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20歳→26歳 変化・学び(人間関係)

気づけばもう社会人5年目の26歳。若者と呼ばれる域を出ようとしています。
この歳になっても人間関係で一喜一憂してしまうことはありますが、良くも悪くも20歳の頃とは他人との関わり方が変わってきているなと感じます。
そこで、人間関係において変化したこと・学んだことを3つ書いていきます。

①「他人は計り知れない」

当たり前のことですが、その分難しいことだとも思います。今でもまだ本当の意味で理解できてはいないと思います。
20歳の頃は人間関係で摩擦があった時、「他人に期待しない」ことを意識していました。遅刻する人がいたり、必要な連絡を返さない人がいたり、何でも人任せな人がいたり、嘘をついたりする人がいて腹が立ったとき、「腹が立つのは内心この人に期待していたからだ」と解釈して、期待しないように認識を変えていきました。そして、「この人がこんな行動を取ったのは、こういう理由があったのではないか」と自分の中で仮説立てて自分を納得させていました。
26歳になり、ようやく「理由を考える無意味さ」に気づきました。この6年間では大学を卒業して社会人になったことに加え、マッチングアプリで何十人もの人と会い何百人もの人と会話をし、地域のスポーツサークルにもいくつか加入したことで、今までに接点のなかったような人との交流が激増しました。そこには自分では想像もつかない人生を送っている(送ってきた)人や、全く理解できない判断軸で動く人、言動が日によって別人レベルで変わる人、そもそも何も考えていない人がいて、自分の常識・理解できる範囲はこれほどまでに狭かったのかということを実感しました。
これは当たり前のように思えますが、「知っている」ことと「実体験から理解する」ことは大きく異なると思います。腹が立つことがあった時も、そこに機序はないと深く考えることなく割り切れることが増えてきました。
一方で、「他人に期待できる」ということは、それほどまでに素晴らしい人が身の回りにいることの証左でもあり、良いことでもあると思うようにもなりました。

②「基本的に人間が好き」

小さな頃からスポーツをしていたこともあり、基本的に人と関わることが多い人生を送ってきました。その分、良いことだけでなく嫌な思いをすることも多かったにも関わらず、26歳になった今でも知らず知らずのうちに人と関わることが多い人生を過ごしています。1人で完結することが難しい趣味があることもありますが、どんなに嫌なことがあっても気がつけば自ら新しい企画を練っています。1人で過ごすことも好きですが、それを積極的には選ばないことから、根本的には人間が好きなのだと自らを理解しています。

③「歳上と関わる安心感」

20歳の頃は歳上(特に社会人)に対して理由もなく怖いというイメージを持っていました。おそらく上下関係の厳しい部活動をしていたことが1つの要因ではあると思いますが、未知のものに対する恐れもあったのかもしれません。
26歳になった今は、寧ろ歳上の人と関わる方が気楽だと感じるようになりました。理由はいくつかありますが、1番は気を遣わなくても良いことです。もちろん歳上だからこそ必要な気遣いもありますが、社会人として生活する上では日常の1コマなのでそれに対して特別なストレスはありません。
今になって歳下に気を遣う理由としては、社会人だからこそなのだと思います。身の回りの歳下の人は良い子が多く、社会人として先輩にするように色々な配慮を(自然に)してくれます。だからこそ、上下関係・パワーによる「強制」がないように意識してしまいます。何かを誘うときには自然に断れるような逃げ道を用意した上で提案したり、会が終盤に近づいたら帰りたい時は自然に帰れるような雰囲気を整えたり、「気を遣われることに対して気を遣う」という事象が発生してしまいます。
一方で、物事をずけずけ言ってくるような後輩に対してはこちらも気を遣わないで接することができるため、私が歳下として存在する時はそういったポジショニングが取れるように心がけています。

人間関係はストレスが溜まることも多いですが、そこで人間関係を減らすことを選ぶのではなく、向き合い続けることを選ぶことができるのは、この歳になると強みとも言えるのではないかとも考えています。今後も撤退という選択肢を頭に入れつつ、無理のない範囲で邁進していきたいと思います。

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