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2024.8.28 感情決壊の瀬戸際

理解出来て無かったか、って便利な言葉。
使った人が優越感があり、使われた方、少なくとも私自身は自分だけがわかっていなかったと、劣等感に苛まれる。
コミュニケーションは相手がいて、相手が理解して初めて会話が成立するのだけど、伝える責任は果たしたと言わんばかり。いや、わかる。わかっている人にとっては、1言えば2以上わかるんだろう。だけど、私はわからないのだ。わからないなりに、質問をして、何が言いたいのかを理解しようとはしているんだ。こちらの至らないところは自覚しているけれど、伝える側も、何かこう、言葉を選んでくれないものか。

正直に、今の部長や先輩たちとの会話は理解が出来ていない場面が多い。理解している人たちだけでわかりあい、わからないこいつはどうする?みたいな雰囲気なのだ。
私としても、理解のギャップを出さないように情報を伝えたり、相手が求めている情報を変えそうと必死だ。私自身の会社での立ち位置は、お客さんからの依頼をこなすのに、部長さんや先輩たちに相談してから対応を進める事が求められている。しかし、周囲に相談をする度に周囲からのアドバイスが変わっていたり、前には聞いていなかった指示を受けるような形になってしまう。
私からは適宜必要な情報をインプットしてるつもりが足りて無く、相談者が異なる指示や追加の指摘をせざるを得ない状況を、私自身が招いてしまっているんだろう。
お客様の依頼を周囲に相談しながら進めるにあたって、私はこんなに要領が悪く、お客様の要求にすぐに応えられず、社内では相談を繰り返してしまう。私みたいな人間が間に入ってしまっている事で、周囲の仕事量を増やし過ぎてしまっている、と考えると、全てを諦めてしまいたくなる。この仕事は私には向いていないのだろう、と。

どうしてこうなるんだろう、と私なりに考えてみたけれど、私自身がお客様の目線なり、他者の目線を持ちながら仕事ができていないんだろう。端的に言えば、想像を働かせながら、仕事ができていないんだと思う。目の前に出て来たもの、情報だけを見てしまって、その裏にあるものを確認しようとしなかったり、裏に何かあるとすら思わない。これが出来ないことで、仕事でミスばかり繰り返すのだろうな、と反省している。

見えていないものはどうすれば見えるようになるのか?というと、見えている人と一緒に仕事をする事で気づきを得る機会を増やす事。あるいは見るためのきっかけをくれるような情報に出会えるように工夫する事なんじゃないかと考えた。
今までの私は楽をして、誰かの考えの中だけで仕事をしてしまっていた。誰かの使いパシリでしか無かったから、社会の中で代替が効く仕事しか任されなかった。
おそらく今の仕事は代替がまだ効きやすいレベルの仕事しか担当していないのに、そのレベルも満足にこなせていないのが現状なんだと、自分で自分にうんざりしてしまう。安直に周囲に手本を求め過ぎてしまって、自分でなんとかしよう、自分が成長する事で、手本になれるように努力しよう、という気概をまだまだ持てていないんだろうな、と反省する。

一歩踏み外したら、全てを放り投げたくなりそうな気持ちをなんとか、なんとか、なんとか手放さないように働き続けている。が、そろそろ心の限界を迎えそうな気配。
どこかで休みを取って心機一転、すら図れない。うまく周囲に頼れず、味方がいるように思えない。自分の不出来さに嫌気が刺して、夜もなかなか寝付けず、朝も起きたくない。仕事をし出しても集中力が無い。他の誰かとの会議参加が憂鬱で、怖い。こんな状況や感情をぐっと胸にしまい込んで、また明日も踏ん張らないと。

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