登山旅行記 屋久島の鯨②
2月27日(木)
写真が物凄くブレていて悲しい。
まあともかくこの日は午前五時にタクシーにゲストハウスまで来てもらう。
そのまま宮之浦岳の登山口・淀川登山口まで、約一時間。
六千円強かかった気がする。
時期によっては登山バスがあったりするのだが、静かな山を楽しむためにあえてそのタイミングを外して来ているので仕方なし。
ここぞの贅沢というやつだ。
六時頃に登山口に到着するが、この日の日の出は六時五十分。一時間ほどはヘッデン(いわゆるヘッドライト)の灯りを頼りに完全な暗闇に沈む森の中を歩く。
沿岸部の居住区の気温は日中で二十度前後あったが、この登山口は標高1300メートルを超えていて、屋久島とはいえ氷点下近い気温。
この宮之浦岳は今年のような暖冬でなければかなり積雪し、冬山装備が必要な山岳だ。
荷物を圧縮するために38リットルザックで来ていて、シュラフとマットは外付けになる。
この取り付け方でしばらく試行錯誤する。
シュラフが下でマットがサイドというのがコンパクトかと考えたが、歩いていると位置がずれたり、落ちてくる。
色々試した結果、安定するのは上の図の形と判断して、以降この形で進む。
大木・巨樹が大好きだ。
登山のひとつの目的がそれだ。
この屋久杉の森は、そういう観点からいうと、天国のような場所。
無数に立ち並ぶ巨大な木のどれもが、長大な時間が刻んだ唯一無二の表情を湛えている。
一時間ばかり歩くと淀川避難小屋に達する。
今回は麓の町で前泊しているけれども、初日に遅めのスタートでここまで来て宿泊するというやり方もある。
その場合には山中泊二泊となって、必要な荷も増えれば体力的な負担も増えるのだが…。
淀川小屋から先の森は屋久杉の聖域だ。
ここでしかお目にかかれない摩訶不思議な風景が広がる。
先に進んでいくと森林が途切れ、視界が開ける。
背の低い植物に覆われたピークには奇妙な巨石が姿を覗かせ、突然現れる湿原なども独特の景観を作っている。
登山道には徐々に花崗岩の露出した岩場が現れる。
ロープを使って崖をよじ登るような場面もあり。
それ単体では何ともないのだけど、困るのは岩場の表面が凍結しているパターン。
何度かスリップして転倒してしまった。
写真だとイマイチスケール感が伝わりにくいのだけど、これらの奇岩群はそれぞれかなり巨大なもので、古代遺跡のような妙な風情がある。
そんな中を歩きながら正午ごろに宮之浦岳山頂に達する。
ここの特徴は何と言っても360度広がる海の眺望。
当然ながら他の二千メートル前後の山岳ではありえない風景だ。
ここに立つと、屋久島は確かにほぼ正円状の形をしているのだということがよく分かる。
この日は雲一つない晴天に恵まれたのも僥倖。
小説『浮雲』では「屋久島はひと月のうち三十五日雨が降る」なんて言われてるほどで、本当に雨が多い。
宮之浦登山の日にこれほどの好天になったのは本当についている。
山中の食事では基本的にこの辺りの携帯できる食料を利用した。
野外用コンロで湯を沸かして注いで何分、というシロモノ。
このモンベルのリゾッタシリーズは素晴らしい。
この手のアルファ米を用いた即席食品は「湯を注いで十五分」なんてのが多くて、そういうのって山頂の気温では食べられるころには冷めてたりする。
その点これは三分で出来てしまって、温かいものが食べられる。
とはいえ食事の都度水は大量に消費する。
岩場を流れ落ちる水を追って水場を探し、補給する。
屋久島登山の素晴らしい点は、水筒さえあれば水自体を持ち運ぶ必要がほとんどないこと。
屋久島の水はきわめて清浄で、山中はおろか町中を流れる河川の水もそのまま飲めるほどらしい。
山中で頻繁に見かける水場のどこの水も、そのまま飲用して問題ない。
この縦走コースでの必須アイテムのひとつがこのトレッキングポール(ストック)で、これほどの長距離でかつ大荷物になってくると、これによって軽減できる負担がバカにならない。
この吊り下げているゴム紐はオスプレーのザックに標準搭載されているポールハンガー。
今回のようにちょくちょく岩場が登場するような登山道だと、ポールの出し入れが面倒になるのだが、これはそこを非常に簡略化できて助かる機能。
宮之浦岳山頂から下ってしばらくすると、樹林帯へ。
奇妙な植生の数々。
巨岩。
再び屋久杉の森へ。
この辺りで時間を見て微妙に焦る。
日没が十七時頃で、その前に縄文杉に辿り着く必要があったからだ。
縄文杉を翌日朝に回す場合、明るくなるのを待つと出発は七時前後になる。
それでも下山に困るということはないのだけど、時間が後ろに回ると別の問題が出てくる。
宮之浦岳を狙わず縄文杉だけを目的にした日帰りツアーというのが多数あって、そちらは今回の自分にとってのゴール、白谷雲水峡から入山する。
その人々とかち合うようになると、自分の最大の楽しみのひとつである静かな森歩きというのが楽しめなくなる。
そんな割と自分都合なだけの理由から先を急ぐ。
そんなわけでお待ちかねの縄文杉。
なんとか日没に間に合った。
周囲にデッキが張り巡らされ、六、七メートル離れたところから眺める形になるが、それでも巨大。
巨大という以前に、"生まれてこのかた一度も見たことのない種類の植物"という感じがする。
それほどに異様な姿をしている。
巨大さという横軸のサイズ×重ねてきた時間という縦軸のサイズの掛け算が醸し出す存在感のコクは凄まじい。
時間というものに思いを馳せながら幾らでも眺めていられる。
屋久杉の森と宮之浦岳山頂に続いての貸し切りというのも最高。
縄文杉までは日帰りコースだとしても往復で八時間はかかるため、これはこの近辺での山中泊をする登山者のみに許された贅沢な特権だ。
というわけで高塚小屋。
ここから歩いて一時間と少しのところに新高塚小屋という避難小屋もあって、縄文杉の近くで山中泊の場合、そのどちらかを利用することになる。
この高塚小屋は三階建てで結構な人数を収容できるようになっている。
避難小屋を利用する場合にはシュラフなどの寝具が必要、というのは先に書いたけど、他にもちろん電気が通っていないので照明もない。
利用にはヘッデンの灯りが必須になる。
小屋の中とはいえ夜は冷え込むので防寒対策もしっかりと。
この日は夕食をとったあと縄文杉直下の水場で水を補給し、しばらく読書して過ごす。
木々の隙間から覗く星を眺めて二十二時前には就寝。
2月28日(金)
午前五時に起床して朝食をつくる。
この圧縮パックのラーメンは普段の登山でもよく利用する。
カップ麺のサイズだと邪魔なときにお役立ちの一品。
昨晩汲んでおいた水でインスタントコーヒーを作る。
縄文杉の水で作る朝コーヒー、とんでもなく贅沢。
身支度は昨晩にほぼ済ませていたので、荷物を背負って暗い木道を歩きだす。
三十分ほど歩くと、支え合うように枝を絡ませた二本の巨木が目に入ってくる。
有名な夫婦杉だ。
写っている他の樹木から、そのサイズは推して知るべし。
そこからもう少し進んだ先に、鯨がいた。
しばらくその存在に呑まれたようになって、その場から動けなかった。
動画だと少しは伝わるものがあるだろうか?
しばらくすると霧がかかってきた。
この僅かな邂逅の間に存在をこちらに誇示するように、様々な顔を見せてくれた。
とりわけ、根元の表情の美しさに心を奪われる。
これほどに圧倒的な存在の美に、今までの人生でどれだけ出会ったか。
巨大な存在というのは、言語を超えた言語みたいなところがある。
存在だけで、言語以前の、名状しがたい何かをこちらの心に刻み付けてくる。
だからたぶんこの時間のことはこれからずっと忘れないだろう。
森で見た鯨のことを。
大王杉のもとを過ぎてすぐに注意書きがあり、それを読んで驚いた。
大王杉は倒れるかもしれないらしい。
様々なことを思うんだけど、まず来る前には知りもしなかったこの木のもとをこのタイミングで偶然訪れたという巡り合わせに感謝する。
それから、死にゆくものだからこその濃厚な存在感だったのかなとも考える。
死が迫ってなおあの姿で佇んでいることの気高さに改めて敬意を抱く。
そこから更に斜面を下っていくと、CMやポスターで有名なウィルソン株に達する。
これも生前にはどれだけ巨大だったのか…と思わせる。
更に進んだところに現れる翁杉は、平成二十二年に倒木したらしい。
あの大王杉を見た後だからこそ胸に迫る光景だ。
原生林を抜けるとトロッコ道になる。
材木を運び出すために使われていたトロッコのレールの遺構で、日帰り縄文杉ツアーの人びととすれ違う。
今回とったコースでは下山口となる白谷雲水峡は美しいコケの森だ。
景色を楽しみつつ、息を整えながらゆっくり歩く。
ダイナミックな沢伝いの歩道を通って、コースの終点に達する。
このとき十四時。
ここからのバスは時間一本程度出ている。
一時間ほどで宮之浦の町に到着。
フェリーの港のバス停で降りると、レンタルの山下さんの宮之浦店が見える。シュラフとマットを返却。
「民宿屋久島」さんに到着、荷物を置いてシャワーだけ浴びさせてもらう。
昼を食べていなかったので外に出るも、ランチタイムが微妙に過ぎていて店がどこも閉まっている。
スーパーで食べるものだけ確保。
海がすぐなので、ブラブラ歩く。
宿に戻ると夕食の時間で、これが屋久島海鮮料理の豪勢なメニュー。
堪能。
2月29日(土)
最終日。
朝から雨で、やはり自分が滞在していた間うまい事天候が良かったということみたいだ。
宿をチェックアウトすると港までバスで向かい、フェリーのチケットを確保して、土産物屋に繰り出した。
その二階が食堂になっていて、トビウオラーメンとトビウオの刺身セットを食す。
なかなかワイルド。
とはいえ絶品。
すぐにフェリーの時間になり、出航。
鹿児島港までは四時間ほどだ。
屋久島はウミガメの産卵地としても有名で、その保護活動の一環としてフェリーの中でウミガメが飼育されており、観察できる。
心癒される。
鹿児島港からは飛行機であっという間に羽田で、諸々あり日付が変わる頃に家に到着する。
近ごろ香に少し凝っているのがあって、屋久杉を使った香というのを買ってきた。
いまもそれを炊きながらこれを書いている。
行きたいところって、案外行けてしまうんだな、というのを改めて感じている。
でもそれはそこが思ったほど楽園でも何でもないということではなくて、逆に、楽園は意外と近くにある、ということだと思える。
三十過ぎていろいろ見えてきたことというのがあって、そのなかに、躊躇している時間は普通にない、みたいなことがある。
とりあえずやっちゃえ、行っちゃえ、くらいのメンタリティのほうが、叶ったりすることって沢山ある。
まあ、今回の自分のことに関して言ったら、何となく登山経験やスキルとして必要なことを逆算して、準備は重ねてきていたんだけど。
でもやっぱりタイミングは選んでいない。
熟すのを待っていると機っていつまでも来ない。というか、その「機」って、そこに行ったあとで初めて分かるんじゃないか。
いつ倒れるとも分からないというあの鯨のことを思い出しながら、そんなことを考える。
あの鯨と泳いだあとの世界で、そんな風に生きていこうかと考えている。
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