込んでしまうテーマ。
このふたつの映画はどちらも、血のつながりのない父子が「父子」という関係を引き受けなおす、というような話。
やっぱわれわれ人間だから、生物学的なつながりだけではどうにも立ちゆかない部分がある。意味として、契約として、関係を結ばなければ。
それって『シャザム!』で描かれていたようなことでもあるんだけど、人間の不便なところとして、生物学的なつながりが必ずしも個人にとって良く作用するわけではない。
でもそれは反転して希望にもなりうる。
われわれはどのようにも繋がりうる、と。


教誨師(2018)

六人の死刑囚と教誨師の対話。

邦画の宝は役者だということを何度でも言いたい。
とくに今、優れた役者が沢山いて。
そういう役者、演技を見せる方法論として、この映画は対話を選んでいる。
対話というのはつまるところ決闘だと思う。
『セッション』とか『フロスト×ニクソン』とか、人間と人間が己の全存在をかけてぶつかり合う映画を「決闘映画」として自分の中で勝手にジャンル化していて、そういう映画が大好きなんだけど。
その意味で、この映画はただただ極上。
無機質な面会室をキャンバスに、人の感情のコンフリクトが生む無数の色彩がぶち撒けられる。


きみはいい子(2014)

虐待親、ボケの始まった婆ちゃん、子どもにナメられる小学校教師の三人が同じ町に住んでいる。
それぞれの物語が微妙に共鳴しながらひとつのテーマを描き出す。

希望とは、翼の癒えた鳥を空に帰すようなことじゃないか。
今いいことがやってきている、というよりは、分からないけど、きっと良い未来が待っている、と思えること。
無数の悲しみや痛みと、その出口に差し掛かるまでの話か。
どの場面も見せ方が考えられているなと思っていて、役者を信頼するからこその長回しと、それに応える最高の演技がある。
途中、劇映画の枠を飛び越えるような、驚きの演出を仕掛けてくる場面がある。
驚くと同時に、すごく美しくもある印象的なシーン。


横道世之介(2013)

横道世之助という変な名前の大学生のことを「そういえばむかし変な奴いたな~~」と友人たちが懐かしむ。

たぶんオタクだからこういうことを思うんだけど、さっきの百合の話もしかり、この国特有の感性として、日常系ってのもそうなんじゃないか。
この言葉ってたとえばマンブルコア的な、ただの日常の話、が指しているものとも、微妙に性質が異なるような。
「どうでもいいことほど宝物にしようぜ」とはサンボマスターが歌っている言葉だけど。その場ではただの石ころだけど後から見たら宝石になっている、ただその気づいた時にはもう触れない、みたいなアンビバレント、それを青春と言ったりする。
過ぎ去ってから気付くことってある。かけがえのないものほど、その時は価値が分からない。
160分ある映画で、しかも大したことは起こらない。ただ、この尺あってこそ爽やかな喪失感を共有できる、という不思議な構造がある。


蜜蜂と遠雷(2019)

国際ピアノコンクールに挑む四人のピアニスト。

ここで書いてる通りなのだが、昨年のベスト作品。
この映画を観てから現時点まで、超える映画に出会っていない。
感想も上の記事で書いた通りだ。
『セッション』って自分のオールタイムベスト映画のひとつなのだが、音楽映画をあの先に進めたのが邦画だということに驚きがあった。
音楽も映画も、美を求める運動なんだよな、ということを思った。


以下は完全におまけで、この4年ほどで自分が観た邦画のうち、観る価値のある面白い映画のリスト。93本。
年も示さずただ作品名を並べただけですみません。
あと、みんなも面白かった邦画を教えてくれ!

残穢
ヒーローショー
愛の渦
野火
渇き。
クリーピー
葛城事件
アイアムアヒーロー
ディストラクション・ベイビーズ
FAKE
シン・ゴジラ
聲の形
フリーキッチン
怒り
悪人
無垢の祈り
この世界の片隅に
ヒメアノール
愚行録
100円の恋
22年目の告白 私が殺人犯です
紙の月
きみの声を届けたい
三度目の殺人
子宮に沈める
そして父になる
そこのみにて光輝く
百瀬、こっちを向いて。
NINIFUNI
バチアタリ暴力人間
オーバー・フェンス
彼女がその名を知らない鳥たち
淵に立つ
グッドモーニングショー
永い言い訳
パプリカ
その夜の侍
僕の中のオトコの娘
海よりもまだ深く
サバイバルファミリー
アイスと雨音
ブランク13
夜空はいつも最高密度の青色だ
さよならの朝に約束の花をかざろう
リズと青い鳥
孤狼の血
友罪
恋は雨上がりのように
万引き家族
歩いても歩いても
あさがおと加瀬さん
ニンジャバットマン
君が君で君だ
志乃ちゃんは自分の名前が言えない
カメラを止めるな!
ママは日本へ行っちゃダメと言うけれど。
のんのんびより ばけーしょん
CURE
岸辺の旅
幼な子われらに生まれ
教誨師
ゆれる
夢売るふたり
ディア・ドクター
佐藤家の朝食、鈴木家の夕食
家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
ミッドナイト・バス
お米とおっぱい
キツツキと雨
きみはいい子
ぼくたちの家族
夜明け
ぐるりのこと
立候補
少女邂逅
小さな声で囁いて
寝ても覚めても
若おかみは小学生!
きみの鳥はうたえる
横道世之介
ウィーアーリトルゾンビーズ
jam
凪待ち
こはく
よこがお
アイネクライネナハトムジーク
宮本から君へ
蜜蜂と遠雷
フラグタイム
さよならテレビ

ロマンスドール

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