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週報+この社会の女子問題

今週もアッという間の一週間。週末はヘトヘトになり、スーパー銭湯に行き、アカスリとサウナをキメてきました。そんな一週間のなかで、観たり聴いたり読んだりしたものをまとめました。

■4月8日~4月14日の週報

読んだ本

読んだマンガ

観た映画

聴いた音楽(CD)

■この社会の女子問題

いま、女性の社会的地位についてさまざまな議論がされていますね。この議論には、育児・介護の問題、職場でのパワハラ・セクハラの問題も含んでいて、この社会の在り方まで問う大きな話になっています。これまでとは異なる社会のモデルを模索している状態なわけですから、実はわれわれは今、大きな転換点に立っていると思います。

書店でも、これらの問題を取り扱ったものは多く平積みされています。やはり女性だけでなく多くの人に関係する話で、世間の関心度が高いんだと思います。今週は、「女子本」をまとめて読みましたので、各々を関連させる形で紹介していきたいと思います。

男に従っときゃラク?
『男尊女子』は、著者・酒井順子が、女子校から大学に入ったときに驚いた話からはじまります。

同じ女子校出身者達が、大学で嬉々としてアメフト部やらラグビー部やらのマネージャーになっていたことでした……
 やっと女子校生活から抜け出したのだから、格好いい男子に囲まれてみたかったのだ、と今になれば彼女達の気持ちもわかります。が、
 当時の私は、この現象をポカンと眺めていました。尻尾を振って男の汚れ物を洗濯するとは、どういう感覚なのか……、と。
 私はこの時初めて、世の中には「男尊女子」という人達がいることを知りました。「女は男を立てるもの。女は男を助けるもの」という感覚を持ち、そこに生きがいを感じる女子が案外身近に、それも女子校出身者の中に大量に存在したことは、大きな衝撃だったものです。(『男尊女子』)

この後さらに、酒井は、女性が社会に出て働くときに受ける不当な扱いの場面をいくつもとりあげていきます。

ただ、この著書がユニークな点は、男性側の問題を指摘するだけでなく、女性自身も男性優位の社会を「そういうもの」として内面化してしまっていることを論じているところです。以下のように述べています。

……ラクさを求めるが故に男尊女子の道を歩む女性がいる日本。そしてもう一つ、日本女性が男尊女子であり続ける要因がある気がしていて、それが「モテるため」というものです。嚙み砕いて言うならば、「男をひきつけておくために、自らを低めざるを得ない」という事情。(『男尊女子』)

ある意味リアルな生存戦略としての「男尊女子」的な姿勢があるわけです。これは窮屈なことだと思います。

東大出身の女子が抱える葛藤
そんな社会のなかで例外なのが、高い能力を持ち男に頼らずとも稼げる女性=「東大女子」。新書『ルポ東大女子』では、「東大女子」の存在を著者・おおたとしまさは、以下のように書いています。

……東大女子は、医師、弁護士、官僚、一流社員としてバリバリ働くことも出来るし、身近にいくらでもいる東大男子と結婚すれば、専業主婦になることもできる。日本社会において最も幅広い選択肢をもったひとたちであるといっていい。(『ルポ東大女子』)

東大女子は、けっこうな割合で東大男子と結婚しているようです。しかし、東大夫婦も子育てをするときになると、女性の方がそれを負担することになるようです。

同じ東大を出たのに夫だけ仕事で自己実現を継続し、自分は半ばあきらめる。そこに理不尽を強く感じる場合があることも想像に難くない。まさに「『育休世代』のジレンマ」の描くところである。(『ルポ東大女子』)

この社会では、女性と男性で同じようなキャリアを歩んでいたとしても、男性の方が育休がとりにくい社会(制度的にも風土的にも)であるために、どうしても、女性の方が仕事を一旦お休みすることになってしまうわけです。

おおたとしまさは、育児の問題の根本には、男も女も「競争をしなくてはならない・競争から降りられない」という考えがあると指摘しています。

問題の本質は「男vs女」ではない。男であれ、女であれ、家事や育児に従事する者が軽んじられていることである。(米国の国際政治学者・アン=マリー)スローターの表現を借りれば「競争vsケア」なのだ。(『ルポ東大女子』 ※カッコ内は本ブログ筆者による)
…ケア労働の類をみんなが少しずつ負担する社会の雰囲気が醸成される。嫌な仕事のなすりつけ合いの次元から脱却できる。男性が競争から降りられないという状況や、女性がケア労働から抜け出せないという状況が緩和する。男女に関係なく、専業主婦(主夫)になるという選択から生き馬の目を抜く競争社会に生きるという選択までフルレンジの働き方・暮らし方を選べるようになる。(『ルポ東大女子』)

重要な指摘だと思います。働き方の話について、男が~、女が~、という区分で語りだすと、建設的な話になりません。社会の構造に注目し、どちらにとっても生きやすい環境を整えることが大事なのだと思います。

春樹イズムで気をラクに
とはいっても、受験から競争がはじまって、他人と争うことが身に染みてしまっているわたしたち。どのようなマインドセットをしたらいいのでしょうか。

そのとき思い出すのが、あの村上春樹です。村上はインタビューなどで、よく人と競争することに興味がない、といった旨の発言をしています。

村上春樹の小説の主人公は、大抵、人との関わり合いをなるべく避け、自分の世界に生きているようなタイプです。ファンのなかには、この他人と競争をしないで自分の価値観に従って生きるというところに惹かれている人も多いのではないでしょうか。

たまたま読んでいた村上春樹の小説『アフターダーク』に、ああ、ハルキっぽい考え方だなあ、となった箇所がありました。

高橋という男が主人公の少女・マリに、兄弟や姉妹であったとしても生き方はいろいろだという話の流れで、ハワイのある島に三人の兄弟が流れ着いたという短いエピソードを物語ります。

それは、こんな話です。ある晩、三人兄弟の夢のなかに神様が現れ、海岸にある石を転がして好きな場所に置け、と言います。さらに、石を置いた場所が、すなわち各々が生きる場所になると続けます。

果たして、三人の兄弟が選んだ場所とは。この話の結末部を、ちょっと長いのですが、引用します。

「いちばん下の弟が最初に音を上げた。『兄さんたち、俺はもうここでいいよ。ここなら海岸にも近いし、魚もとれる。じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』といちばん下の弟は言った。上の二人はなおも先に進み続けた。しかし山の中腹まで行ったあたりで次男が音を上げた。『兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』。いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。道はどんどん狭く険しくなっていったけれど、あきらめなかった。我慢強い性格だったし、世界を少しでも遠くまで見たいと思ったんだ。そして力の限り、岩を押し上げ続けた。何ヵ月もかけて、ほとんど飲まず食わずで、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げることができた。彼はそこで止まり、世界を眺めた。今では誰よりも遠くの世界を見渡すことができた。そこが彼の住む場所だった。草も生えないし、鳥も飛ばないような場所だった。水分といえば氷と霜を舐めるしかなかったし、食べ物と言えば、苔をかじるしかなかった。でも後悔はしなかった。彼には世界を見渡すことができたからだ……。というわけでハワイのその島の山の頂には、今でも大きな丸い岩がひとつぽつんと残っている。そういう話」

兄弟で同じように石を運ぶのですが、各々選ぶ場所は違う。ここに、「人はそれぞれさ」という春樹イズムを感じます。

わたしも、ついつい競争をすることばかり考えてしまうことがあります。そんなときは、このような春樹イズムを思い出すと気がラクになります。この春樹イズムは、競争を強いる社会の処方箋になると思います。みなさん、ツラいときは「やれやれ」とやり過ごしましょう。

編集はツラいだけの仕事ではない!
さいごに、マンガの『編プロ☆ガール』にも触れておきましょう。

このマンガはタイトルに「ガール」とはいっていますが、「ガール」らしい話はとくにありません。これは絵柄が簡素で描き分けができない、ということでは決してなく、編集の仕事自体があまり性差を気にしなくていい職種なので、その反映と考えるべきです。

作品内では、編集プロダクションという場所がいかに大変か、ということばかりがクローズアップされています。ただ、編集という仕事自体は、あまり性差を気にしなくてもいい職業だという良いところも、出版社の雰囲気を知っているわたしとしては強調しておきたいところです。


今週は長々と書いてしまい、更新が遅れてしまいました。来週は、映像を観たいですね。

以上、今週のカルチャー週報でした。

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