私たちはまだ「子ども」を知らない。

今年で28歳(オープン)、
学生時代の友人や会社の同期が
そこそこ結婚して、そこそこ子どもを産み始めている。

そして、
高校時代からずっとくっちゃべって、
気づいたら出会って10年以上経っていた
私たち友人4人組は、
それぞれ人生の転機を迎えている。

1人は結婚してそろそろ地元に家を買う。
1人は入籍したばかり。
1人は去年結婚して、そしていろいろあって去年離婚した。
そしてわたし、未婚。

この4人でいつもみたいにくっちゃべる。
昔からなんでも喋ってきた。
自分の生活のこと、
服やメイクのこと、
家族のこと、
恋愛のこと、
仕事のこと。

そして最近私たちを取りまく
最もホットな話題が「結婚」と「子ども」だ。

結婚は結構前から話していた。
相手、タイミング、家族とのやり取り、
住まいや生活の話。
結婚する人が増えるとかなり具体的な話題にまで
入ってくる。

でも「子ども」については
全員未経験。
だからこそ、ここの話題にはややドリームも
混ざりながら、話の中でより大きく発展していく。

先日、
彼女達と話していてかなり深く話し込んだのが、
「名前」
女子高生みたいでアホくさいが、
ネットで姓名診断をして、
旦那の姓と相性のいい名前を調べた。
楽しい。

まあそんな軽い話もしながら、
めちゃくちゃ深い課題に切り込んだやつがいる。
「子どもってどういうきっかけで欲しいってなるんだろう」
最近入籍したばかりの彼女の
問いかけによって私たちは迷いの森に
投げ込まれた。

「かわいいから」
→ないね。それなら犬でいけるじゃん。
「相手に欲しいって言われたから」
→もうちょい主体的でありたいね。
「自分の将来のために」
→なんか自己中な感じするね。いや、でも現実的にこれは考えても不自然なことではないよね。

なんて会話をしつつ、
結局答えは見つからなかった。

そんな中で1人は、
まず結婚、出産という過程が
女性として自分に与えられた役割だし、
周りがやってるのに自分はやってないっていうのが
遅れてる気がするから
結婚するもん、出産するもん、
って思ってるかな。なんてお声もあった。

私は同意ではないけど、
その感覚を理解はできる。
つまり「欲しい」とかそういった
欲求を伴う思いからキッカケは生まれないよ、
というパターン。

子どもを産みたい、
と思うきっかけが見つからない一方で、
結婚した友人の場合、
すぐに子どもを欲しいと
思わないのにははっきりとした理由がある。

それは「職場」。
結婚している2人は
1人は看護師、1人は地方公務員で
働いており、まあまあハードな職場。
そして、明らかな人手不足。

1人は、
結婚報告の際に「妊娠はしてないよね?」と
おめでとうの前に言われたらしい。(悲劇)

そう、わたしたちに立ちはだかる壁はこれ、
「子どもを産む」という超個人的イベントを、
社会で存在する自分、自分が属する組織と、
どうやって両立させるのか考えねばならない。

「子どもが欲しい<乗り越えなきゃ行けない問題」
と構図は明らかに欲求より問題が大きいので、
なんとなく「子どもが欲しい!」と
言い切れない節があるような気もする。

恐怖の言葉
「子どもを産んだら変わるよ」

そして、
まだ子どもを産むか産まないかの選択よりも、
結婚すらしてないのにこんなにモヤモヤしている
めんどくさい代表の私が
なかなか咀嚼できない言葉がこれだ。

「子どもを産んだら変わるよ」

初めて言われたのは母だった気がする。
果たして自分は全てを差し置いて、
子どもを愛せるのかな...なんて吐露したら、
そう言われた気がする。

今たまたま女性が多い職場環境だからか、
この話題になることは多い。

「子どもを産むと優先順位が変わる」
「変わりたくなくても子どもが一番になる」
「この子のために全てを捧げなきゃと思うと、
今まで大事にしてたものを全ては大事にできない」

ここで想像できるのは、
「子ども」がいかに尊くて愛おしいものか、
ということ。
自身の価値観を揺るがす、
とんでもない愛おしいものらしいということだ。

でもまだその物体がない私には、
そこまでの変化は
やはり想像しにくい。

そしてそのいわゆる変化は
「生物学的」にホルモンバランスが変わったり、
本能的なもので変化するらしく、
生物学的なのだから事実なのだろうと思う。

ただ一方で「生物学的変化」が
実際に起きてきない以上、
その変化に共感はできないし、
むしろ恐怖と感じる。

今は自分が一番優先だ。
仕事をして、自己実現して、
稼いで生活して、
残る時間とお金で遊ぶ。

特に仕事面では、
私は職場でこんなふうになりたいな〜
このポジションにつきたいな〜
なんて思って、そんなモチベーションもありつつ
働くのが毎日なのに、
それが...変わる可能性がある...???

正直想像ができないし、
想像だけだと不安で恐怖でしかないのだ。
自分が意図せず、変わってしまうのだから。

そしてそれを恐れる私なんぞに、
そもそも母性ってある?とも思う。
母性も、注ぐ対象がないと、
図ることができないのも事実。

そして、
女性で子どもを産んで一生懸命に
仕事をしてる人もいるけれど、
まだまだうちの会社の
出世有無は
「子どもいるいない」
「パートナーの稼ぎが自分より高いか低いか」
で左右されている気がするので、
私もどちらかに振り分けられるんだな。
と思うとなんだか辟易する。

とにかく、
子どもをまだ持たないアラサーにとって
子どもは「モヤリティ」すぎるのだ。
※モヤリティ•••「逃げ恥」で登場するモヤモヤを表す言葉。モヤ感が可愛くなるので多用している。

このモヤリティが小さくなっていかない限り、
出産費用が保険適応されようが、
奨学金がとりやすくなろうが、
保育園に預けやすくなろうが、
子どもを産もうと思わないというわけで。

最近、
私たちはあらゆる選択ができるようになった。
それは、
結婚せずともよく、
籍を入れずにパートナーといることもよく、
パートナーがいなくてもよく、
働きながら母にもなれて、
働かず一家を家庭で支えることもできる。

そしていろんな選択肢を選んだ、
先人たちを目の当たりにする。
人生の選択には「正解」が存在しないため、
人の選択をみて、
どんな選択も幸せにみえるし、
でも幸せそうには見えないし、
どんな選択も自分にできそうで、
全然できなさそうにも見える。

正解があったらよかったのにな、
そんなことを言いそうになっては引っ込めるけど、
たまーにそんなことを考える。

自分にとって、
すべき選択とは?
その迷いの中に、私たちがまだ知らない、
「子ども」はずっしりと座り込んでいる。

このnoteで何か結論が出るわけではない。
ただ、
今の時代あらゆる方法で
色んな情報や経験談に触れ、
情報を事前に知ることができるのは
大変ありがたい。
ありがたいけれども、
これによって必要以上の不安や
リスクを感じてしまい、怖くなる。

そりゃ少子化も進むわ!!!!
と思うけれど、
メディアで報道されるのは
「国からの金銭的な援助」
違うよーーー!!!いや、現実的にはそうだけど、
そうじゃないんだよ。
それだけじゃないんだよ。

私たちが子ども持つ、ということに対して
事前に考えうるリスクや問題は
金銭的なことだけではなくて
もっと深くて広くていろんなものと
絡み合って存在してるんだから。

生まれてくる子どもも、
親も家族も、
産まない人も産めない人も、
みんなが生きやすい社会に
なって欲しいものだなぁ....
というボヤきでした。

ただのボヤきしかできない
そんな自分に恥ずかしく感じる、
やるせなさを、ぶつけてみました。

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