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【小説】ナイフを持った鬼と鬼ごっこ

 マンションの1階から10階まで、緊迫した鬼ごっこが繰り広げられていた。相手はナイフを持った異常者であり、命の危険が迫っていた。

 夜の静寂を突き破るように、私はマンションのロビーに駆け込んだ。背後には、狂気に満ちた目をした男がナイフを振りかざしながら追ってきていた。私の心臓はバクバクと激しく鼓動し、冷や汗が背中を伝った。
 エレベーターは遅すぎる。階段だ。私は全力で駆け上がった。

「助けて…誰か…」

 だが、夜遅くのマンションには誰もいない。エコーする自分の声だけが、かえって恐怖を煽った。男の足音が近づいてくる。
 振り返る余裕もなく、私はひたすら上階を目指した。

 5階に差し掛かった頃、体力が尽きかけていた。息が上がり、足が重くなってくる。だが、後ろから迫る気配はさらに強まっていた。

「もう少し…」

 私は自分を鼓舞しながら、さらに階段を駆け上がった。しかし、ついに男がすぐ後ろまで迫った。その瞬間、私は絶望的な恐怖に襲われた。
 そのとき、不意に目の前のドアが開き、一人の女性が現れた。彼女は私の手を引き、素早く部屋の中に引き込んだ。

「こっちだ、早く!」

 彼女の声に従い、私は無我夢中で部屋の中に入った。ドアが閉まる音と共に、外から男の叫び声が聞こえてきた。
 ドアを力強く叩く音が響き渡り、私は恐怖で震えていた。

「大丈夫?怪我はない?」

 彼女の名前はあやかさんと言った。優しげな笑顔で私を安心させようとする彼女の表情が、一瞬の安らぎをもたらした。
 彼女の部屋は落ち着いた雰囲気で、温かみのあるインテリアが揃っていた。

「ありがとうございます…助かりました…」

 私は息を整えながら、感謝の言葉を絞り出した。あやかさんは私にお茶を差し出し、少し落ち着くよう促してくれた。

「ここなら大丈夫。警察にはすぐに連絡したから、もうすぐ来るわ」

 彼女の言葉に、私は少しだけ安心した。だが、心の底にはまだ不安が残っていた。男がナイフを持っていること、その狂気じみた目が忘れられない。

 数分後、警察のサイレンが遠くから聞こえてきた。あやかさんは私の肩に手を置き、力強い声で言った。

「もう大丈夫よ。あなたはよく頑張ったわ」

 警察が到着し、マンションの周囲を警戒しながら男を捜索した。男はすぐに捕まり、その場で拘束された。
 私は警察に保護され、安全な場所へと移された。

 事件から数日が経ち、私はまだ心の整理がつかないでいた。だが、あやかさんのおかげで命を取り留めることができたことに感謝の念を抱いていた。
 彼女は私の命の恩人であり、その優しさと勇気に深く感謝していた。

 ある日、私はあやかさんに感謝の気持ちを伝えるために、彼女の部屋を訪れた。ドアをノックすると、彼女は笑顔で迎えてくれた。

「こんにちは。あの時は本当にありがとうございました」

 私は花束を差し出し、感謝の気持ちを伝えた。あやかさんは笑顔で受け取り、優しく言った。

「いえ、あなたが無事で本当に良かったわ。いつでも頼ってくださいね」

 事件は恐怖と不安をもたらしたが、同時に人の温かさを再認識させてくれた。

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