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カルチャー週報 4/29~5/5

ゴールデン・ウィークはひたすら雑用をしていた気がします。ただ、たまっていた雑誌などを読めたのが収穫でした。 そんな一週間のなかで、わたしが観たり聴いたり読んだりしたものをまとめました。

■4月29日~5月5日の週報

読んだ本

読んだマンガ

観た映画

聴いた音楽(CD)

観た美術展

■週の終わりに

今週のテーマは……
今週は、音楽産業に関係する書籍をまとめて読みました。

みなさんは、CDとかってまだ買っていますか? わたしは1年前まで狂ったように買っていましたが、もう、ストリーミング中心のリスニングになってしまいました。

理由は、わたしは洋楽中心に聴いているのですが、CDで手に入りにくいものまで現在は、ストリーミングにラインナップされていることが分かったからです。

それまでは、雑誌やラジオでアルバムが紹介され、「おおこれは欲しい!」となり、目を血走らせて中古CD屋を探していたものでした。ただ、それが無事見つかって、その作品がお手頃価格だったら良いのですが、それが廃盤だったりして高すぎるときは大枚はたいて買ったり、または泣く泣くあきらめるなんてこともありました。

しかし、ストリーミングは、そのレア盤も聴けて(しかも、思い付いたらスグにダウンロードできる)、新譜も聴けて、月々900円ちょっと……中古CDを探すのは好きですが、これには抗えません……そんなわけで、1年前からアップルミュージックを始めています。

『誰が音楽をタダにした』
このように、インターネットの発達で音楽の楽しみ方は、CDからストリーミングへと大きく変わりました。この産業構造が変化する、まさにその瞬間をドキュメントしたのが、スティーヴン・ウィット 『誰が音楽をタダにした:巨大産業をぶっ潰した男たち』(翻訳:関美和)でした。

この本は、各地で起こるバラバラな出来事が点を線で結ぶようにだんだんと繋がっていく痛快な構成です。いろいろ端折って書くと、まず音楽データを軽くする拡張子「mp3」がドイツの研究者が開発。そして、CD工場で働いていたあるアフリカ系アメリカ人がCDを盗み出し、データ化してネットに次々とアップ。いつしかネットの海賊版音源はとんでもない数の人が利用するようになっていきます。その多大なる不利益に気が付いたレコード会社のCEOは、音楽のストリーミング化に舵を切ることになります。

もうレコード会社がコントロールできないほどに、音源がネットにはびこっている現状に気が付く、まさにその瞬間を以下のように描写します。

数十人の大手レ ーベル幹部の目の前で 、スタッフがソフトをダウンロ ードしてみせた 。ロ ーゼンはレ ーベル幹部に曲名を挙げさせた 。大ヒット曲だけではなく 、アルバムに埋もれた曲や 、新曲や 、無名の曲でもいいと言った 。レコ ード会社の男たちは順番に 2 0曲以上を挙げた 。そのたびにスタッフが一瞬で曲を見つけた 。もうこれ以上知りたくないほどだった 。雰囲気が暗くなったところで 、ソニ ーの幹部が緊張を断ち切ろうとした 。 「訴えるだけでいいのか ? 」決め手はだれかが ☆NSYNCの 「バイバイバイ 」を探すように頼んだ時だった 。その曲は 3日前にラジオで初めて流れはじめたばかりで 、 C Dはまだ発売されていなかった 。もちろん 、その曲もあった 。(『誰が音楽をタダにした:巨大産業をぶっ潰した男たち』)

『「Jポップ」は死んだ』
CDの売り上げが減少したことは世界的な出来事のようですが、日本は日本でまた事情があるようです。

鳥賀陽弘道『「Jポップ」は死んだ』 は、日本の市場に絞ってその構造変化をリポートしています。インターネットの登場の影響で、テレビがタイアップによって、トレンドを作れなくなり、若者層への強いアピールができなくなったことを指摘しています。そして、若者中心の路線だったために、CD市場が減少してしまったと以下のように分析します。

 「若者向けマ ーケティング 」に資源を傾注していた日本の音楽産業は 、成熟した年代のための歌手やバンドをほとんど育てていなかった 。インタ ーネットの普及で 、テレビが流行を生むメインメディアである時代も終わった 。 C D市場も縮小した 。レコ ード会社やプロダクション会社 、テレビ局といった 「 Jポップ時代のキングメ ーカ ーたち 」も力を失った 。そんな時代に新たな音楽メディアとして姿を現したのが 「パチンコ 」 「結婚式 」 「高齢者用カラオケ 」だった 、というのは興味深い現象だ 。それらは 「若者より上の大人 」が顧客である点で共通している 。そしてどれもが成熟した産業だ 。つまりは 、 C Dが音楽を運ぶマスメディアとして没落し 、パチンコや結婚式 、カラオケが浮上した 。私はそう考えている 。(『「Jポップ」は死んだ』)

かつては、音楽はカルチャーの中心にあり、テレビがその流行をコントロールしていました。しかし、いまの若者は娯楽が多様化していて、音楽を聴くことだけに趣味が特化しているだけの人は少ないかもしれません。

その代わり、音楽業界はその活路を、結婚式といったイベントや、パチンコや高齢者カラオケといった生活に密着した市場へ見出しているということなんですね。

『バンドやめようぜ!』
時代も変われば、産業も商売も変わっていく。これは致し方ないことだと思います。しかし、音楽は芸術・文化であるという面もあります。多くの人が作品に真剣に耳を傾け、あーだこーだ言うということで、さらに豊かな表現に繋がります。単純に、なんとなく心地良いものを、なんとなく聴いていれば満足ということならば、文化としては必ず先細ってしまいます。

イアン・F・マーティン『バンドやめようぜ!:あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記』(翻訳:坂本 麻里子)は、日本に長らく住んだイギリス人の著書です。これは、外国人の目から見て、日本のオルタナティヴな音楽シーンのさまざまな「ヘンなところ」を素朴に指摘いきます。

なかでも、日本の音楽雑誌が音楽産業に依存する形(つまり、ジャーナルな部分がなく、単なる広告になっている)になっていることについて、痛烈に批判し、音楽雑誌に「批評」が不在であることの損失を以下のように書いています。

偽の賞賛の声に支えられてしまうと、彼らは自らの油断を回避する手助けにもなる、批評家とアーティストの間にあるクリエイティヴな緊張感を奪われることになる。多くの場合うっとうしい不快な道化と言う印象を与えがちだが、批評家と言うのは聞き手とアーティストの双方に自問を強いると言う意味で有用な役割を果たすことができるし、クリエイティブなプロセスが停滞し、陳腐で古臭いお約束の退屈な焼き直しに陥ってしまうのを防ぐ助けにもなる。しかし、批評家が音楽産業の代弁者として機能してしまうと、お約束はあらゆるレベルで成文化されることになり、結果として音楽は均質化され希釈されたものになってしまう。(『バンドやめようぜ!:あるイギリス人のディープな現代日本ポップ・ロック界探検記』)

たしかに、日本は音楽雑誌はたんに音楽カタログのようになっている気がします。やはり、大きな意味での「流行」がなくなり、みんな別々なものを聴いているので、共通な土台の上で個々の価値観の違いを楽しむ批評や評論が成立しにくい状況になっているのでしょうか。それは、少し寂しい気もします。

果たして、音楽文化は今後どうなっていくのでしょう。新しい音楽はどんどん生まれていくと思います。ただ、音楽を創る人にリスペクトがある産業構造になっていって欲しいですね。

以上、今週は、とりとめもなく、音楽産業について考えていました。
みなさんは、どんな音楽を聴いてますか? さらには、どんなスタイルで音楽を聴いていますか? いまは後者の方が、その人の音楽観を反映するもののように思えます。

あ、そろそろceroの新譜『POLY LIFE MULTI SOUL』が発売します。彼らの音源はアップルミュージックにないので、CDを買う予定でいます。DVDがつくもの、ボーナスCDがつくもの、いろいろバージョンがあるようですが、自分はインスト音源のボーナスCDがついたものにします。

今回は、ちょっとアフロっぽいリズムに日本語をのせる試みをしているようです。楽しみですね。


来週は、どんなカルチャー出会うのでしょうか。最近、ドキュメンタリー映画が観れていませんね。ただ、仕事ではタフな案件が連発する予定です……以上、今週のカルチャー週報でした。

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