ご飯

ご飯にケチは絶対につけないと決めたのは、いつ頃からだろうか。思い出せない。けれど、大きくなるにつれてその気持ちは強くなって、何を食べても美味しく感じるようになった。

焼きたて!!ジャぱんを読んでから味わってものを食べるようになった。するとどうだろう、美味しい以外に結構複雑に味覚が働いている事に気が付いた。バターの香り、小麦の香り、噛んだ時に鼻を抜ける芳ばしさ、配合の違いによって食パンだけでも様々なものがある。不思議だ。自分で作る料理も少しこだわってしまう。あまり料理しないけど。

そう思うと、途端に不味いという感覚も生まれてしまう。自分の好みに合わないだけなのだが、不味いと思ってしまう。

これが厄介だ。自らの感覚が優れていることは、自慢になりうるのかもしれない。けれど、だからといって、誰かが丹精込めて作ったものを不味いで語るのはあまりにも不躾ではないだろうか。評論家でもあるまい。不味い不味いとそれだけの言葉で片付けてしまうというのは如何程か。さも自らが、普遍的な味覚の持ち主であると言わんばかりの、不遜な態度で食卓につくようになったらおしまいだ。

食事が出来ることは当たり前ではない。感謝の気持ちと一緒にいて初めて成り立つものなのだ。

美味い。不味い。そういう感性のごたごたを持ちながら、しかしこれらの言葉を差し置いて、まず口にすべき言葉はやはり「おいしい」なのではないだろうか。食材に、生き物に、命が続くことに、そして一番は、それを作ってくれた人に(もちろん自分で作った場合ここに当てはまるのは自分だ)、感謝と慈しみを持って「おいしい」とそう伝えたい。「おいしいよ」笑顔で言ってくれたら、その言葉を貰った人もきっと笑顔だろう。

あまりまとまらなかった。

今日自分が食べている食パンについて聞かれて喋った時 、慌てて最後不自然に「固いんだけどね」。と付け加えた自分に、プライドを守ろうとするような心の動きを感じとったので、焦ってここに戒めとして記した次第だ。

まあそこまで食パンにハマっている自分に気付けたのは何だか可笑しくて笑ってしまう。