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71「MとRの物語(Aルート)」第五章 3節 銀色の青い雪の下で

まるでサイコロを振るかのように。
脳内でふったサイコロの、出た目に従い執筆するように。
執筆をつづける私。それはディーン・R・クーンツに学んだ手法の拡張版。

(目次はこちら)

「MとRの物語(Aルート)」第五章 3節 銀色の青い雪の下で

時の流れを下るRは、周囲に目を向ける。きらきらと光る波や水筋(みずすじ)、荒々しい水の流れによって生じる気泡に、何かの映像が映っている。ゆらめくそれらに目を凝らすと、それは波間に繰り広げられる誰の人生が、反射し、屈折してRの目に届いたものだった。水のうねりが、光る泡が、また水中にゆらめく水草などがすべて、誰かを、あるいは何かの事象を暗示しており、それらがあわさって作られるこの水中の景色それ自体もまた時間、あるいは人類の歴史の一部、であった。

 こんなにも多くの人が、こんなにも多くの流れが、
 地球の、人間の歴史なんだ。

Rはこの暗い水底から周囲を見渡し、ごうごうと流れる水の流量と、この河らしきものの巨大さに圧倒され、気が遠くなりそうになった。水面は明るく激しく、そして水底はどんよりとしていて薄暗く、底も見えない。時折Rと同じような、歴史を行き来していると思われる銀色の鮎が横切った。

 上方に、きらっと光る波を見てRはそちらに近寄った。細い波の間をのぞくと、そこには団扇(うちわ)を左手に持ち、机に向かってあぐらを書き、すばやく万年筆をあやつっているMの姿が見えた。窓の外は真っ暗で、机に置かれた電燈だけを頼りに、Mは原稿を書いていた。

 Mさん!!

Rの呼び声に気づいたのか、波間に屈折して歪むMの顔がこちらを向いた。その眼には、いつもの輝きがあった。その顔は若く、Rと同じ年か少し上くらいに見えた。

「誰だ!!」

 Mさん、わかるんだね、私だよ、Rだよ!!

だがMは首をかしげて、再び机に向かってしまった。Rは水の流れに、何度か体当たりをしてみたが変化はない。映像はかき消えて、Rの銀色の身体は、それをすり抜けただけだ。水に逆らって泳ぎ、元の場所にもどると、また波間に屈折した映像が見えた。それは万年筆を持つMの姿だ。その繰り返しだった。せめて妹さんが助かったかどうかだけでも知れればと、Rは部屋の中の、見れる範囲を観察したが、何の情報も得られなかった。

 これが夢なら、入り込めてMさんとお話が出来るのに……。

その場にとどまっているのに疲れてきたので、Rはそれ以上の観察をあきらめ、流れに身をまかせた。他にもMさんが登場する映像が、見れるかもしれない。それはきっと水流の上澄みの方にあって、きらきら光っているはずだ。Rはゆっくりと下流に流されながら、そのような「変化」を探した。

 あった!

薄い雲の切れ間から差す、薄明光線のような、淡いきらめきが、頭上の一点から射していた。きっとMだ。Rはその一点に向かって泳いだ。細い隙間から覗くと、銀色の風景の中で、学生らしきMが、頭上を見上げて立っている映像が見えた。すべてがモノクロの世界。これはきっとMさんの夢だ。

「Mさん!!」

驚いたMが、Rの方を向いた。RはすでにMの夢の中に入り込み、平成の美少女(?)に、その姿を変えていた。

「誰だ、お前……。俺の読者、ではないよな? どこかで会ったことが?」

Rは、にこっと微笑んでMが自分のことを思い出すのを待った。だがMは、Rの答えを待っている。仕方なくRは答えた。

「うん、私ときみたけ君は、あったことあるよね、子供の頃に、同じ夢の中で」

「夢? これが夢だと」Mは再び、銀色の空を仰いだ。はらはらと雪が舞い降りてきた。

 そうか、これは「豊饒の海、第一巻の、清顕(きよあき)君と本多君の、
 問答のシーン……。

  その時始業の鐘が鳴り、ふたりの青年は立ち上がった。
  二階の窓から、窓辺に積る雪を固めた雪礫(ゆきつぶて)が、
  二人の足元に投げつけられて、きらめく飛沫(ひまつ)を上げた。

   ※新潮文庫・「春の雪(豊穣の海・第一巻)」
          三島由紀夫著 P.131より引用、改行位置調整

「もしこれが夢なら……」Mは言った。

「僕はきっと、今日の昼間親友に傷つけられたことを気にしているのだろう」

「親友?」

「ああ。君は僕の親友が今日僕から奪った女性なのか。今日は僕の最愛の女性が、彼によって奪われた日だ。君はその、最愛の女性のメタファーではないのかな? ここで感傷にふける悲しく無様なこの僕を、残酷にも笑いに来たのではないのかな?」

「違う! 違うよMさん。私は知りたいの、あなたの妹さんは、今どうなったの? あなたの最愛の女性って、あなたの妹さんのこと?」

Mは目を見開き、口をぽかんとあけて、Rをにらみつけた。その唇が、怒りに震えていた。

「お前は誰だ。僕に何を聞きたいって? 僕の妹は死んだ。数年前にね!!」

Rはそれを聞いて、しばらく黙っていたが、やがて涙をぽろぽろと流し、濡れた地面に膝をついた。

「そうだったんだね……。ごめんねMさん……。あなたの妹さんを救いたかったのに……。私、失敗しちゃったんだね。ごめんね」

大粒の涙を、制服の袖で拭うR。MはRに歩み寄り、片膝をついてしゃがみ、Rの肩に手をかけた。

「こちらこそすまない。あなたが誰かはわからないが、妹は死んだ。でも死の間際に、僕にありがとうと言ってくれた。それに、妹の魂は、今も僕の中に生きているから、心配しないでもいい」

Rは何も言えず、ただただ泣きじゃくるばかりだ。どうしてこうなったんだろう、Mさん、ごめんね、ごめんね。

MはRの肩を、ぽん、と叩いて言った。

「君がもし、歴史を変えようという意志を持っていたとする。君の意志通りに、歴史をねじ曲げようとしたとする。だが……」

はっとしてRは、Mを見上げた。それは本多君が、清顕にかけた言葉と同じだったから。

  本多は言葉をつづけた。
  「百年後に俺の思うままの形を歴史がとったとして、
  貴様はそれを何かの『成就』と呼ぶかい?」

  「それは成就にはちがいないだろう?」

  「では誰の?」

  「貴様の意志の」

   ※新潮文庫・「春の雪(豊穣の海・第一巻)」
          三島由紀夫著 P.127より引用、改行位置調整

Mはきらきらと輝く薄明光線を背に、立ち上がり、空を見上げた。

「ありがとう。僕は思い出した。僕にはあなたとの約束があったんだったね。僕は妹を救えなかった。それは僕のせいだ。僕は二度とこの夢を忘れないように、夢日記に書きとめなければ。Rさん、きっとまた会えますよね」

Rを見おろし、Mはにこっと笑った。その姿が、白い光に包まれ始めた。

「待って! 待ってMさん!! あなたのせいじゃないの、私のせいなの!」

Rは立ち上がり、Mの黒いコートの裾を掴もうとした。だがその手は、空を切った。

 Mさん……。

<つづく>

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