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【連載小説】アナザー・ガール アナザー・プラネット #20.0

彼女がなぜ公園に行きたがっているのかは不明だったが、別に拒否するような提案ではない。近くに公園は二つあるはずだ。どちらも歩いて五分程度で行ける。僕は何となくで、片方の公園を選んだ。

「歩いて五分くらいのところにあるけど。こぢんまりとした小さな公園だけど、いい?」

「うん、でもブランコとすべり台と、ジャングルジムある?」

「たしかブランコとすべり台はあると思う。でもジャングルジムはなかった気がする」

「そっか、でも大丈夫、行こ」

僕らは公園に向けて歩きだした。6月の気候らしく、少しじめじめしているけど、過ごしやすい気温で、Tシャツ1枚で全く問題なかった。彼女の黒いTシャツを意識したわけではないけれど、僕は反対に白いTシャツを着た。いくつかの角を曲がり、直進すると、住宅街に突然公園が現れた。25メートルプールをもう少し大きくしたぐらいの広さに、砂場や遊具が点在している。記憶の通り、ブランコと滑り台はあり、ジャングルジムはなかった。他にはベンチや鉄製の雲梯、小さな子ども用の動物を象った遊具があるくらいだった。

夕方のこの時間は小学生などが大勢いそうなものだが、ブランコに三人の小学生がいるだけだった。三人はランドセルを背負ったまま、二人がそれぞれブランコに乗り、残りの一人が行ったりきたりしながら後ろからブランコを押していた。勢いがついたブランコは音を立て大きな弧を描いていた。

僕たちは反対側の木製のベンチに腰掛けた。ぴったり寄り添うでもなく、かといって端と端でもない微妙な距離感だ。

「なんか飲む?」

僕は近くの自販機を指しながらドレラに聞いた。

「ん、大丈夫」

彼女はそう答えたきり、しばらくの間、無人の滑り台をじっと見つめていた。

「滑り台とかブランコとか何か思い出でもあるの?」

「ない。全くない」

意外な答えが返ってきた。何かあって公園に来たがったのかと思ったのに。ドレラは少年たちを見つめたまましばらく何も言わなかった。いや、正確には少年たちを見ているわけではなく、その先の何かを見つめているようだった。

「全くないのが、問題なの」

視線を全く動かさず、彼女が言った。

「え、どういうこと?」

「子供のころの記憶がね、ないの」

「え、何か病気とかそういう・・・」

僕は動揺しながらも何とか口に出した。彼女はただ首を横に振った。

「変な言い方かもしれないけど、気がついたら記憶がなかった、て言えばいいかな、ある日ふと、あれ?私、子供のころの記憶がないって気づいたの」

「どういうことだろう?」

「私にもわからないの。けど、そう気づいたの」

「そんな・・・」

いい機会とはとても言えないけれど、ずっと気になっていたことを思い切って聞いてみた。

「家族は知ってるの?お父さんやお母さんは何て?」

彼女は視線を地面に落とし、しばらく考え込んでいた。

「もちろん聞いてみた。とても驚いていた。写真も見せてもらった。でもそれは私だったけど私じゃなかった。思い出もたくさん話してくれた。三輪車で転んだこと、それで膝に傷が残ってること、幼稚園を泣いて嫌がって家を飛び出して、逃げ回ってるうちに幼稚園に着いちゃったこと、たくさんたくさん。でも写真を見ても話を聞いても、何も思い出せないの」

彼女は微動だにせず、話を続けた。

「お父さんとお母さんはとても大切に私を育ててくれていた。それは話を聞いてもわかるし、写真からだって伝わる。でも私には何の実感もない。証拠を突きつけられても真実に辿り着けないみたいな感じ。もちろん病院にも行った。でもどこにも異常はないって。医者も驚いてた。普通は過去の一部とか、反対に自分のことも全部忘れてしまうなんてケースが多いんだって。特殊すぎるって。虐待とか、虚言とかまで疑われた」

僕は言葉を一つたりとも吐き出すことができなかった。こんなときに何も言ってあげられない自分が情けなかった。

「私が私であることははっきりわかるのに、過去だけがないの」

そう言った後、彼女は小さく微笑んだ。それは諦めとも、嘲りとも違う何か別の感情を有していた。

答えたくなかったら答えなくていいけど、と前置きして僕は訊ねてみた。

「いつからの記憶はあるの?」

彼女は一呼吸置いてから、小さな声で答えてくれた。

「中学生くらいのは思い出そうとすると断片的に出てきたりする。はっきり思い出せるのは、ここに引っ越してきてからのこと」

「え、最近なんだね」

彼女は小さく頷いた。

「この街に来たのはドレラが理由?」

「ううん。それは違うみたい。お父さんの仕事の関係で決まってたことみたい。でも、わかんないな、もしかしたら私を気遣って環境を変えてくれたのかもしれない」

彼女の学校での振る舞いや、これまでの不思議な言動とかは、もしかしたらこれが原因なのかもしれない。知らないことが多いのは、明らかにそのせいだろう。冗談でもなんでもなかったのだ。僕は申し訳ない気持ちになった。そして、彼女の学校での振る舞いも、周囲に壁を作っているんじゃない、壁を作らなければいけない状況だったのだろう、僕と接しているときの無邪気な彼女を思うとよりそれを感じることができた。本当は周りの女の子と仲良くしたり、楽しく過ごす、それが本来の彼女なんじゃないだろうか。

「この街に来てから、私が最初に知り合った人はキネン君なの。正確に言うとね、記憶がどっかに行ってしまってから初めてちゃんと知り合った人がキネン君てことになるね」

(続く)







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