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合法的飛び方のススメ

いきなり攻撃的な表題で驚いたかもしれないが、私が今からここに記すのは、愛する大衆酒場の魅力についてだ。(LSDトリップの是非など、興味もなければ、健康に悪ければ止めた方がいいのではないか程度の考えである)

私が大衆酒場に惹かれた時期等、具体的には示せないが、上京してからなのは確かである。大衆酒場に限らず、東京という街が今の私の感性を形成したのだ。

東京の大衆酒場の面白いところは、それぞれ文化圏のようなものが存在するところだ。特に私の生息する「エリア」東(下町方面)と西(中央線沿い、またはその派生)では、それぞれ特有の雰囲気がある。東京のカオスなカルチャー性が酒場でも感じられるのだ。

まずは、東京の東側、私が最も「食らった」立石という地を例にあげて話そう。立石は言わずもがな「飲兵衛の聖地」であり、「東京の五大煮込み」にも数えられるあの店や「立石の関所」と呼ばれるあの店など、酒場の名店がひしめく場所である。

今回あえてお店の名前は伏せて紹介する。自分の中の感覚として酒場は、「レコードをディグる」感覚に近いのだ。自分の目で見て、感じて、自分だけの酒場を見つけるような感覚である。立石で、呑んべ横丁を始めてくぐった時の感動は、レコードで言えば、聴いたこともないヤバいレアグルーヴに出会った時と同じなのだ。

立石で学んだことの1つに、注文でのマナーがある。忙しい時に「すみませーん」と大声で店員に叫ぶ客は全く相手にされない。全ては「目線」なのだ。「目線」で注文の合図をする。所謂アイコンタクトのようなものだ。特に常連しかいないような歴史ある大衆酒場では、店側が客を選んでいるような場合もある。そういった時にその土地のルールに合わせ、失礼のないようにするのが当たり前の行為である。「そんな緊張感の中、呑んで楽しいのか?」という意見があるかもしれないが、これはそのような店で呑んだことのある者しか感じ得ない何かがあるのだ。

他には、「3杯ルール」というものがある。これは立石以外の地域にもあるもので、焼酎等の度数の濃いお酒にそうしたルールが課せられるのだ。「それでは酔わないじゃん」と思った方へ、安心してほしい。3杯呑んだ時にはすでにほろ酔いを超える。それだけ酒場の雰囲気、酒の濃さに飲まれるのだ。

立石では、下町ハイボール、通称「ボール」もいただける。下町ハイボールとは、庶民が高いウイスキーを買えないため、焼酎でハイボールのような飲み物を作ったのが始まりとされる。いわば、ビールの代替品がホッピーになったようなものだ。ボールに初めて触れたのは小岩にある名店で、次に、「酎ハイ街道」と呼ばれるボールを出す店が軒並みある地だ。そして、ラスボス立石のある店のボールを飲んだのだが、これは多分世界一かたい(=濃い 引用『町中華で飲ろうぜ』)ボールであろう。

東、特に下町方面は常連さん(大先輩)が多く、基本的に20代のガキンチョが行けば、とてつもない緊張の中、黙々と呑むことになる。しかし、そんな独特な雰囲気の中、酒に向き合った時には、今まで感じ得なかったものを手にすることができる、そんな地域性なのだ。

続いて、西東京の酒場について話す。西東京、特に中央線沿いに関してはサブカル色が色濃くでる。特によく呑むのは阿佐ヶ谷なのだが、隣で相席する人は大体、ミュージシャンか、小説家、(ポン中かと疑うような)爺婆だ。

下町では、静かに黙々と呑むような楽しみ方だが、ここではカルチャーの話を若い人(自分達)を交えて話せるような空間がある。(入口はもちろん入りにくいが)

私は自他共に認める「サブカルクソ野郎」なため、そうした拗れた大人と話すのが大好きなのだ。特に思い出深いのは、阿佐ヶ谷のとある店で飲んでた時に、「チャカカーン」のLIVEを観た人と相席したことである。その人はベロベロだったが、いかに「シャカ」(チャカカーンではなく本当はシャカカーンらしい)が素晴らしいかを若い自分に説明するのだ。その熱量に圧倒されながらも、多少ブラックミュージックに明るい私は、必死に食らいつき、その話を真剣に聞いた。若輩者の私が80s以前のブラックミュージックの話を聴いてくれたのがよほど嬉しかったのか、1杯ご馳走になった。そうしたことも、西東京ならではの素敵な体験だろう。

また別の店でもそうした不思議なお客さんと相席をしたことがある。その店は朝の9時頃まで営業を続けているヤバい店なのだが、そこで呑んでいた時に、とある老婆と相席することになる。私のことをひ孫と呼んでいたが、年齢は不詳だ。老婆いわく、7軒ハシゴして8軒目で私と出会ったそうだ。泥酔状態でほぼ何を言ってるかわからないが、とてつもないパワーを感じた。以降、その老婆を「阿佐ヶ谷の聖母」と呼んでいる。長生きしてもらいたいものだ。

以上、大まかに東京の大衆酒場(私の知っている限りでもほんの一部)について話したが、大衆酒場というのは、一度暖簾をくぐれば、外界との境界が曖昧になる。それが所謂トリップした感覚に近いということなのだ。閉ざされた世界であるはずの酒場で、己を解放する、その矛盾がなんとも不思議な感覚で、そこに大衆酒場の魅力が詰まっている。これを読んだ人は、ぜひ現地に出向いて、大衆酒場の素晴らしさを体感してほしい次第である。

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