【小説】ウルトラ・フィードバック・グルーヴ(仮) 52話
「話ってなんだ?母さん教えてくれないんだ、お前に直接訊けって」
カズマサがリビングに入るか入らないかのところで、おもむろに、そしていつも通りの大きな声を父親が響かせた。用があるのは自分の方なのだから、嫌な顔はするまいと心に決めていたカズマサだったが、すでにその誓いは崩れ去りそうになっていた。父親とは対面しないようにして、ゆっくりと慎重に椅子に腰掛ける。
「担当直入に言うよ、坂口さんのことなんだ」
一瞬、ほんの一瞬だけ、父親の表情が曇ったのをカズマサは見逃さなかった。
「なぜお前がその名を?」
「俺の机にカセットテープが入ってた。名前はわからなかったけど、人の助けをかりて名前がわかった」
「テープ?」母親の顔を覗き込む。続きを聞きなさいよという視線を母親は返す。
「そう、カセットテープ。聴くのも苦労したけど、なんとか聴くことができた。そうしたら、どこかで誰かが歌ってる様子が録音されていた」
「それが坂口なのか?」
再び母親の顔を見る。いつもと様子が違うのがカズマサにも明らかなほどだった。自信たっぷりで何事にも動じない、いや鈍感というべきか、そんな父親が少しうろたえている。母親に助けすら求めているようでもある。カズマサが知る限りではそんな姿は一度も見たことがなかった。
「知ってるんでしょ?」
カズマサが追撃する。少し答えに詰まった後、父親が口を開いた。
「いや、もちろん知っている。そうか、坂口か。知っているよ、うん。ただテープの存在は忘れていた」
「教えて欲しい。何故テープが僕の机の中にあるのか、そして父さんと坂口さんの関係を」
返事はなかったが、三度母親を見つめ、小さく頷くと、静かに語り始めた。
あいつと私との間に嘘は必要なかった。
あいつと出会ったのは私が大学3年の時、あいつは一つ下の2年生だった。暑い夏の日だった。私は大学のベンチで溶け続けるアイスを必死で食べていた。
「すみません、学生課ってどっちですか?」
突然声がした。
「急ぎなんです、学生課を教えてください」
卒論の駆け込みでもあるまいし、真夏に学生課に急用があるなんて俄に信じられなかったが、あいつは相当に急いでいた。学生課の場所を教えると、感謝を述べて、すぐさま走り去っていった。そして5分もしないうちに息を切らしたまま戻ってきた。
「さっきはありがとうございました!おかげで助かりました」
「だいぶ焦ってたけど、間に合ったのかい?」
「はい、おかげさまで」
「なんでこんな時期に学生課に?」
「申請書類が今日までだったんですよ」
「そうか、よかったな」
「本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる。
「やめてくれよ、そんな大げさな。間に合ってよかったな」
特にになんでもないやりとりだったし、それで終わりだと思ったんだが、あいつは立ち去ろうとせず、私に何か言いたそうにしていた。
「いや、あの・・・」
「どうした?」
「Tシャツ・・・」
Tシャツ?言われてから自分のTシャツに目を落とす。何の変哲もない古びたTシャツだ。
「それ、MC5ですよね」
「え、あ、そうだね」
「好きなんですか?」
「うん、まあね。君も?」
「はい」
「あのさ、君何年なの?」
「2年です」
「え?2年で学生課を知らないってどういうこと?」
「いや、行ったことなかったんで」
「ホントに言ってんの?編入とかじゃなくて?」
「はい」
「え、履修表とかレポートの提出とかあるでしょうよ」
「なんか友人がやってくれるんですよ」
あまりの真っ直ぐな答えに、呆れるのを通り越して、清々しさを感じてしまった。
「そうなんだ、友人に恵まれてるんだねぇ」
「はい」
「あの、他にどんなの聞くんですか?」
「そうだなぁ、ストゥージズとか、ラモーンズとかは聴くね」
あいつの瞳が輝く。
「まじっすかぁ。イギリス系は聴かないんですか?」
「そんなこともないよ。クラッシュとかは良く聴くよ」
「おぉ。パンク系が好きなんですね。自分も良く聴くっす」
それから音楽談義に花を咲かせたよ。そんな具合にあいつとは出会った。そしてそれ以降、そんなに頻繁にってわけじゃなかったが、学内で出会う度に音楽の話で盛り上がった。でも、おかしなことにお互いの名前も知らないままだった。会えば話をする、でもお互い何者か知らない。そんな不思議な関係が半年くらい続いたかな。けれど、ある日その関係に変化が訪れた。あいつが自分のライヴに俺を呼んだんだ。何かの気まぐれだったのかも知れないけど、特に用事もなかったし、軽い気持ちでオーケーし、行ってみることにした。あいつもすごく喜んでいた。
あいつはギターを弾いていた。楽しそうだったよ。だけど、時折、ほんの一瞬のことなんだが、どこか別の世界を見ているような、不思議な眼差しをするんだ。それがなんだか気になった。そこにいながらにして、そこにはいないんじゃないかって感じで。そしてそれに気づいたのはどうやら俺だけだった。そりゃそうだ、素人のライヴで一ギタリストをじっと見ているなんて、よっぽどのテクニシャンだったり、男前だったり、そいつの彼女でもなけりゃ、ありえないからね。サウンドや曲は正直言って覚えていない。平凡だったんだろう。理由もあとでわかるんだけれど。
ただ、あいつの目、それだけが印象に残っている。(続く)
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