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「どうあってもいい」を見直した件

どうあってもいい。

自分の正義をふりかざすのではなく、それと違う人やモノを排除するのでなく、「それはそれ。これはこれ」「あなたはあなた。私は私」「違いがあるだけ。好みがあるだけ」どうあってもいい。

そう思えるようになって楽になった部分も多いけど。

「でも私は、そっちは選ばないけどね」という時、「だってそっちは良くないことだから」「そっちを選ぶ自分はダメだから」っていうのが、まだまだあったことに気づいて驚いた。

「人はどうあってもいいけど、自分はこう在るのはダメ」という自分の中のジャッジ。どうあってもいいといいながら、結局は自分含め周りのあれこれもジャッジしていたのだ。


好みの違い、何を選ぶかの違い、そう人には言いながらダメって思ってたんだな~。っていうこの状態さえもダメってことじゃない(笑)

可能性を開かずに死んでもいい。

死ぬときに後悔したっていい。

何も成さなくたっていい。

ブレてもいい。

もやもやしながら一生過ごしたっていい。

「そういう人生はこうでした」という体験を得た。それが源にアップロードされるだけ。


「貢献しようなんて思わなくたって、生きてるだけで人は貢献してるよ」

そう野間直美さんから聴いた時、私は「こう在りたい」の陰に「こうでなくてはならない」っていうのをまだまだ持っていたんだなぁと気づかされたのでした。

自分へのダメ出し。私の場合は結構根深いようだけど(苦笑)、それを体験したかったのだなぁ。好きでたまらなかったのだなぁ。そうかそうか。

ほんとにどうあってもいいんだなぁ~という『前提』。

心底ここに立った時、ふーっと力が抜けていくのを感じました。

で、この前提に立っても立たなくてもいいって話(笑)


未来創造プログラムというのがなんなのか? 受けていても実感としてぼんやりしているのだけど、根本にアクセスしている感じがあるのはなんでだろ? 

振り返ってみると、①今までやってみようとも思わなかったことを思いついて、②やってみよう⇒やってみた、ってことがちらほらあって驚いている所です。


人生が輝く*ことだまナビゲーター
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