【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)⑬

「こんにちはー」
何かの間違いかと思うほど店に不釣り合いなヴォリュームの挨拶は、入り口に立つ長身でやせ細った男から店員に向けて発せられたものだった。

「あ、信二郎さん」
カズマサに対しては顔色一つ変えず応対していた店員だったが、信二郎と呼ばれるその男に対しては相好を崩していた。

「調子はどう?ヤマちゃん」
ブラックジーンズにグレーのシャツ、その上に黒の革ジャンを羽織っている。パーマが掛けられゆるくウェーブした長髪が肩のあたりの革ジャンにまで届いている。髪色はクラフト色の段ボールのような色をしているが、あまり手入れはされていない様子だった。そして濃いサングラスで目を覆い隠している。彼の姿を一言で纏めるとしたら、ある特定の人々が想像する「ロックスタイル」というものに近かった。そしてそれはこの店に合っているといえば合っている。

「いや、ごらんの通りですよ」店員の「ヤマちゃん」は見てくださいよといわんばかりに両手を拡げた。
「うん、まぁ、いつもと同じだよね」
「ま、そうなんですけど」

 信二郎と呼ばれる男は店内をぐるっと見回した。視界にカズマサが入り、一瞬気にしたようにも思えたが、すぐに店員の方に向き直した。そしてサングラス越しに何もない中空を見つめ、身体を真っ直ぐに伸ばした。何かを見つめているようで見ていない、何かの真実を見つけようと目を凝らしているようにも見えた。それはカズマサが今まで目にしたことのない、ある種異様な光景だった。次に二人はおもむろに近づき、カウンター越しにひそひそ話を始めた。彼ら二人以外でその場にいるのはもちろんカズマサだけだったので、小声で話すということは、信二郎もカズマサのことを認識しているということの証でもあった。信二郎が口に手を当て店員の耳元で何事かを囁くと、店員が頷く。次に攻守交代するかのように店員が話し、信二郎が聞き、ということが数回繰り返された。

 耳元で囁くのを止め、信二郎がもといた位置に下がると、今までの内証話が嘘のような大声で、「じゃあ、そういうことで」と別れの挨拶を口走った。

 信二郎は、右手を上げ、人差し指を何かを確認するように店員の顔に向けたあと、ドアを開け店を出ていった。カズマサは状況がうまく掴めず呆気にとられていた。もともと集中できないでいたところにこんな目に遭っては、さらに気が削がれた形になってしまったので、志半ばながら、カズマサは諦めて店を出ることにした。店員の着ているストーンズTシャツのベロマークが来た時とはなんだか違うものに見えた。

 通りは相変わらず静かだった。人の気配はなく、不思議と鳥のさえずりさえも聞こえてこない。昨日はここでナナミに呼び止められた。そして笑われた。その魅力的な笑顔は、カズマサの脳裡に見事なほど焼き付いていた。カズマサはケータイを取り出し、誰がみているわけでもないのに、時間を見たり、メールをチェックするフリをした。待ち人は、来なかった。

「そんな簡単じゃないよな」
 カズマサは店を振り返り、ディスプレイを覗き込んだ。昨日と変わった様子はなかったが、ガラスに薄っすらと映る自分の姿が、ひどく落ちぶれているように見えて仕方がなかった。もはや道を間違えることはなかったが、その足取りはひどく重たかった。道中の記憶がほとんどないままに、カズマサは自宅に戻った。自分の部屋に入るとすぐに、カズマサはターンテーブルに載せたままになっていたマシュー・スウィートに針を落とした。聴けば聴くほど良いアルバムだと思った。ギターの音も最高だ。だが同時にカズマサは寂しさに包まれるような感覚もあった。一曲一曲が薄い膜のようになってカズマサの身体を包んでいく。それはまるで寂しさという名の衣に包まれていくかのようであった。彼女に会いたい。会って話がしたい。何を?いや、わからない。でも話したい。そんな思いが頭の中をメリー・ゴー・ラウンドのように駆け回る。そしてその回転を静止させるかのように、ターンテーブルは回転を止めていた。(続く)

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