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【ホラー小説】むしりババァ

 夕暮れ時になると、家の窓から見える風景に一人の老婆が現れる。その老婆は毎日同じ時間に、近所の古びたフェンスのツタをむしっていた。
 窓越しにその光景を初めて見たのは、まだ秋の始まりの頃だった。彼女の動きは不自然に機械的で、何かに取り憑かれたかのようだった。

 老婆がむしったツタは道路におびただしく散らばっていた。日に日に増えるその量に、私は次第に不安を感じるようになった。
 誰もその老婆に声をかけることはなく、ただただ遠巻きに見守るだけだった。老婆の頭をよく見ると、頭頂部が薄く、ほとんど髪の毛がないことに気づいた。
 初めてそのことに気づいた時、私は背筋に寒気が走った。

 ある晩、私は意を決して近くで様子を伺うことにした。老婆がツタをむしる音が聞こえる。その音は、まるで髪の毛を引きちぎる音のようだった。
 よくよく見れば、彼女の手には薄っすらと血がにじんでいた。老婆はツタをむしるだけでなく、自分の頭皮からも髪の毛をむしっていたのだ。

「なぜこんなことをするのか?」

 そう思いつつも、老婆に近づく勇気はなかった。数日後、隣人の田中さんが突然姿を消した。心配になった私は、田中さんの家を訪ねてみることにした。
 玄関のドアは半開きで、中からは奇妙な臭いが漂っていた。恐る恐る中に入ると、リビングの床にはツタが散乱していた。

 驚愕のあまり言葉を失った私は、何かが背後にいることに気づいた。振り返ると、そこにはあの老婆が立っていた。
 彼女の手には田中さんの髪の毛と思われるものが絡みついていた。そして、その老婆の口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
 老婆は静かに話し始めた。

「私はむしることしかできないのよ。最初はツタをむしっていた。でも、それだけじゃ満足できなかった。だから、自分の髪の毛をむしり始めた。でも、それも足りなかったの。だから、他人の髪の毛をむしるしかなかったのよ。」

 彼女の声は、まるで何か古い機械のようにガラガラとした音を立てていた。その瞬間、私は理解した。
 老婆は何かに憑かれているのだ。それが何かはわからないが、彼女の異常な行動の原因はそれに違いない。

 逃げ出す勇気が出ないまま、私はその場に立ち尽くしていた。老婆はゆっくりと近づいてきた。彼女の手が私の髪に触れるその瞬間、何かが私の体を貫いたような感覚に襲われた。
 次の瞬間、私は床に倒れ込んでいた。

 目が覚めた時、私は病院のベッドに横たわっていた。私の頭には包帯が巻かれており、髪の毛はほとんどなくなっていた。
 医者は私に言った。

「あなたは奇跡的に助かりました。でも、髪の毛は二度と生えないかもしれません。」

 その後、あの老婆は姿を消した。警察も彼女を見つけることはできなかった。近所では彼女のことを「むしりババァ」と呼ぶようになり、誰もがその名を恐れた。
 しかし、私にはまだあの老婆の声が耳に残っていた。

「むしることしかできないのよ。」

 それ以来、私は毎晩悪夢にうなされ続けた。夢の中で、あの老婆が再び現れ、私の髪の毛をむしり取る。
 その光景が何度も何度も繰り返される。そして、目が覚めるたびに、私はその夢が現実であったかのような錯覚に囚われるのだ。

 むしりババァはどこに消えたのか、誰も知らない。しかし、私は知っている。彼女はどこかでまだむしり続けているに違いない。
 ツタを、髪の毛を、そして、次なる犠牲者を。

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