散文・劣等
いかに自分は他人より劣っているかと言われます。あの人はあれだけできるのに、君はこの程度しかできない。年齢だけ重ねて、君はなにもできない。これからは、身体も頭も衰えていくんだよ? なのに、今これっぽちしかできないの? できるうちにもっと頑張らなきゃいけないんじゃないの? 全く、こんなに自分はできない人間だったのかと、唖然とする次第です。自虐的に、いやー自分ダメ人間っすから!と笑っているうちはよいですが、人からてめーは本当にどうしようもねえダメ人間だな!と責め立てられるのは、なかなか辛いものがあります。
何人もの人間が船に乗っていました。しかし、嵐が起き船は転覆。人々は、海に投げ出されましたが、視界の先には浜辺が見える。やった! この距離なら、泳いで浜辺までいけば助かるぞ! みんな浜辺まで泳いでいきましたが、自分だけはまともに泳ぐことが出来ずに必死でなんとか泳ごうとするも、ままならず、ついに呼吸は困難になり、哀れ溺れてしまうのでした。そうして、深い深い海の底へと彼は消えてしまったのです。
と、このような人生になってしまいます。
これは辛い。
溺れ死ぬのを回避するためには、どのようにすればいいのか。前向きに考えなくてはいけない。
浜辺には、なんと浜辺美波がいたのです。しかも、実写版『君の膵臓をたべたい』の頃の!
なんということでしょう! 今にも溺れ死にそうだった彼は、息を吹き返し死に物狂いで浜辺まで泳いでいったのです! やったぜ! ありがとう! 全盛期の浜辺美波!!
陰鬱な感じで始まったこの項に、どう落とし前を付けようかと悩みつつ、ポエジーな比喩表現を使ってみたら、なんとなく浜辺が出てきた段階で、どうしてもこのオチをやりたいという衝動からは逃れられなくなってしまいました。でも、意外に現実でも、生きるか死ぬかの瀬戸際で生き残るのは、こういうタイプなのではないだろうか。実写版『君の膵臓をたべたい』、主演2人のプロモーションビデオとしての性質が強い作品でしたが、それでも良い映画でした。原作小説は住野よる先生のデビュー作でしたが、荒削りな中に強いメッセージ性を感じる、というか住野先生のひねくれた感じがあらわれてて好きです。主人公が文学少年で、太宰治が好きなんだけど、自分の名前(姓)は晩年の太宰と対立した某文壇の大御所作家と同じで、名の方はヒロイン(咲良)ともつながりがある現代のやれやれ系大人気作家と同じ、要するに志賀春樹が主人公の名前なんですが、小説内ではいっさい明示されず、わかるひとにはわかるような仕掛けになってたり、この仕掛けをなろう小説でやったっていうのが傾奇者というか、なんというか双葉社の人もよく見つけたなあと感心しました。ちなみに私は、2作目の『また同じ夢を見ていた』が好きです。前作のメイン読者層がこのSF的な仕掛けを理解できるのか!?と、その挑戦的な内容に驚きました。雰囲気的には児童文学的なのも面白い。(なのに「アバズレ」というメインキャラが登場する)
なんだかよくわからない方向に話が飛んでいきましたが、どうにか生きていきたい今日この頃です。おわり。