【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)⑫

「猫と話したいの、うちの猫と」
突然、帰り道でのナナミとの会話を思い出した。
「猫?」
「そう、一つだけ願いが叶うなら、私は猫と話したいな」
「スピッツの曲にあったね。「猫になりたい」って。」
ナナミはそれについて少し考えた様子だったが、話を続けた。
「だって、どんな気持ちか聞いてみたくない?猫でいるってどんな気分なのか。我が家の居心地はいかほどか、とか」
「猫飼ってるんだ?」
ナナミは少しだけ恥ずかしそうに頷いた。

 なぜそんな会話になったのかカズマサは思い出せなかった。でもなぜ猫なのだろう。願いごとならもっと違うことに使うべきなんじゃないだろうか。その場ではそんなこと言えなかったけれども、今になってそんな風に思えた。そしてそんなことを考えているうちにA面が終わっていた。カズマサは明日もう一度あのレコードショップに行くことを決めた。

 翌日、一時間目授業からずっとレコードショップとナナミのことを考えていたカズマサは、授業終了のチャイムでようやく現実に引き戻された。カズマサは、いつものように学校を出て駅に向かう。だが目的地がいつもと違う。駅に着き、改札を抜け、帰りのホームとは反対のホームに立っていた。電光掲示板が次の電車まで4、5分あることを知らせている。自分はあの店に行きたいのか、もう一度あの子に会いたいのか。それともその両方だろうか。

 彼女に会ったらなんて言おう。「マシュー・スウィートすごい良かったよ」とでも言うのだろうか。情けなくなるほどマヌケな台詞しか出てこないことに愕然とした。電車を待つ時間がもどかしい。はやる気持ちを抑えようとカズマサは鞄からデジタルプレーヤーを取り出し、イヤホンを耳に装着した。選択したのは前回と同じ、ウィーザー『ブルー・アルバム』。たしか彼女が一番好きなウィーザーのアルバムだったはずだ。2曲目「No One Else」が始まったところで電車が来た。ドアが開ききる前に乗車し、入り口横のスペースに陣取った。昨日と変わらない景色が続き、時間どおりに次の駅に到着した。気持ちは焦っていたが、ここからは慎重にいかなければならない。昨日の父親の会社へ向かう道ではなく、彼女との帰り道を反対に辿っていかなければならないのだ。彼女に案内してもらった通りに行けば、そんなに難しくはないはずだ。曲がった回数も少ない。最初に目指すのは信号とタバコの自販機だ。スマートフォンで調べてもよかったが、住所もよくわからないし、カズマサのこれまでの経験上、スマホのナビで目的地までたどりつけた試しがなかったし、そのため使いこなすことも半ば諦めていた。自分の感覚を頼りにしたほうがまだいくらかマシで、実際の道を辿ったほうが良さそうだった。

 最初の目印も、次も、その次の目印も簡単に発見できた。ここまでは迷うことなく来れている。そしてあともう少しだ。次の角を曲がり、その先に小さなパーキングがあれば、そこがあの店に通じている通りだ。少し早足になったカズマサが角を曲がると、そこには昨日と同じように、車が三台止められるだけの小さなパーキングがあった。景色も昨日と変わらない。違っているのは空が昨日より明るいことくらいだ。カズマサは単純に嬉しくなった。 

イヤホンから流れている『ブルー・アルバム』はラストの「Only In Dreams」に差し掛かっていた。音楽に合わせてカズマサの胸も高鳴っていた。反面後悔のようなものも押し寄せてきていた。自分は一体何を期待しているのだろう。ここに来たからといって彼女に会える確証もない。それでもカズマサはここに来なければいけないような気がしていた。なぜかはわからないけれどここに来るべきだと思ってしまったのだ。昨日と変わらず店の前には看板が置いてある。あった。「NINe Records」だ。それは相変わらず街にそぐわない不自然な佇まいで、その場所にある。特に変わった様子もなく、時が止まっているかのようだ。そして入る前から客がいなそうな雰囲気が伝わってくる。2日連続でこの店に訪れる物好きは自分くらいなものだろうと、カズマサは自分を皮肉った。

 あの店員にまた来たと思われるのもちょっとイヤだという気持ちにもなり、店に入るのを少し躊躇ったが、入らなくては何も始まらないと考え直し、店に足を踏み入れた。大学生風の店員が昨日と同じ場所に立っている。昨日からずっとそこにいるのではないかと思えるほど、変わらない風景がそこにはあった。唯一違うのは、店員のTシャツが前回とは別のストーンズのものになっているという点だった。バンドTシャツを着ている人間を見ると話しかけたくなる衝動に駆られるのだが、いつも行動には移せはしない。もちろん今回もそうだ。以前一度だけ、勢い余って話かけてみたものの、その人は着ていたバンドのことを全く知らず、会話が全く噛み合わないということがあり、痛い目をみたのだ。カズマサが思うほどファッションと音楽は繋がっているわけではないのだ。ただ、レコードショップの店員をやっていて、知らないバンドのTシャツを着るなどといったことはない(というよりあってはならない、とカズマサは思う)はずだが、経験から用心深くなっていた。そもそもこの状況で話しかけることができる勇気をカズマサは持ちあわせていない。チラチラと店員(のTシャツ)を眺めつつ、昨日の続きからレコードをチェックしようとレコード棚へ歩いていった。いつものようにレコードを一枚取り上げては下ろし、次のレコードを取り上げては下ろしていく。優しく扱わなくてはならない。特に下ろすときにはそっとだ。カズマサはレコードを乱暴に扱うことを嫌ったし、乱暴に扱う人間も嫌っていた。カズマサもレコードを聴くようになった当初(中学3年生ころだったろうか)は、レコードショップでよく常連客に睨まれたものだった。今日は「あの瞬間」は訪れないはずだ。頭の隅、いや多くの部分を別のことが占めているからだ。そう、カズマサは彼女のことが気になって仕方がなかった。もちろん約束をしているわけではないし、会える確証などない。そんなことはわかってはいたが、それでもここに来てしまった。カズマサは昨日の続きの場所からレコードをチェックしようとしていた。昨日はアーティスト別のOまでチェックしたはずなので、その続きからだ。いつものように一枚ずつ取り上げては戻しを繰り返す。優しく扱う。特に戻すときにはそっとだ。レコードを扱うマナーは心得ているつもりだ。ただその作業に今日は集中できずにいた。別のことが頭に居座っているからだ。ナナミのことが気になって仕方がないのだ。約束をしているわけでもないし、会える保証などどこにもない。そんなことはわかってはいるのだけれど、それでもなおそわそわしてしまう。そうこうしてる間に最後の箱まで見終わってしまった。携帯電話のディスプレイを覗いてみると、店に来てからまだ10分も経っていなかった。店のスピーカーからはザ・ジャムが流れている。若きポール・ウェラーの声が聴こえる。「ザッツ・エンターテイメント」だ。ということは『サウンド・アフェクツ』だろうか。カズマサはケータイをポケットにしまいながら店員の方に目を向けた。カウンター前の「Now Playing」のディスプレイには案の定、ジャムのそのアルバムが置かれていた。CDの検品も兼ねているのかもしれない。視線をレコードに戻す。好きなレコードを前にしているのになんだか全く集中できない。カズマサの胸に後悔の波が押し寄せてきていた。ドラマや映画のようにいかない。自分を映画の主人公か何かと思っていたのか。一気に恥ずかしい気持ちに染まっていった。カズマサが暗い気持ちに沈み始めたそのとき、乾いた音とともに入り口のドアが開いた。(続く)

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