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Legend1:坂本清克さん(4)

前回からの続き)

現在の大洗サーフィン事情

––––今と昔で変わったことってありますか。やってる人は当時より増えましたよね。

坂本:(サーファー人口が)増えたね。阿字ヶ浦もそうですけど、ここにも地元でやってる人たちがいて、どっちかっていうと、よそから来る人はその地元の人たちのことをわかって、多少遠慮してやってたんだけど。今はもうその辺がなくなっちゃって。

––––サンビーチとか大きくメジャーになると。

坂本:やってる人もあんまりそういうことを気づかずやってる感じがしますね。

––––そういうビジターの人に教える人がいないって感じなんですかね。

坂本:教え方もあるんだろうけど、関係ねえっていう人もいるし。一人に言っても、他に何十人もいたりするから、キリがねえっていう。。。

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––––サーファー人口が増えるとビジターの人も増えるからね。

坂本:初めての人は誰かが連れてきたりするんだろうけど、その人が教えてあげるべきじゃないかなと思うんだよね。そういう人って連れてきてるだけで、自分が(サーフィンを)やりたいから笑 で、初めての人は手前で危ない状態になってるのがザラにあって笑

––––ほっぽっちゃう(=放置しちゃう)笑

坂本:そうそう笑 波小さいときは、上手い人でも手前でやるようになっちゃうからね。そういうときにちょっと危なくなっちゃう。なんとなく様子を見てると、あの人が連れてきた感じだなってわかると、その人に声かけて。ちゃんと教えな、危ないよって。

今後の展望

––––ローカルの人なりビジターの人なり、やりやすくなるといいですよね。

坂本:そうですね。サーフィンも、ロングボードがあったりショートボードがあったり、SUPがあったり。そういったエリアが分けられると一番いいんだけど。なんせこう、広すぎちゃって。千葉とかだと、オリンピック会場のあたりだとかはそういうのがちゃんと分けられてて。こっちロング禁止だよとか。

––––ここってそういう波的には分けようと思ったら分けられたりするもんですか。

坂本:うーん、難しいかな。。。(例えば)コミュニティ作ってここで移住してきた人とかと一緒になって、もしそういう人いたら注意しようね、とか。ルール決めをみんなと一緒になってやっていけば、注意したりはできるけど。そこまでガッツリは、やっちゃっていいもんなのかな……とか。

––––SUPの人もここ何年かで急に増えましたよね。

坂本:そうですね。事故があんまないからいいけどね。まあサーフィンがメインのポイントなんで、SUPは沖でやるとか。そういう取り決めをしていかないと。ただ個人で買ってやってたりする人に言わないといけないかな、と。

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––––海だけ見てもわからないですもんね。下の世代でいうと、小・中学生とかでやってる子っているんですか。

坂本:大洗はあんまりいないよね。いるけど、友達誘ってやるとかって……。友達もあんまり興味は持ってないっていうか。夏だけでもいいからやればいいのに。お金かかんないから。その辺ちょっと遊びの感覚が違うのかな。

––––確かに遊びはいっぱいあるから。坂本さんたちの年代って、サーフィンに対する憧れとかなかったんですか。いきなりサーフィンを始めた感じ?

坂本:憧れっていう感じじゃないかな。遊びの延長って感じかな。面白くってしょうがなかった。

––––今は海水浴自体もあまり若い人がいないですね。

坂本:海水浴も、昔は子供らだけで行った。一人でも行ってましたね。いつも行くと、この小売店みたいなとこにビーサンとタオルとか置かしてもらったり。心配じゃねえのかな、親は笑 今は子供らだけで行ったら大変だけど。

––––(坂本さんの)息子さんってどうしてたんですか。サーフィン始めたのは。

坂本:自分がやってたからなんだろうけど、半強制的に連れてきて笑 海に入れて、なんでできねーんだーとかなってたから、嫌んなっちゃって。小学校入った頃かな、一回やめちゃったの。波がちょっと大きい時に波打ち際でやるぞーって。ヤダヤダーって笑 波打ち際に下ろした瞬間に一目散に(逃げた)笑 そっからしばらくやんない。後は友達らがやりたいってなって。(小学校)五~六年生位になってから。まあ自分でやりたいって思った時にやって丁度いいんだね。友達と(一緒に)やってると、やっぱり友達が来ないとやんないとか。一人でモクモクやるようになってくると、もう大丈夫だね。

インタビューを終えて

 まだ全体像が見えてはいないが、今回坂本さんから聞いた話は驚くことばかりだった。坂本さんの世代がサーフィンを初めるより前、すでに漁師がサーフィンをしていたこと、昭和の終わり頃には大洗にサーフチームが結成されていたこと。常陸那珂港の建設によって、茨城における中心的なサーフスポットであった阿字ヶ浦がサーフィンには難しい場所となり、それに伴い周辺へとショップやサーファー達が移動したこと。この辺りの話は港湾開発の話と絡めて、もう少し調べてみると面白いかもしれない。

 またかつて大洗にあった「チッコー」(東築港や西築港)のことは、坂本さんのみならず、この街の古い姿を記憶する人々の話にたびたび登場することがある。その風景の中にすでにサーフィンがあったことも驚きであった。どうやらサーフィンのある風景は、この街にとって降って沸いたようなものではないようだ。

 今回、坂本さんから話を聞けたことで、今後の方向性が見えて来た。まずは大洗で最初のサーフショップ「ウェッジ」へ取材に行こうと思う。もう少し古い話を聞けるかもしれない。また、かつて活発に活動していた「大洗アーネストサーフクラブ」の関係者の方にも、今後お話を伺ってみよう。これらの人々も、坂本さんがそうであるように、大洗のサーフィン史におけるレジェンドであるに違いない。

 そんなわけで、今回の取材はここで終わりとなる。次はまた別の時、別の場所で、波の来し方と風の行く末について考えてみたい。

(Legend1終わり)


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