TwitterがXになるとなぜ人は不安になるのかを考えたら壮大な話になったので解説してみた
ついにXになりましたね
賛否両論あるこの件を
解決する事ができましたので
まとめてみたいと思います
気づいた過程を含めたいので
少し遠回りで話します
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スピ、自己啓発系を観察する趣味のある私は
とある心理学と名のつく
インフルエンサーを知る機会がありました
気持ち悪さを感じたのですが
「違和感はチャンス!」って事で
やはりここは深堀して食らうことにしました
この方は信者も多いけれど
批判もよく受けているような方で
今どきのインフルエンサーという佇まい
教えとしては
「人はダイヤモンドと非ダイヤモンドがいる」
「ダイヤモンドは傷つかない」
という頓珍漢なものでした
「いやいや、人間は鉱物じゃねぇ」
と間髪入れずに反論したのも束の間
読み進めていくと
他責思考で自分の幸せのために
周りが犠牲を払うのはあたりまえ
というとんでも理論だったのです
ふと、数年前に姉が話していた事を
思い出したのです
仕事で疲れていた私に姉は
「傷つかなければいいじゃん」
と何気ないひと言をかけてきたのです
(いやいや、いくらなんでも
傷つくときは傷つくだろ)
と違和感を持ちつつも
「う、うん」と返事をしました
どうやらそのインフルエンサーと
姉が言ってることが似通っているのです
"傷ついたら負け""全て人のせい"
というルールの中で生きている
非常に固くて黒い世界観
ドットクロスヘアかよ
"傷ついたり、違和感があれば
批判せず自分に立ち返るチャンス"
とか考える私とは真逆の思考です
新興宗教歴のある姉は
またカルトまがいのインフルエンサーに
影響されていたのです
「よくもまあこんなに
ハズレをひけるな、すごい」
と感心していた時に
「なぜ私はそんな事にならないのか?」
という疑問が浮かびました
時代は幼少期に遡ります
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私は人より要領がよく
仕事を覚えるのが早いです
(すいません、回収するので
イラつかずに聞いてください)
そのため家庭の中での
チームリーダーである父親から
気に入られていました
サラリーマンよろしく
言われたことを淡々とやっていた
それだけの事なのですが
その"淡々とこなして任務を終える"
とうことがあたりまえだと思っていたのです
仕事をまかされたときに
「めんどくさい」「なんで私が」
という事もなくひたすらこなす
こなすから効率が良くなる
まるで感情のないロボット
(ちなみに要領いいので
何倍も仕事させられます)
それを悲しいとも可哀想とも
思った事はありません
なんなら
「おーすごい、これできるのか」
と思ってるだけです
しかし姉は違った
「なんで私が」「自分は可哀想」
という感情が先にくるタイプなのです
リーダーからしたら
正直めんどくさいです
「真っ先にチームから外したい」
私ならそう考えます
父から気に入られる私
父から気に入られない姉
この対象的な出来事を
俯瞰してみると
私は父親から「所属」という
大きなプレゼントを
貰っていたことに気づきます
(こき使われてるとも言える)
人間は想像以上に「所属欲」が強い
はじめてチームを認識する家庭の中に
「所属欲」を満たす場面がなかったら
家庭の外に求めるしかない
私は砂漠のど真ん中で
「所属欲」を埋められず
喉が乾ききっている姉に対して
「水はここにあるのに
なんで外にいくの?」
と酷い事を言っていた事に気づきます
枯渇する気持ち
焦燥、疲弊、哀しみ
少し手を伸ばせば
「所属欲」を満たせるオアシスがある
私も姉だったら
オアシスに手を伸ばしたでしょう
そして砂漠である家庭のリーダー
父親を貶していたと思います
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何年か前に
こんな出来事がありました
私は当時
配信している人100名ほどで作る
チームに所属しました
プロゲーマーと違って
コミュニティ運営が主な主戦場となる
配信(ストリーム)は
私の知っているものと形が違ったのです
仕事や成績を求められず
「参加する」ことを要求される
それは効率を求める私にとって
ストレスが大きい体験でした
学校や会社は結果を出せば
サボろうが文句を言われません
しかし、コミュニティというのは
ひたすらに時間を使います
提案することも嫌われます
私の「成績でチームに気に入られる」
という特技が封印され
手足を縛られた状態で所属していました
案の定、コミュニティの長と衝突します
その時に姉や母と喧嘩したような
そんな気持ちを感じました
絵を描いて売っているだけの人が
なんで偉そうに感情的に怒るのだろう
そんな事ばかりが
頭をよぎるのです
(酷いものです)
しかし、よくよく考えれば
砂漠で歩いている人に
絵を通じて水を提供している
という事に気づいたのです
その事にプライドがあるその人たちは
私の効率ばかり求める事に違和感を感じて
怒っていたのだなと理解しました
因みに私も真似してみましたが
全然無理でした
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さて話を戻します
今回私はXになることを
なんの抵抗もなく受け入れました
そう、幼少期と同じく淡々と
新しい出来事を見守っているのです
しかし「Twitter」という
コミュニティで所属欲を満たしていた人は
それが"奪われる"という感覚に
なってしまったのではないでしょうか
人間は想像以上に所属欲が強い
しかし、満たされれば求めない
私は幼少期に父親から
労働と引き換えに
「所属」のプレゼントしてもらっていました
もっというと祖父からも
家の手伝いをして
所属をもらっていたと思います
なのでコミュニティには固執しない
渇望もない たんなる箱だと思っていました
でも、満たされなかったあの事件は
心の中で同じように「なんでだ!」
とずっと批判していたのです
そして感情的に批判できる人を
うらやましく思ったのです
"心さえなかったなら"と
私の好きなアーティストは歌います
でも"心さえあったなら"と
私は歌いたいのです
心さえ手に入れれば
感情を取り戻せるでしょうか
それはどこにも売っていないもの
「私は本当に満たされているのか?」
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先日、ヨコオタロウさんの
ツイッター(X)を
きっかけに寄付をしました
養護施設にいる子どもたちに
amazonの欲しいものリストから
贈り物ができるというものです
「養護施設」というのも
砂漠から逃げ出したオアシスの
ひとつの形なのだと気づきます
それがなんだっていいのです
人間は想像以上に所属欲が強い
ここを起点にしてみれば
それを満たす必要があるのです
だからどんなYouTuberも
インフルエンサーも
誰かのオアシスとして機能している
学校も社会も国も
形の違う人間の集団です
私の場合は
「要領のよさ」で所属する事が多かったので
そうじゃないときに弾かれていた
ただそれだけだったのだと
その子たちから逆に贈り物として
教えてもらったのです
私は贈った以上の贈り物を
返してもらいました
そしていずれは
そのオアシスを作らなければならない
いや既に作りかけているような気がします
自分を満たすために
誰かを満たすために
このようにつらつらと文章を書くのです
批判されても傷つかない
そんなのは嘘です
泣いてもいいし
怒ったっていい
我慢する必要なんてない
たくさんたくさん泣いて
そしたら立ち上がれることを
私は知っているから
一緒に歩こう
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