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日記 2023/6/5

用あって渋谷。やけに天気がいい。暑い。
迫る夏の影が見える。
腕に塗った日焼け止めが光って、きみとの話を思い出す。

用事が終わる。14時半。
今日は休日である。誰と何の予定もない休日である。朝から少し倦怠感があったけれど、何を隠そう用事はまつ毛パーマだったので、その間中爆睡させていただいて、それはそれはスッキリしている。
渋谷。自由な休日。映画でも観よう。
tohoへ向かいながら、片手でスススとチケットを買う。便利な時代だ。月曜日でも関係なく人通りの多い渋谷。横断歩道の白線が点滅する、日差しが刺さる。
映画館に到着して気づいたことがある。私は渋谷のtohoで映画を観たことが、ない!スクリーンによって階が分かれている渋谷のtoho。私の観るスクリーンに売店はあるかしら?小腹が空いてきた。そわそわと2階への階段を上がってみる。違うスクリーン、その向かいにはメルヘンな喫茶店。まるで(喫茶店の偵察に来ただけですよ)といった具合で食品サンプルを眺めまわし、何食わぬ顔で階段を再び降りる。間違えた。
地下1階の、私が観る映画のスクリーンへ向かう。なんだ、ここにも売店あるじゃない。販売スタッフの若い男女が、こちらをチラチラ横目で見ながらお喋りしている。買うなら買えよ、買わないなら行けよ。聞こえる、心の声。またもや何食わぬ顔でお手洗いへ避難。尿意と呼吸を落ち着かせ、再び売店へ向かうと、他の客で徐々に混み合ってきていた。よかった、売店で一緒に迷ってくれる仲間がいた方が心強い!
チュリトスとミルクティーを購入。先にチュリトスが手渡されたが、包み紙が袋状ではなく、片方があいているタイプで、溢れるシナモンシュガーがカウンターを覆う。心の中でアワアワするけれど、決して表には出さずスマートに。手のひらで軽く払い落としてミルクティーを受け取る。それにしても売店のお兄さん、ちょっと冷たくて若者という感じで、渋谷だなあ。

映画が終わったあとの心の行き場を見つけるのは難しい。勢い任せにエスカレーターを登っている途中、パンフレットを買いたいのだということを思い出し、少しオロオロしてから再びエスカレーターを下る。冷たいお兄さんからパンフレットを購入。さて、ここからどうしようか。帰ってしまうにはまだ、映画の感想が落ち着いていない。エスカレーターを再びのぼり、西陽を背にして東へ足を進める。喫茶店へ行こう。
お決まりの茶亭羽當。月曜の夕方はさほど混雑しておらず、すぐに入ることができた。何度行ってもカウンターでの注文には慣れないものだ。温かいウインナーコーヒーを注文し、パンフレットを取り出す。こういうとき、誰に見られてもいない(見られても構わない)はずなのに、自分が何を読んでいるのか知られるのが恥ずかしい、と思ってしまう。背表紙をなるべく上に上げないようにページを捲る。誰も見てないよ、おまえさんのことなんざ。
ウインナーコーヒーが差し出される。ふわふわと、スプーンで乗っけたようなホイップクリームは雲のように滑らか。ただ、ここで危険が待ち受けていることを私は知らなかった。その下に隠された、ブラックコーヒーの熱さといったら!生クリームのひんやりに騙された私はコーヒーで口中火傷。それでも動揺は表に出さず、あくまでもスマートに決め込む。(あっっつぅぅ!)
口が落ち着いたら、スプーンでクリームだけをひとくち。程よい甘さとなめらかさに、先ほどの衝撃が溶けていく。もうひとくち、そしてまたひとくち。

隣の常連のお爺さんの、禁煙成功エピソードに片耳をそば立てながら、パンフレットを読み、映画アプリに感想を綴る。どんな作品も咀嚼の仕方はさまざまだし、キリがない。でもせめて、その日のうちくらいは、頭を重くさせて欲しいものだ。ひとりはそんなときに有難いのだ。

青山ブックセンターで本を買って、あまりに増えてしまった積読に悩みつつ、まあいっか、と呑気なふりをして帰路につく。思い出す人がいた。恋焦がれていたあの人のこと。近頃本を買うとき、よく一緒にいるからつい、思い出してしまう。「恋をしている」、頭の中でしてしまっていたこの定義は私を苦しませた。これも言葉のもつ残酷性なんだなと思うと、言葉のそのような側面から解放されたときの自由さは無限である。今はただ、その人に向けた私からの愛があるだけ。時折心を見せ合い、時間を共有している仲なので、よく考えれば最高なのだ。そう思ったら心が軽くなった、6月。「常識」や「普通」が邪魔をしていたんだなと思う。こう思ってるんでしょ?と自分なのに自分を決めつけていたことに気づく、駅までの道。羊雲がチラチラと、ビルの隙間から、ビルに反射して、私を覗き込む。夏は近い。私はまだ生まれたて、まだたくさんのことに気づけると思うと、季節が巡ることに希望を持てた。

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