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#勇気の芸術 15 『若さをあきらめなくていい』


ふと思うことがある。

"若さ"というのは、究極は
年齢のことだけを指すのではないのかも知れない。
学ぶことをあきらめた人が、その姿態として若さを失っていくだけなのだろう。



例えば、これは仮説だけど
人が四足から二足歩行になった時、
頑なに四足の美学を守った人もいるとおもう。

変化しようとしなかったひとは、
何を守っていたのか、
そして何に化けていったのか、
とても興味深い。

年齢の若い人だけが二足になれたのか。
年配だから二足になれなかったのか。

おそらく年齢ではなく、学ぶことをあきらめなかった人、新しいムーブメントの先に生きていくことを見つづけた人。
それを選びたくなかった人との差があるのではないか。

規律や風潮を盲目的に守ることほどおそろしいしいことはない。

残すものは残す。

変化を避けられないことは、あらがわずに受け入れる。

2021年の時点ではこの国の平均年齢は47.3歳。全体からみれば、47歳だって今は若い方に入ってしまう。
ここから時代の変化のスピードが本当に史上最速になるとしたら、次から次へと流れがやってくる中で年齢の意味は大きく変わっていくのだろう。

「最近若いものは~」
という、これまで繰り返し唄われてきた名フレーズも言えなくなるのかもしれない。

新しい技術や価値観を受け入れ、陳腐化したら捨ててもいい。そのスピードも上がっていく。

僕たちにはそのめまぐるしい速さのなかで、乗り物酔いせずにみごとなバランス感覚で生きていくことが求められる。
今は、そのバランス感覚の準備をしている。







ときどき詩 その五
~ 環らさせ ~

まだまだこんなところであきらめてはだめだ。

変わることをおそれてはだめだ。
常変身の勇気は、生きる意志と同じだ。

生きる意志を持つために、
自分らしくすべてに心をぶつけるんだ。


ぜんぶぜんぶだ。

泣いたり、
笑ったり、
思いっきり、
みっともなくやったらいい。

心を動かすんだ。


僕が割と早く死んでしまうとしても、
僕には姿勢をみせる義務がある。

後輩がその姿勢をみて、
またその次へとつなげるのだから。

その姿勢を循環させる。


産まれてきて死んでいくまで、
やることなんてそれしかないはずだ。

この共同体の中では、
生きることを勝手にあきらめていいなんてことはない。


さみしくないはず。


それでもさみしかったら何度だって勇気を送る。

人類みな兄弟は戯言なんかじゃない。







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