セクシュアリティの話
私はつい最近までバイセクシャル(バイロマンティックも)を自認していました。
前に書いたこの記事で好きな女の子がいるというお話をしたのですが、なんだか私の中で友達に戻ってしまいそうなんです。
よくよく考えたら、かわいい、いつもそばに居たいっていう感情はまだあるのですが、
これが“好き”ではない気がしていて。
友情がなんらかのバグを起こして一時的に一線を超えてしまったみたいな感じなのか…
私にとっての“好き”はもっと抽象的で先述のような母性的な感情ではなくて、とにかく言葉にしづらい感情なんです。
というか最近は何が”好き”なのか分からない。
何を恋愛的に”好き”と呼んでいいのか分からないんです。
もしかしたら今まで1人も人を好きになったことがないのかもしれない。今回のように、ただの友情のバグだったかもしれないし。
私がしちゃいがちな興味持って、すぐ飽きちゃう系の”恋愛的に好き”というより”興味がある好き”なのかもしれないし。
私の恋愛感情って、思ったよりもずっと複雑で、
絡まっていて、簡単にほぐせないものなのだと改めて知りました。
私自身も今までそれを軽視していたところはありますし、その「好き」に向き合わなきゃいけないのって、好きになった相手じゃなくて、本当は私だったんだ、と気がつくことができました。
私が将来、どんな人を好きになっても、結婚したいと思える人と出会っても自分が、そのままでいていいんだと思えるように。
自分のセクシャリティは自分だけが持っているもので、安心するためにわざわざ自分から型にはまりに行く必要などないんだと、最近は考えるようになりました。
自分がセクマイだと気がついた時には、親やともだちに受け入れてもらえるかの前に、まずは自分自身で受け入れることができなくて、不安で不安で仕方がなかった時もありました。
私はこのままでいいのか。異端者じゃないのか。
恋愛これまで通りできるかな。
不安でいっぱいでしたが、今は、セクマイさんが集まり、周囲への理解を深めることを目的とするコミュニティに所属するまでになりました。
時が経つにつれて、自分を自分だと貫けるようになり、私が所属していたバイセクシャルの枠を出られることができます。
私は私です。他の誰でもありません。
こういった経緯で、私は自分のセクシャリティを決めないことにしました。
もう、カミングアウトもクソもありません。
私は私だから、私の一個性として自分でも、私の周りの人にも見て欲しいんです。
誰が好きだって、おかしくない。
私が好きな人が好き。
誰を見て惹かれても、おかしくない。
この気持ちに気づけるのは私だけ。
こんな気持ちで、死ぬまで、セクシャリティを決めないことにしました。
我ながら大きな決断ですが、もう揺るぎません。
我が道を行こう。
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