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Legend2:小野瀬祐一さん(3)

前回の続き)

阿字ヶ浦から大洗へ

小野瀬:その頃の大洗って、サーフィンはあんまり(主流ではなかった)。夏は午後から南風が吹いちゃう。午前中はできるんだけど、自分らは南風だと阿字ヶ浦が朝からいいって知ってるから、夏は南風だと阿字ヶ浦。北風だと大洗。北東が吹くと平磯(※現ひたちなか市平磯町の海岸)も出来た。港に囲まれて風の影響もないから。

常連:本当に阿字ヶ浦で出来なくて、大きいときだけ(大洗でやった)。

小野瀬:低気圧が来て北風が吹く時は大洗で(やっていた)。昔は風向きで動いてたから、夏=南風=サーフィン=阿字ヶ浦っていう感じ。で、大洗は雨の日とか寒い日とかに波がいい感じっていう人の動きだったよね。大洗がブームになってきたのは、ロングボードがブームになったのと一緒で、やさしい波だったから。それでロングボードの人も増えてきたり、(常陸那珂港の開発の影響で)阿字ヶ浦もできなくなってきて、サーファーが大洗へ流れてきた。

常連:常陸那珂港が出来ちゃったのが大きいですね。

小野瀬:自分がここ始めた頃は、阿字ヶ浦はまだ全然サーフィンできたけど、もうどんどんおかしくなり出してきてたもんね。

常連:そう。だから(大洗の)ウェッジに来ても、まだ(実際には)阿字ヶ浦に行ってた。

小野瀬:そう。常陸那珂港に沖堤が出来て、やっぱり砂がなくなって(水深が)深くなって、波がどんどん(悪くなって来たため)行かなくなって。そのうちもう本当に出来なくなってきちゃった。そんな流れもありつつ、どんどん大洗に(サーファーが)来たと思いますね。

––––サンビーチの方って開発でだいぶ変わりましたが、大洗海岸ってどうなんですか。昔からあんまり形を変えずサーフィンできたんですか。

小野瀬:そう。昔はもっと砂浜が長かった。仲良くしてた栃木のお店があるんだけど、(一緒に)那珂川の河原でソフトボール大会できたくらい広かった。あの頃は今の水族館(=アクアワールド大洗)の場所に無料駐車場があったから、すごい人の集まるところだったんですよね。ここもやっぱり危なくて、よくサーフィンしてると人がスッと流されちゃったりしてたな。シャワーもなくて、お店始めてからコインシャワー置いて行列だもんね(笑)

常連:昔ほんとすごかったよね。午後から行列だもんね(笑) あの頃は全然今とちがいますよ。

小野瀬:昔は砂浜も長くて駐車場もあったし、ここで遊んでる人らも多かった。サーフィンしてる人も。ただ夏は南風で阿字ヶ浦だから。

常連:だからこっちに来るのは知ってる人だけ、風選んで。

小野瀬:風が弱い日とか。(地図を見ながら)そうそうこれこれ、水族館が「こどもの国」って言ったんだよ。全然違うね。道路真ん中で両側が駐車場だった。ハンバーガー屋さんあったよね、アーリーバード。

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––––砂浜がこんなに広い。ソフトボールやり放題ですね(笑)

小野瀬:磯も昔の方が出てたよね。砂がついて、磯が沈んだのかな。阿字ヶ浦も、家の屋根ぐらいのでっかい磯がいっぱいあって岩盤になってた。みんな沈下してっちゃう。

常連:あの海門橋、俺と同い年なんだよ。

小野瀬:その頃は有料だから。ここお金取られて大変でしたよね。

––––一回行っちゃうとお金もったいない(笑)

小野瀬:国道五一号をまわる。ガソリンもったいねーなーとか言いながら(笑)

常連:劇的に変わってるんだね。

––––小野瀬さんはサンビーチでやるようになったのは、スクールを始めてからですか。

小野瀬:いや、やってましたよ。昔は(大貫の)民宿の脇にちょっと駐車場見たいのがあって、みんな車止めてボード持って砂浜降りていったんですよ。だからもうちょっと右の、今の「つるかめ」っていう方は、もう砂浜っていうよりテトラになっちゃってて、あっちいったら上がれないから気をつけろって言われてて。

––––じゃあその後の大洗港の開発で出来なくなったんですか?

小野瀬:いや堤防が(工事によって沖へ)伸びていく時に、釣り公園の北側なんか今ではサーフィンできるような場所じゃないのに、一時すごい良くなって、そこでキヨちゃんはあっという間に上手くなっちゃった。いや、だって始めてまだそんなに上手じゃなかったのに(笑) 波よくなって一、二年、学校帰ってきて毎日同じような形の波を練習してて、突然上手くなったんだから。

常連:まあ俺らの頃にはもうスーパースターだったから(笑)

小野瀬:南側が荒れても、それこそ南風が吹いても出来た。だから自分らが阿字ヶ浦でやってる時も、キヨちゃんはいつも部活のようにそこで(笑) 急に上手くなってきちゃった。

––––(地図見ながら)小野瀬さんがやってたのこの辺ですか?

小野瀬:そう。この内側。電気屋さんの前あたり。波が大きいとあの辺がいい。今で言うイエローサンズさんの前に行くともう、砂浜がなくテトラがあって上がれなくなっちゃうから。でも堤防が出来たから、砂がついて前へ前へと(砂浜が伸びていって)つるかめの前なんかも全部砂になった。で、道路も出来た。

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––––すごい劇的ですね。

小野瀬:大洗はすごい変わった。そういう意味では最初の歴史は大洗っぽいと思うんですよね。その後、(昭和)二八年生まれの人たちは勝田の人とか水戸の人が多かったんで、だんだん阿字ヶ浦が盛り上がっていく。

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––––「大洗アーネストサーフチーム」ってご存知ですか。

小野瀬:はい。

––––参加したりも?

小野瀬:アーネストは、俺の知ってる感じだとファンタジーアイランドができる頃に大洗のクラブとしてできたような。だから全然後。自分はその頃、阿字ヶ浦のお店の所属だから、阿字ヶ浦との戦いじゃないけども、みんな熱心にやってて。キヨちゃんの叔父さんもうまかったし。

––––じゃあメンバーも結構多かったんですね。

小野瀬:多かったですよ。大洗は流行ったんで、その頃。

––––坂本さんとこで見せてもらった新聞記事は一九八五年。その頃が一番盛り上がってたんですか。

小野瀬:盛り上がってましたね。

––––じゃあ、アーネストが盛り上がる以前のことを知っている方を探さないと、ルーツのことはわからないんですね。

小野瀬:それこそ漁港ができる前は堤防がなかったから、平太郎浜(※大洗海岸の浜の名前)がすごくいい波だったって聞いた。大洗って北東だとどこもショアっぽくなっちゃうけど、あそこだけオフっぽくなる。サンビーチも北西でオフだけど。この湾の中じゃないですかね。

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––––でもこれ磯はゴロゴロしてるわけですよね。

小野瀬:そう、その磯でこう立って。波がある時に北東吹くから、そこがよかったんだぞって話。河原子もそうなんですけど、港を作って、波よかったとこがダメになっちゃった。そこの話知ってる人いったら結構面白いかも。

––––第一世代。

小野瀬:うん第一世代。今サンサーフをやってるのは息子さんなんで、お父さんとかは、大洗の古い話知ってると思うんだよね。あとフジエダさんも知ってるし。

––––坂本さんの叔父さんていうのは、小野瀬さんと同じ世代くらいなんですか。

小野瀬:そうですね。自分の一年か二年先輩。そんなに変わらない。

––––小野瀬さんが知ってらっしゃる(第一世代の)方で、今もお会いしている方っていますか。

小野瀬:いますよ。テヅカさんもたまに大洗くるし。

––––テヅカさんておいくつくらいなんですか。

小野瀬:七〇くらいかな。サーフィンは茨城で一番上手かったな。七〇代で今だに千葉でやってる有名な人、日本のサーフィンのパイオニアの一人だとか、湘南の人とかみんな知ってる人だから。

––––今もサーフィンをされてるんですか。

小野瀬:今もやってる。たまに日立の灯台の下で、まだまだ結構すげー波乗るんですよ。乗りすぎちゃうくらいに(笑)その世代の人たちがfree and easy(を中心とするコミュニティの中)でいて。だからうちのイトコなんかも最初そこに行ったと思うんですよ。それでここに引っ越した時にfree and easyの板がガレージの中に一本あったんですよ。今でも裏にとってあるんだけど。重い板なんだけど。

––––そのfree and easyの板を見せていただけないですか。

小野瀬:いいですよ。

(続く)

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