【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮) 53話
次に出会ったとき、聞いてみた。演奏中ってどんなこと考えてるんだって。少しだけ考えてからあいつは言った。
「別に何も」
ただ、そのあとで続けて言った言葉が印象に残ってる。
「でも、どこか別の場所に辿りつけたらいいなって思ってるかな」
「別の場所?」
「そう。それがどこかはわからないけれど、どこか別の場所」
「別の世界ってこと?」
「いや、わからない」
そう言いながらあいつは少しだけ微笑んだ。それからは特に変わったことはなかった。会えば話すし、あいつがライヴをやる時には観に行ったりもした。それでもお互いのことを聞いたり、それぞれの生活に干渉したりすることはなかった。相変わらず名前も知らなければ、お互いどこに住んでるのかも知らなかったし、あいつが普段どんな生活してるのかも知らなかった。傍からみたら少々おかしなことだったかもしれないが、特に気にもしていなかった。たぶんあいつのそうだったろうと思う。
そんな風に過ごしているうちに4年生になり、俺の卒業の日が近づいてきた。年が明けて、卒論やらなんやらであまり大学にもいかなくなっていたんだが、ちょっとした用事で大学に行かなきゃならない日があって、行ったんだ。その時にあいつに会った。まるで俺のことをずっと待っていたんじゃないかってくらい、必死な面持ちで俺の前に現れた。そんなことは今まで一度もなかった。待ち合わせだってしたことなければ、相手のことが見つかるまで学校で張っているなんてこともしたことがない。あいつに関していえば、それに加えて焦ったりするのとは皆無なやつだと思ってたし、実際そんな風だった。だから俺は少々焦った。そんなことお構いなしに、あいつは言った。
「あなたにしか頼めない。何も言わずこれを受けとって欲しい」
差し出した右手が掴んでいたのは、小ぶりの茶封筒で、中になにか入れた状態で雑に折りたたんである。
「待てよ、急に。どうした?何があった?」
首を左右に激しく振る。
「何も。とにかく受け取って欲しい。預かってくれるだけでいいんだ」
「どうしたんだ?急すぎてわけがわからない。わけを教えてくれ」
ゆっくりと首を横に振る。
「今は聞かないで欲しい」
重苦しい時間が流れた。突然の懇願とも言える申し出に困惑したが、なにやら訳ありで、あまりに必死の様子のやつの顔を見ているうちに、なんとかしてあげたいという気持ちが湧いてきた。
「わかった。理由も聞かない。ただ預かればいいんだな?」
力強く、ゆっくりと頷く。そして封筒を手渡された。折り方からいって札束とかではなさそうで、受け取る時に中からカラカラと乾いた音が聞こえてきた。
「もし、いつまでたっても僕が取りにこなければ、人知れず壊して捨ててくれればいい」
「まるでどこかに行ってしまうみたいな口ぶりだな」
それに対する返事はなかった。
「中身はなんなんだ?それくらいは良いだろう」
「今は言えない。時間が経ったら見てもらって構わない。君にまかせる。今日帰ってから見たっていいし、10年後に開けてくれても構わない。いや、見ないで捨ててくれても良い」
「なんだか抜き差しならない事情みたいだな。わかったよ。とにかく預かればいいんだな」
俺の目を真っ直ぐ見つめ、力強く頷いた。
「わかった。預からせてもらうよ」
「ありがとう」
安請け合いして良いものだろうかとも思ったが、あいつの真剣な眼差しが、俺に、預からなくちゃいけないという思いを持たせた。
ほんの少し表情が柔らかくなったあいつが、尋ねてきた。
「今聴いてる音楽は何?」
「そうだな、ヴェルベット・アンダーグラウンドかな」
「偶然だな、僕もだ」
それがあいつと交わした最後の会話だった。
坂口との話が終わると父は、今度はカズマサと母親に向かって語りかけるように続けた。
「周囲に馴染むことなく、そこにいる。目立つわけでもないがどこか浮いているというわけでもない。その場の空気を乱すなどということもない。でもよく見ると、誰にも明け渡すことのない、特別な領域を隠し持っている。密かに抱え込んでいるというべきなのかもしれない。その領域が他の人にとって価値があろうとなかろうと、関係なく、その領域を抱え込んでいるのだ。あいつはそういうやつだった。出会った回数も交わした会話の数もそれほど多くはない。それでも俺とあいつには不思議な絆のようなものがあった。少なくとも俺はそう思っていた。けれど突然あいつは俺の前から姿を消した。結局俺はあいつのことを何も知らないし、理解もしていなかったのかもしれない」
続きはなかった。父親の話はそれで終わりだった。
カズマサが遠慮がちに口を開く。
「中身はなんだったの?」
「ああ。あいつがいなくなってからかなり経ってから、確認したよ」
母親の方を一瞬見て、お互い何かを確認し、父親は言った。
「カセットテープだ」
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