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単著第三作『現代奇譚集 エニグマをひらいて』刊行告知+試し読み四話

現代奇譚集 エニグマをひらいて

電子版

ペーパーバック版


Amazon Kindleストアにて、単著第三作、『現代奇譚集 エニグマをひらいて』を刊行する。
私の聴き集めた「奇妙な体験談」をまとめたもので、収録話数は全41話+α。分量は一般的な文庫換算(頁40文字×16行)で約300頁となる。6月1日発売。価格は、電子版1,000円。ペーパーバック(紙書籍)版2,090円。
本書は、新しい読者に向けて実話怪談という世界をひらくこと、従来の読者に向けて実話怪談と出会いなおす機会を提供すること、をねらって編まれている。そのために現在一般的となっているいわゆる「実話怪談本」のフォーマットをつぶさに再検討し、アップデートすることを試みた。本書に組み込まれた仕掛けを楽しんで頂ければ幸いだ。とはいえ、極端に奇をてらっているようなことはないのでご安心を。実話怪談というものをより面白くするような表現方法を私なりに模索してみたつもりだ。
エピソードごとの内容に関しても、(自画自賛のようになってしまうけれども)これまでの単著二作と比較しても最高傑作と呼べるものができたと自負している。
本書は自主出版であるゆえ、読者からのレスポンス、レビューや感想が生命線となる。何卒、よろしくお願い致します。


※7月7日更新:レビュー情報について

本書のレビュー/書評/感想は、本記事冒頭にあるAmazon商品ページほか、読書メーター内の本書ページや各種SNSでも読むことができる。
加えて、以下に個人ブログ(はてなダイアリー)で私が見つけられたものを二点、挙げておく。いずれも著者の私自身が気付かなかったような本書の魅力をうまく掬い上げて文章化して下さっている。購入の参考になれば幸いだ。

こちらは怪談作家の蛙坂須美氏から。
怪談本としてはやや特殊なものとなる本書の構造を紐解く評。一部の内容は、氏が参加した『怪談散華』について私の書いた評と問いを共有し、響きあうものとなっている。


以下は、7000字に及ぶ詳細な書評を通して、文芸/文学としての「怪談」ないし「怪談本」そのものへの批評へとアプローチする内容。もはや、怪談に興味があるのであれば、本書に興味がなくても必読といえるものになっている。



以下、試し読み四話。


試し読み四話


死体忘れ


三十年以上の登山歴を持つベテラン登山者のコミヤさんは、北海道で一週間ほどかけて幾つもの山を縦走したことがある。普段は北関東や甲信越の山を中心に登っているのだが、一年か二年に一度、そうやって遠征登山をしているのだ。
時期は春と夏の間ごろだ。北海道には梅雨がないから、本州よりも天候はいくらか安定している。本格的に夏になると登山者も増えてくるので、静かな山を狙ってこの時期にしたのだという。
山に入って五日目の夜、ある登山者と避難小屋で共に一晩を過ごすことになった。五十代か六十代の、背が高くがっしりとした体つきの男だった。
陽がかなり傾いてきて夕食の時間になり、各々調理を始める。コミヤさんはもう五日目ということで生鮮品は使い切っている。食事はインスタントの米飯とスープ、パスタだ。調理の傍ら、一緒に泊まる男の方を見てみる。あちらの夕食は何だろう、と少し気になったのだ。男は鍋で湯を沸かしながら、チャックで閉じられるタイプのビニール袋をザックから取り出す。その中身を鍋に入れていく。白菜や人参、豚肉、きのこなどが見えた。思わずごくりと喉が鳴る。鍋だ。
見られていたことに気づいてか、男がこっちを見た。ばつが悪くなって目を逸らす。男はまだこちらを見ている。口を開くと、言った。
「……食べる?」
 
コミヤさんは登山前に買った地酒を持っていたので、鍋の礼にとそれを振るまうことにした。登山者同士ということにくわえて酒まで入ればすぐに打ち解ける。山の話で二人で大いに盛り上がった。
男は今日登ってきたばかりで、明日も別の山で泊まってから下山するつもりだという。
自分は今日でもう五日目だという話をすると、「熊には遭遇してない?」と訊かれた。
いや、幸いにして遭ってないね、と答えると、男は「俺、今日の朝、見ちゃったよ」と言った。
思わず「えっ?」と訊き返す。
「いや、トンネルみたいになった樹林帯の中を歩いてたらガサガサッて音がしてさ、周り見てみたら、ちょっと道から外れた森の中に黒い背中が見えんのよ。じっとしてたら森の奥の方に歩いてったんだけどさ。でも熊なんて珍しくないよ。あんたはこっちの方の山に登るのは初めて? 北海道じゃヒグマなんて……普通にいるとは言わないけど、ずっと登ってればいずれ遭うようなもんだよ。俺、四回目。二度は車の中からだけどさ」
男は一息にそんな話をして、ぐいと酒を呷った。
コミヤさんは熊を一度しか見たことがない。更に言えば、北海道と本州では「熊」という言葉の指しているもの自体が異なる。本州の熊と言えばツキノワグマだが、北海道の熊であるヒグマはそれとは大きさがまるで違う。山で長い時間を過ごしていることが急に恐ろしくなった。
「怖いですよね、ヒグマは」
コミヤさんが言うと、男が少し考えるようにしてから答える。
「んー、でもまあ、何かあったとしても、そのときはそのときだから」
その言葉になぜかぞくりとなる。
「いやあ、なかなかそんなふうに割り切れないな、私は……」
そこで会話が途切れて、ふたりで酒を口にした。
そろそろ寝ようかと言いかけたところで、男が口を開く。急に思い出したようにこんなことを言った。
「俺、山で死体見つけちゃったことあるんだ」
 
俺、道内の山をずっと登ってるから、ある程度バリエーションルートとかも分かるんだ。それでそのときも、登山道外れた森ん中を歩いてたわけさ。まだ標高は低くて、半分藪漕ぎみたいな感じでね。でもそこには何度か来たことあったから、地図見れば普通に歩けるんだよ。もう見渡す限りトドマツの森で、視界全部緑色なんだけどね。
で、そうやって歩いてると、斜面の向こうに見える木の枝に赤い布が結んであったんだ。最初はルートの目印なのかなと思ったけど、それにしては外れたところにあったんだよね。
なんか胸騒ぎがして近づいていったら、木の根元のところで地面が銀色に光ってるんだよ。
よく見るとそれ、防寒シートなんだ。そう。いわゆるエマージェンシーシート。
それがぽこっと膨らんでて、あ、まさか、と思った。
で、よく見たら木の反対側にザックもあってさ。もう土とか枯葉で汚れてボロボロなんだけどね。
どうしようかと思ってるうちに、防寒シートの端の方が目に入った。そこを掴むみたいにして指が見えてたんだ。こういうところに長くあると黒くなるようなイメージがあったけど、やけに白い指だったな。いずれにせよ、それ見た瞬間分かっちゃって。あ、これは生きてない。死体だ、って。それぐらい、圧倒的に、「人」じゃなくて「モノ」だった。
あとから考えると、木の枝に結んであった赤い布、手ぬぐいか何かだと思うんだけど、あれ、変だったな。下のほうにほとんど枝のない木でさ、結んであった枝は高さ五、六メートルみたいなところよ。登って結ぶにしても難儀だろうな。見つけてほしくて、結んだんだろうか。
ま、ともかくね。
そのときは仏さんに手を合わせてさ。不思議とあんまり怖い感じはしなかった。
普通ならそこでもう登るのはやめようってことになるのかもしれないけど、なんでか、折角来たしなあというふうに思って。携帯も通じるところじゃないし、ひとまず山登って、下山してから通報しようと。
で、登って、下りて。それで一週間ばかし経ったころさ。
……いや、うん、分かるよ。おかしいよな。まあちょっと聞いて。
下山は一般のルートを使って下りてきてさ、そしたらなぜか俺、あの仏さんのことを忘れてたのよ。忘れたまま帰ってメシ食って風呂入って寝て、仕事に行って、また寝てさ。
そうやって一週間ばかし経って、あっ、って思ってね。
でも、一週間経ってから通報したらやっぱりさ、なんで今頃? ってなりそうじゃない。そう思ううちに自分の中でどんどん言い訳を用意しちゃってさ。どうせ別の誰かが見つけて通報するよ。そもそも、気のせいか見間違えだったんじゃないか。ほんとに見たら忘れないだろ。寝てるときに見た夢を現実の記憶と勘違いしてるんだよ……ってね。
そう思ううち本当に記憶が薄れていってね。それで次の年のまた同じ頃よ。その山にまた登ろうという気になってね。変だよね。あんな目に遭ったのにね。
で、同じルートでさ。案の定、見つけちゃうんだよな。高いところの木の枝に赤い布が結んであって。
それ見たら、鮮明に記憶が甦ってさ。ああー……、って。
もう見て見ぬふりでもして通りすぎればいいんだけどさ、俺、気がついたらそっちに歩いてっちゃって。で、木の根元のところが色褪せた銀色に光ってるのが見えた。冬は雪が積もるし、状態も変わってくんだろうね。前の年よりも土に埋もれてるように思ったな。それで、その端っこから指が出ててさ。前の年は確かにシートの端を掴んでた記憶があるんだよ。それが土を掻くみたいに手が伏せてて、指先は地面に埋まっててね。まあ気のせいだとは思うけど。もうミイラみたいな、カラカラの指だった。
それで俺、しゃがみこんで仏さんに手を合わせてさ。そこで、あ、と思って。ザックからメシの袋出したら、カップ酒があったんだ。変だよね。車で来てるから山で飲むわけでもないのにね。気がついたら買ってた。なんで買ったんだろうと思って、あ、このためだったか、って。
それでその日も山頂まで登ってね。山下りて、家帰ってさ。そう。あわやまた忘れそうになったわけさ。でも前の年と違ったことがあってね。付き合ってた人がいたのさ。その人は山を登ったりするわけではないんだけど。それで夜に電話で話して、今日あそこの山登ったよって話をしてね、そしたら急に涙がボロボロ出てきて。ああ、そういえば死体があったんだ、って思い出してね。ごめん、ちょっと、また今度話す、っていうふうに言って電話切って、すぐ警察に電話したよ。山の中で遭難者の遺体を見つけたんですけどって。
もちろんその日はじめて見つけたってテイだよ。いや、今となっては本当に分かんないんだ。あの前の年には何も見てなかったんじゃないかって気もする。それこそ夢を勘違いしてるとか。
 
「……ごめんね、変なこと話しちゃって。酔ってるせいかな。ああ、別に酔っ払いの戯言だと思ってさ、忘れちゃってくれていいから。ごめん。俺、外で一服してくるね」
そう言って男はポーチから煙草とライターを掴んで小屋の外に出ていった。
 
コミヤさんが翌朝目を覚ますと、男は寝袋を片付けて歩き始める準備をしている。朝食ももう済ませたようだ。
「おはようございます」
挨拶をする。相手もにこやかに挨拶を返してくる。何となく、昨日話したのが夢の中の出来事のようだった。
「じゃ、俺は行くから」と男が立ちあがる。
コミヤさんは慌てて礼を言う。
「あ、気をつけて。ゆうべはご馳走様でした」
男は少し黙ってから返事した。
「いや、話聴いてくれてありがとう。そっちこそ気をつけてね」


誘拐

ユウダイさんは十年ほど前に、妻のアカネさんを伴って実家を訪れた。
当時はまだ結婚はしておらず婚約者という間柄だったが、二人でユウダイさんの実家を訪れるのは二度目で、そこまでの緊張感はない。アカネさんと両親もすでに打ち解けているようであり、場の空気は終始和やかだった。
 
「これ、七つか八つのときかしらねえ」
「えー、これユウくんですか? なんだか似ても似つかないというか……」
「この頃は可愛かったんだけどね」
少し用があって二階の自室にいたユウダイさんが一階の居間に下りてくると、そんな会話が聞こえてきた。見ると、アカネさんと母親がテーブルの上に写真のアルバムを広げている。
「なに? なんの写真?」
もちろん自分の幼い頃の写真だろうとは思うわけだが、会話に加わるためにそう訊いた。
「これ、××ランドに行ったときのよ。憶えてる?」
××ランド。日本を代表する遊園地のひとつで、子供の頃に両親とそこに行ったときのことはよく憶えている。
あのときのか、懐かしいな。そんな風に思いながら写真を見て、奇妙な違和感を感じた。
巨大なジェットコースターを背景に、デニムの上下を着てキャップを被った少年の写真。顎のところまであって男の子にしては長い髪に、美少年と言っても良さそうな鋭い顔つきだ。
「これ、誰?」
思わず訊いた。
確かに家を出てからは自分の子供の頃の写真を見る機会はなかったが、それでも記憶の中には残っている。もっと素朴な雰囲気の子供だったはずだ、自分は。
ユウダイさんの言葉を冗談と受け取ったのか、母親が半笑いで答えた。
「やあねえ、あんたじゃないの。憶えてない?」
言われてなんとか自分の記憶と目の前のもののすり合わせをしようと写真を眺めていて、遊園地に行ったときの記憶が甦ってきた。いや、記憶が甦ってきたというのは正しくない。そのとき起きた奇妙な出来事を、ユウダイさん自身はずっと記憶していたのだが、今まで何もおかしいと思わずに「普通の記憶」として処理していたのだ。その記憶の「おかしさ」に、そのとき初めて気付いた。
それはこんな記憶だ。
 
遊園地では昼過ぎまでいくつかのアトラクションを楽しみ、昼食にしようということになった。広いテラス席を備えた開放的なレストランだった。食事を済ませて、父は会計に、母はお手洗いにという理由で席を立った。ユウダイさんは少しの間レストランの前で待っているようにと言われた。
ところが、しばらくしても両親とも出てこない。五分、六分と待つうちに不安になってきた。店の中に戻ろうとしたところで、後ろから声をかけられた。
「ユウダイ? ユウダイだね?」
声のした方を振り返ると、知らないおじさんが立っている。短い白髪にごつごつとした輪郭の顔立ちで、父親より二回りくらいは年上に見えた。横に同じくらい年かさのおばさんがいて、連れ合いのように見える。パーマのかかった茶色い髪と肩から下げた大きな鞄が印象に残った。
二人とも遊園地に似つかわしくない格好をしていて、周囲から奇妙に浮いていた。作業服のような薄緑のジャンパーを来たおじさんと、近くに買い物にでも来たようなシンプルなセーターとスカートのおばさん。二人ともにこにこと笑ってユウダイさんの名前を呼ぶ。
状況が呑み込めずにいると、二人は顔を見合わせてからユウダイさんのほうに向き直り、言った。
「じゃ、行こうか」
ユウダイさんも子どもとはいえ、そのときには「おかしい」と思ったはずだ。知らない人についていくなという当たり前のようなことだって、耳にタコができるほど言われている。
それでも最終的にはついていってしまったのだ。
やりとりの細かいところの記憶はないそうだが、両親に関する何事かの話をされて、信じてしまったのだという。
「ああいうことはね、規範としては分かっていても、実際その場になってみると不思議とぐらついてしまったりするんだなと」とはユウダイさんの談だ。
 
言われるがままに遊園地の駐車場まで連れられていき、おじさんの運転する小さな車に乗ってしばらく移動した。途中で眠ってしまったのでどれほど移動したかは分からないそうだが、到着するころには夕方になっていたので、それなりの距離があったように感じられたという。
「ほら、着いたわよ」
おばさんに優しく体を揺すって起こされると、そのまま手を引かれて建物の中に入った。
着いたのはそれなりの大きさの庭と車庫を備えた一般的な一軒家だ。
家の畳の間に通されるとまた眠くなってしまい、起きると夕飯の準備ができていた。焼肉がレタスや人参の付け合わせと大皿に盛られていて、それに白飯と味噌汁という普通の食事だった。とはいえ客観的に見ると何もかも異様な状況なのだが、にもかかわらず「ご飯がとてもおいしかった」という記憶があるそうだ。
食事を済ませると入浴するように言われ、風呂からあがると自分用の歯ブラシやパジャマが用意されていた。その晩はおじさんやおばさんと一緒の和室で布団を並べて眠った。
翌朝起きると、昨晩の夕食と同じように三人で食卓を囲み、質素な和食メニューの朝食を食べた。食事が終わってしばらくするとおじさんとおばさんはどこかに出かけていった。
家を出るとき、「お父さんもお母さんもすぐに迎えにくるから。それまで辛抱してね」「昨日は疲れただろ。今日はゆっくりしていなさい」と二人が言った。
もし仮にこれが誘拐であって、またユウダイさん自身にその認識があるのであれば、二人が家にいないうちに逃げよう、ということになる。しかし、ユウダイさんとしては「あまり面識のない親戚の家に預けられている」くらいの認識で、逃げようなどとは露ほども考えなかった。ただ、学校に行けないことは残念で、罪悪感も感じたそうだ。
 
二人がいない間、家の中を少し探検してみる。
一階は和室と居間、台所、浴室、寝所の和室。昨日で大体の様子は分かっている。
それだけに二階が気になった。
玄関脇の階段から上を覗き込むと、二階はじっとりと薄暗く、天井近くに闇が溜まっているような雰囲気だった。
何度か躊躇したのち、ゆっくりと階段を上がる。ぎいいっ、と木が大仰に軋んだ。
狭い階段を上がりきると、窓のない廊下の左手に三つの扉が並んでいる。最も手前の扉だけが引き戸タイプのもので、生木そのままのような立体的な木目が表面に刻まれている。そこに自然と目がいった。
 
「で、とりあえず手前の部屋から見てみようと思って、引き戸を引いたら、スーッと思ったより軽い感じで開いて。中は畳の和室だったんですけど、最初に目に入ったのが、真ん中に布団が一組敷いてあるんですね。それで、そこに子供が寝てるんです。ただ、顔は分かんないんですよ。上に白い布が乗ってて。……そう。それって亡くなってるってことじゃないですか。ただ、当時幼かったんで、そのことも分からなくて。うわ、起こしたらまずい、とそれだけ思っていて。まあ、亡くなってるとしたら、起きないわけですけど。ただ、その顔の布以上に気になったのが、着てる服が見えたんですよね。布団が肩の下までしか掛かってなかったから。で、その服っていうのが、赤のチェックのシャツとその下の黄色いTシャツだったんですけど、それ、前の日に僕が着てきた服だったんですね。え、なんで? っていうのと、生理的な嫌悪感と、両方ありました。でもやっぱり起こすのは良くない気がするし、返してと言うわけにもいかない。なので、結局ゆっくり扉を閉めて、一階に戻りました。で、窓から庭を見ると、洗濯物が干してあるんです。そこに昨日の僕の服もちゃんとあって。ああ、そういえば昨日風呂に入ったときに洗濯機に入れたな。じゃあ二階で寝てた子供の服も偶然似た服だったのかな。そう無理矢理納得して。で、その日は結局一階でゴロゴロしているうちに眠ってしまって、起きたらおじさんとおばさん帰ってきてて。ちょっと遅い昼食くらいの時間で、温かいうどんが出てきました」
 
食後、ユウダイさんはその場で二人に「お父さんとお母さんのところにはいつになったら帰れるのか」と話した。二人はしばらく黙ってから、じゃあ明日訊いてみようか、というようなことを言った。
翌日、朝食を食べ終わると、その家に来たときと同じ服に着替えた。二人の車に乗せられてしばらく走ると、大きなスーパーか何かの駐車場に着いた。車を降りてベンチに座って待っていると、両親がやってきた。父親が「お母さんと車に戻ってなさい」と言うと、無言の母親に強く手を引かれた。父親はおじさんやおばさんと何か話すようだった。しばらくして後ろで父親の怒鳴るような声が聞こえた。
両親にあのおじさんとおばさんのことを訊いてみようかと思っていたが、帰りの車内では二人は怒ったような様子で、どうにも訊きづらい。あの遊園地で自分が知らない人についていってしまったことに怒っているようにも思えた。
家に戻ると普通に食事が出てきて、翌日からは学校にも行った。
両親に詳しいことを訊くタイミングを逃したまま、時間が過ぎて、それらのことをいつの間にか「親戚の家に数日間預けられた記憶」として自分の中で処理してしまっていた。
 
 
「今思うと何か夢みたいな記憶だし、話しても信じてもらえないだろうから、結局両親にも妻にも何も言ってないです。でも夢にしてはいやに細部まで憶えてるし、自分では、本当にあったことじゃないかって気がしてるんです。ただ、この件で一番嫌だったのは、実家にあった子供の頃の自分の写真なんですよ。自分とは思えないようなシュッとした子供の写真がいくつもある。誰なんだ? こいつは……って。まあ、中学の卒業アルバム見たら普通に自分が載ってましたけど。自分の子供時代はどこに行っちゃったんだろう? って思ってしまいますよね」
もうひとつ気になるのは、あの駐車場でのことだそうだ。ユウダイさんの記憶が正しいのなら、両親は何か知っているはずだ。ただ、そのことを話したときに両親との関係が変わってしまうような怖さもあって、未だに訊けていないのだという。

ガガンボ

ミヤタさんは七年ほど前まで西東京のとある町に住んでいた。
当時借りていた八畳の部屋は、家賃が相場よりも随分と安かった。都市と山林の境目のような町の中で、どちらかというと山林寄りの立地にそのアパートはあったそうだ。
お話し頂いたのは、そこで体験した奇妙な出来事だ。
 
ある休みの日、インスタントで済ませた夕食のあと、少し微睡みながらテレビを見ていた。画面の中ではタレントたちがクイズに興じている。
クイズが二回戦、三回戦と進んだころ、急に部屋が薄暗くなった。天井の照明を見上げると、瞬くように明滅している。十秒と経たず明るさが戻ったが、明滅の前よりも微妙に暗くなった気もする。電球の寿命だろうか。何にせよもう近所のホームセンターも閉まっている時間だし、家に予備の備えがあるわけでもない。明かりなしで暮らしたくないし、次の休みまでもってくれよな、と思う。
テレビに視線を戻して、えっ、と思った。
クイズ番組のスタジオには、クイズに挑戦しているタレント達と、いわゆるひな壇の席に座りリアクションをするタレント達がいるようだ。おかしかったのはそのひな壇側をカメラが捉えたときだ。
一番後ろ、席の背後を何かが横切って、画面の外に見切れるように消えていった。黒くて大きな、滑るように飛ぶ何か。
画面はクイズに挑戦しているほうのタレント達に切り替わる。芸人が的外れな回答をして笑いを取る、特に面白くもない場面が映される。さっき見えたものは気のせいだったのかと思う。笑うひな壇のタレント達。続いて次の問題。
「問題です。避難訓練の『おかしも』。おさない・かけない、」
そこまで問題が読み上げられたところで回答ボタンの効果音が鳴った。早押しした女性タレントをカメラが大きく捉える。
そのまま、二秒、三秒と経った。
女性タレントは回答しない。何でだろう、自分でも分かる問題なのに、とミヤタさんは思った。問題はきっと「しゃべらない、あとひとつは?」と続いて、答えは「もどらない」だろう、普通に考えれば。
頓珍漢な回答でウケを狙っているのか、ど忘れしてしまったのか、気まずい沈黙が続く。このままだと失格で回答権は他のタレントに移るだろう、と思っていたときだ。
女性タレントの頭上から、ふわりと舞うような動きで何かが下りてきた。
大きな黒い虫だった。
楕円の形をした二対の半透明の翅、節くれだった長い脚、同じく細長い腹。鳥肌の立つような嫌悪感を掻き立てるフォルム。蚊によく似ている。ガガンボだ、と思った。にしても、こんなに大きなガガンボは見たことがない。ガガンボは女性のタレントの頭の上にとまる。細い脚を頭の上と肩にかけ、小刻みに揺れている。全長四十センチ程度はあるように見える。どう考えても異常な事態なのだが、スタジオの空気が変わった様子はない。カメラも淡々とその様子を捉えている。一瞬、番組の演出なのかとも疑うが、何か悪趣味の度が過ぎているような気がした。ガガンボは安定する姿勢を探るように足を動かす。その鋭い先端がタレントの肩や顎を引っ掻く。当の女性タレントはというと、ガガンボを刺激しないためか、奇妙に強張った体が震えていた。充血した目からつうと涙が頬を伝うと、薄く開いた唇がわなわなと震えた。
女性タレントの震える唇が開いて、言った。
「もっもっもっ、も、もどらない。もどらない、です」
えっ? 何が?
言葉の意味が分からなくて一瞬混乱するが、すぐに思い至った。クイズの答えだ。さっきのクイズに回答しているんだ。
ビー、とも、ブー、ともとれるような濁った電子音がすぐに鳴った。不正解ということだろうか。にしても音の出るタイミングが早すぎて妙な感じだった。回答の内容なんて関係ない、というような。
カメラは相変わらず女性タレントとその頭の上のガガンボを捉えている。
ミヤタさんは、画面越しにだが、その女性タレントと目が合ったのをはっきりと感じた。またぽろぽろと涙を零した女性タレントが震える唇で言った。
「たったったっ、助けてください。い、死にたくないです」
 
番組はぶっつりと途切れるようにCMに入る。見慣れた夜九時からのドラマの番宣が流れ出す。
何だ今のは?
混乱と怖さを覚えると同時に、テレビ局に電話を入れて確認すべきなんじゃないかという考えが浮かぶ。
そこで頭上の照明がちらつくように明滅した。ジジジッ、と音がする。それが電球の微かなノイズのようなものでなく、妙に厚みというか立体感のある音だったので、自然に頭上に目がいく。
ガガンボが照明にぶつかるように飛んでいた。
わあああっ、と思わず大きな声が出て、腰が抜けたような姿勢のままその場から後ずさる。ちょうど背中が当たったカーテンを開けて、窓と網戸も全開にした。這うような姿勢で部屋の反対側に逃げる。
ガガンボはしばらく天井の角にぶつかることを繰り返していたが、浮遊するような脱力した動きで音もなく窓の外に消えていった。すぐに窓を閉める。
テレビはバラエティ番組に戻っていたが、クイズなどはしていなくて、世界の奇妙な祭りをタレントが体験する、というものになっていた。もう見る気にもならず、消した。
 
後日、番組表を確認してみたが、その時間は最後に見たあの祭りのバラエティ番組だけが放送していたようで、クイズ番組についての記述は見つからなかった。
うろ覚えの文字列だったが、あの女性タレントの回答席に乗せられていた名札の名前も少し調べてみた。タレントの情報が出てくることはなかったが、某県の県警の行方不明者の名簿が引っ掛かる。見ようとするとPDFファイルのリンクに行き当たった。なんとなく、顔写真なんかが出てくるのではないかと思って、怖くて開けなかった。ただ、その行方不明者の年齢は五十代で、あのタレントは見たところ三十代前半だったから、無関係にも思える。
 
ミヤタさんはこのこと以来、ガガンボが怖い。家の全ての部屋に殺虫スプレーを置いている。
「あのクイズ番組の中で出てきたガガンボがすごくデカかったからあのときは気づかなかったんですけど、自分の部屋に出たガガンボの大きさもなんか変でした。自分の手のひらより大きかったくらい。今こうやって思い出してもほら、」
めっちゃ鳥肌立つんですよね。粟立った腕の皮膚をこちらに見せながらそう話してくれた。

ラーメ

カズヤさんが以前に住んでいた街で、贔屓にしていたラーメン屋があった。
駅のどちらかというと寂れている側の出口を出て、線路に沿うように続く狭い通りを数分歩く。テナントのろくに入っていない商業ビルの前を通り過ぎて、パチンコ屋の角を曲がり、脇に伸びる路地に入る。
道の奥まったところに半地下に下りるような階段が続き、その先に店はあった。
 
店で出すラーメンは、複数のダシが交わる濃密なスープの香りをラードの下に閉じ込めた、いわゆる旭川風だ。
醤油ベースの味付けはくどくなく、すっきりしているようでいて濃厚な味わいがある。癖の強いラーメンが幅を利かせるようになって久しい昨今、その店が出すラーメンは、カズヤさんにとっていつでも「ちょうどいい」ものとして重宝したそうだ。
店内は厨房のまわりを囲むカウンター席だけの小さなもので、店主と曜日によって違う顔ぶれのスタッフの二人でいつも営業している。店主は五十代に見える朴訥とした男で、「いらっしゃい」「またお願いね」と低いがよく通る声でかけてくる言葉には不思議な温かみがある。店は流行っているというわけではないけれどいつも半分程度は席が埋まっていて、程よい賑わいがあった。
 
十二月のその日もまた、職場での少し早い忘年会を終えた帰りに店に寄ったそうだ。
静かな通りを抜けて路地に入り、緩い傾斜の階段を下る。いつものように見慣れた分厚い木製の扉を開けた。
店内に足を踏み入れた時点でもう、妙な感じがした。何か様子がおかしい。
はじめは照明の調子が悪いのかと思った。天井を見上げるが、しっかりと照明はついている。なのに妙に薄暗く思える。流れている有線の音楽は変に低音が強く、くぐもっているように聴こえた。
肌に触れる空気の感触も妙だった。いつものようにちゃんと暖かいのだけれど、それがどこかハリボテの、嘘っぽい暖かさなのだ。厨房からの薫り立つような熱が全然感じられず、暖房の入れすぎで乾燥したオフィスのような、不快な空気だった。
店主が「いらっしゃい」とぼそりと言ったのを聴きながらカウンター席につく。自分が酔っ払っているせいで感覚がおかしくなっているのだろうか。そんなふうに思いながら、メニューも見ずに注文をする。店名の冠されたラーメンに、白髪ねぎと追加のチャーシューのトッピング。また店主が何かぼそぼそと言う。注文が出てくるまでの間、店内の様子を窺う。変にもったりとした感触のおしぼりで手を拭い、卓に触れると少しべたついた感触がする。やはり感覚的な誤差の範疇とも言えそうだが、全体的にどこかおかしい。訝しく思いながら壁の日めくりカレンダーを見て、え、と小さく声が出た。自分の携帯を取り出して確認する。間違いない。日めくりカレンダーは昨日の日付のままだった。一日くらい剥がし忘れることがあるかもしれない、と頭では考えながらも、嫌な胸騒ぎがした。
セルフサービスのお冷を取りに行くとき、カウンター席の別の縁に座った客が見えた。十代半ばに見える、金髪で上下スウェットの若者がいる。カウンターの上で片手は携帯をいじり、もう片手にはビールのジョッキを握っていた。その奥、カズヤさんが座る席から厨房を挟んだ反対側にいた二人が妙だった。スーツを着た男の二人組なのだが、すでに目の前に供されているラーメンに一切手をつけようとしない。ただ微動だにせず、ラーメンを見つめている。無表情なその顔はのっぺりして作り物めいている。
お冷を注いで席に戻ると、自分のラーメンがすでに席に用意されている。見た目はいつも通りのラーメンだ。ただ、湯気が一切立っていない。内心では、駄目だ、と分かりつつも、どんぶりに箸を入れる。スープの表面に張った膜がまとわりついた。レンゲに掬った麺をすする。湯を注いで十分経ったカップ麺のような味がした。
駄目だ。最後まで食べられそうにない。自分では気づかないだけで、飲みすぎて本格的に調子が悪いのかもしれない。苦し紛れにお冷を口に含んだとき、カウンターの上のメニューに目が行った。
 
 イノチソラーメ、九四〇円。
 呆素ラーメ、九七〇円。
 クンソンソラーメ、一、一回〇円。
 
そんなものが十品目ばかり並んでいる。
店主に悪いが、もう今日は無理だ。あと一分でもここにいたくない。財布から取り出した代金をカウンターに置く。
立ちあがったとき、厨房を挟んで反対側、スーツの二人組が座る席の方が見えた。
二人のものと思しいそっくりの黒いコートが二着、壁に掛かっている。
その脇、店の隅の壁際に、女が立っていた。先ほどまではいなかった女だ。赤いキャミソールワンピースを着て、乾いた紙粘土のような白い顔をただ前に向けている。その視線だけがのろっと動いて、目が合った。
カズヤさんは何も言わずに足早に店を出た。最後にちらと見た厨房の店主は、タモの中で麺が茹で上がるのをどこか恍惚とした表情で見つめていた。
本当に何だったんだろうと思いながら、一度だけ店の方を振り返る。看板は××ラーメ、となっていて、最後の「ン」がどこかに行ってしまっていた。木に文字を彫り込んだような看板だったので、間違っても突然一文字消えるなんてことはありえない。ただ、もしかしたら自分が気づいていなかっただけで以前から「ン」はなかったかもしれないと、馬鹿げているがそのような考えが一瞬だけ頭を過ぎった。
いつもなら光が漏れている扉の摺りガラスの窓は、営業などしていないかのように真っ暗だった。
 
 
それからしばらく店に近づけなかったが、翌年になってしばらくして、あれはやっぱり気のせいだったのではないか、と思えてきて、見に行ってみた。
店はなくなっていて、看板も取り外されており、扉がテープで塞がれていた。老朽化したみすぼらしい建物だった。
その年の春に、女性が駅前のビルから飛び降りて亡くなったという話を聞いた。彼女が働いていたのは駅の栄えている側にある繁華街だったが、飛び降りをしたのは線路を挟んで反対側の方のほとんどテナントの入っていない寂れた雑居ビルだったらしい。あのラーメン屋のすぐ近くだ。
それから間もなくカズヤさんは、なんとなくだが、潮時だなと思って今の街に引っ越した。それ以来あの街に戻ったことはないし、もう戻るつもりもない。もう歳だというのもあって、ラーメンも食べない。



本書の刊行のいきさつ

本来書く必要のないことだが、本書については、読者の皆様をとても長くお待たせしてしまった。前回の『蜃気楼』が出たのが2021年の10月末だから、一年半ぶりになる。私はエゴサーチをたまにするから、待ってくださっている読者のいることを分かってはいる。この項は、そういった皆様に向けて書いている。
まず、本書の第一稿は、昨年末には完成していた。アンソロジー『怪談四十九夜 病蛍』に参加した折、担当編集の方からの「次の単著もよろしくお願いします」との言葉があって、執筆を本格的に始めたものだったと記憶している。
原稿をひとまず完成させて提出したのが年末であるが、そこからが難航した。四ヶ月ほど編集からのリアクションがなく、二度目の追加原稿の提出に伴い、そろそろ出版に向けて動きたい旨を伝え、現状を訊いた。私の本は部数が出ないため企画として成立しない、というのが返答であった。……

(※誤解させるかもしれないので追記しておくけれど、これは「大きな企業の論理というのは難しいね」「現状の中で実話怪談で書き手としてやっていくのってマジで厳しいね」という話であって、編集の方個人には非はないはず。空白の期間にも出版のために動いていてくれたのだと思われる。デビューから本当によくしてくれたので、感謝してもいる。じゃあなぜこう書くかといえば、この点が見えないと私が「依頼もないのに勝手に原稿書いて送りつけたやべーやつ」になるからである)

……リアクションが途絶えた時点でそのあたりは何となく予想してはいたので(といってもかなり落ち込んだが)、すぐに電子出版の準備に取り掛かった。
そうして原稿をブラッシュアップし、編集を加え、一冊の本としてまとめたものが本書になる。苦肉の策という側面もあるけれど、この形態で良かったと思う点もある。
現行の怪談本は昔からの根強いファンをベースとして商業的に成り立っている面が大きく、そこでは部数が出る本というものは概ね決まっている。ご当地本や呪い関連、ベテラン作家のもの、ガチ怖(厭系)、というようなラインがそれにあたるようだ。
ここでは、何か新鮮なものをつくろうとしても、旧来のファンが離れてしまう、という理由で難しくなっている。それ以上に新しい読者がつくのであればいいわけだが、そのエビデンスがないということで企画にならない。試行しなければエビデンスも何もない以上、原理的に新鮮なものをつくることは相当に難しいという環境になっている(もしあり得るとしたら新人作家の一作目、みたいなケースだろうか)。
この制約はかなり強く、たとえばタイトルの横文字・横書きはNG、なんてあたりまで言われることになる。私のような零細作家ならなおのことだ。
であれば、何千部という商業出版の単位では難しくとも、もっと小さな単位で新たな読者にアプローチしてみたい。表現として自身の意思を十全に反映させた上で、かつ活動が継続可能になる規模というものを考えてみたい。そのような思いから電子出版に踏み切った。
今回は、具体的にはまず三百部、最終的に五百部まで出れば充分に採算がとれ、成功だと考える。高い目標だとは承知しているが、本書にはそのポテンシャルをしっかりと持たせたつもりだ。
このようないきさつであるから、私の方でも本書をより広く届けるために力は尽くすけれども、読者の皆様にもご助力を願いたいと思っている。
繰り返しになりますが、『エニグマをひらいて』をどうぞよろしくお願いいたします。


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