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【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮)㉑

「ミルクや砂糖は入れる?」

 それはカズマサたちに投げかけられた言葉だった。その言葉で我に帰った二人は、ソファに向き直り、「はい、お願いします!」とユニゾンで答えた。二人は目を合わせ、顔を火照らせる。

「冷たい方が良かったかしら?」
「いえ、大丈夫です」再びユニゾンする二人。
女性はその様子を見て、優しく微笑み、砂糖を一つずつカップに入れ、そこにミルクを注ぎ入れた。
「ゆっくりしていってね。私は隣の部屋にいるので、何かあったら呼んでくださいね」
「わかりました、ありがとうございます」ナナミが出来る限りの丁寧さで返す。全てのカップが無くなったトレイを持ち、来た部屋に戻っていった。
奥様(二人はそう断定することに決めたようだった)が部屋を後にするとそこに沈黙が訪れた。

 一連のやりとりを全く気にしていない様子の信二郎はカップを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。カップを置く音だけが部屋に響く。 

 信二郎は決しておしゃべりな方ではないが、かといって無口というわけでもない。先程のレコードショップでカズマサをからかったように(万人に通じるかは別にして)それなりのユーモアも持ち合わせている。何か聞かれたら答えるし、あまり多いことではないが自分から会話を始めるときだってある。しかし今はそのどちらもするつもりはなさそうに見える。カズマサは仕方なく出されたコーヒーを手元に寄せ、カップを手に取り、一口飲んだ。普段はコーヒーなどめったに口にしなかったが、このコーヒーはそんなカズマサにも美味しいと思えた。そしてそれは上品な味わいに感じられた。とても飲みやすく、苦いがしっかりと豆の味がする。

 白いレースのカーテンを挟んで窓からは明るい光が入り込んでいる。けれどその優しい光を否定するかのように重苦しい雰囲気が部屋に充満していた。そしてそれはどうやらそれはナナミが作り出しているようだった。ナナミが信二郎に対して恋愛感情があったのか、出会ったばかりのカズマサには知りようもない。けれどもし彼女にそれがあったとしたならば、こんな大きな家に来て、美しい奥様に出会うというのは、かなりの大事なのかもしれない。ただ二人の様子をみていると、この空気を作り出しているのはそういったことではないような気もしなくはなかった。

「ねぇ、聴こうよ」沈黙を破るようにナナミが切り出した。
「あぁ、そうだったな」少しの間があったが、信二郎が答えた。

 信二郎は自分のそばに置いてあるNiNe Recordsのショップバッグを手に取り、中からレコードを取り出した。他のレコードと離れ離れになったからなのかジャケットのバーと・ヤンシュが心なしか不安そうな表情をしているように見える。けれど、不思議なオーラを放っているのは店にあった時と変わらなかった。それを見たカズマサは再び昂揚してきていた。

 信二郎は立ち上がり、ラックのそばに設置してあるターンテーブルにアナログレコードを手慣れた手つきでセットした。準備ができているか確認するかのように二人を一瞥し、針をレコードに落とした。

 心地よいスクラッチノイズが大きなスピーカーから流れ出す。カズマサは目を閉じた。この瞬間が堪らなく好きだった。未知の音に出会うこの瞬間が、音楽そのものと同じくらい好きだった。誰も逆らうことのできない時間、その後に聴こえてくる音を待つための時間。ほんの数秒が音楽を聴くために準備されてるように感じる。そしていよいよ音が溢れ出す。それは予想した通りだとも言えるし、予想を裏切られたようにも感じる不思議な感覚だった。カズマサにとって、聴いたことがあるようで一度も耳にしたことがない音だった。初めてなのにどこか懐かしい、そんな感覚。何かに似ているようで、何にも似ていなかった。それはカズマサにとっては大きな悦びだった。新しい音に触れる悦びを全身で味わっていた。

 素晴しい音を聴かせる信二郎のオーディオたちがその悦びを加速させている。時間はゆっくりとそれでいて着実に流れていた。ありとあらゆる全ての時間は、スピーカーから流れる音が支配していた。その心地良き支配は、カズマサだけでなく信二郎とナナミも支配下に置いていた。それぞれが音に酔いしれていた。レコードが再生され続けている間は誰も口を開こうとはしなかった。話をするという行為自体がその場から消え去っていた。三人はスピーカーから流れる音のみを受け入れていた。

 アルバムは後半に差し掛かっていた。盤をひっくり返さなければ続きは聴けないはずのレコードだったが、誰がそれをしたのか、音が止んだ瞬間があったのかカズマサは気が付かなかった。針は盤の中央に近づいていく。もしかしたら次が最後の曲かもしれない。

 数秒の無音の後、その曲は流れた。始まった瞬間、カズマサは息ができなくなった。静かで柔らかなギターの音色。それに続くギターに勝るとも劣らない、ギターと共鳴しているかのように繊細な歌声。カズマサは身体のありとあらゆる部分をなにかで押さえつけられているかのような感覚に陥った。

 あの曲だ、あの曲だった。間違いない、間違えるはずがない。それはカセットテープの曲だった。ついに見つけた。まさかこんなことが起こるなんて。こんな偶然があるなんて。カズマサはぎこちなく立ち上がり、二人の前に出る。
「この曲です。この曲なんです」

 カズマサの突然の変貌に二人は顔を見合わせた。事情を飲み込めない。様子がおかしいのは明らかだが、それがどこから現れたのか、まったくわからずにいた。二人はカズマサの次の言葉を待った。けれど立ち尽くすカズマサの口から次の言葉は発せられなかった。堪えきれなくなったナナミが問う。

「ねぇ、どうしたのカズマサ君。この曲がどうしたの」

 曲はあっと言う間に終わり、次のインストゥルメンタルに変わっていた。印象的なギターのフレーズが繰り返され、その余韻を楽しむような演奏が終わると、ターンテーブルはそっと動きを止めた。針は何事もなかったかのように開始前の場所に自動で戻っていた。(続く)

 

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