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世界の幸せ、わたし次第。


わたしは小さい頃から幼稚園が大嫌いで
毎日大泣きしながらお父さんかお母さんの
どちらかに連れられて登園していた。


昔から世界が怖かった。
生きることそのものが
恐怖だった。


でもそれがなぜなのか
当時は分からなかった。


ただただ人が怖いときがあった。
(なんなら、今もたまにある。)

(急に大好きな人から嫌われていないか
不安になることも。)


今ならその理由がなんとなく分かる。


わたしは人と違うことを
極度に恐れていた。


特に小学生や中学生くらいまでは
絶対にみんなと同じじゃなきゃ嫌だ!!!

と頑なにみんなと同じでありたいという
願望があった。


ランドセルの色も
髪型も持ち物も
極力みんなが持ってるものと
同じものを持ちたい思っていた。


それってなんでだろう?
と考えたとき、
出てきた一つの答え。


それが、

自分はみんなと違うから。



だった。


みんなと同じことが出来ない。
みんなが出来ることが出来ない。
みんなと同じじゃないと置いていかれる。
一人ぼっちになってしまう。怖い。


それがわたしの生きることへの恐怖と
世界に対する恐怖の正体だった。


でもね、


今ならハッキリと言える。


人と違うことは素晴らしいことだ。
それは素晴らしい個性だ。


って。


でも当時の幼いわたしには
その考えに行き着くことは
到底、不可能だった。


そう思えるようになったのは
大学2年生を休学して
フィリピンに留学した
𝟷𝟿歳のとき。


フィリピン留学とカナダに
ワーキングホリデーに行ったことが
わたしの人生を大きく変えた。


この話の続きは
長くなるから、また今度。


そして、家族のこと。


お母さんは𝟸𝟸歳で
お父さんと結婚して
𝟸𝟺歳でわたしを産んだ。


昔からお母さんは綺麗で
自慢のお母さんだった。
だからわたしもお母さんみたいに
𝟸𝟸歳くらいで結婚して
若くて綺麗なママに早くなりたいと思っていた。


それが今ではもう27歳。
今月で28歳か。


お母さんと一緒に歩いていると
よく友達か姉妹に間違えられることがあった。
それもわたしにとっては誇らしいことで
お母さんにとっても嬉しいことだったと思う。


お父さんとお母さんは
なんだかんだ仲良しで


周りの人たちからは


「ゆいちゃんのお父さんとお母さんは
いつも一緒で仲が良いね〜」


と言われることも
わたしにとって自慢の一つだった。


でもそんな仲良しだと思っていた両親が
一昨年、離婚をした。
理由も自分にとってはショックなものだった。


まさか自分の両親が離婚するなんて
思ってもみなかった。


両親が離婚するまで
心のどこかで離婚するのは
悪いことだと思っていたし
親が離婚した子は可哀想だと
思っていた自分に気づいた。


でも”親が離婚した子”になって初めて
その痛みや悲しみを知った。


その立場にならないと
分からないものなんだなと
改めて思った出来事だった。


わたしには二つ下の弟がいて
弟は小学校高学年くらいから
不登校になった。


わたしより頭も良くて
優しくて友達も多くて
人から嫌われるような子じゃないのに
どうしてそうなっちゃったんだろう?


家族も、わたしも
弟をなんとかしてあげたかった。


小学校𝟻年生のとき
担任だった先生に
ゆいが〇〇〇(弟の名前)を
なんとかしてあげなさい。


そう言われて困ったことがあった。


おばあちゃんにも
学校に行くのを嫌がる弟を
無理やり連れて行くように
引き渡されたことが一度だけあった。


大泣きしながらわたしの手に噛みつく弟を
泣くのを必死に我慢しながら
学校まで連れて行ったことがあった。
今思い出しても涙が出そうになる。


両親からはお姉ちゃんなんだから
我慢しなさいとかしっかりしなさいなんて
言われたことは一度もなかったけど


それ以外の人たちからの言葉で
弟はわたしがなんとかしてあげないと
いけないという義務感を持ち続けて
生きてきたことに気がついた。


別に不登校が悪いことだなんて
今では一ミリも思わないけれど
当時は、まだ不登校の子が少なくて
他の子や保護者の人からの目が痛かった。


弟のことに触れられるのが
怖くて、弟のことを隠したいと
思っていた時期もあった。


私の弟なんだから
イケメンでカッコよくて
ジャニーズにでもなれるくらいで
あって欲しい。


そんなことを思っていた時期もあった。


でもあるとき
弟が家族の中で誰よりも一番強いと
悟ったことがあった。


みんながやっているからといって
みんなと同じ選択をしない。


自分がやりたくないことは
絶対にやらない。


家族の中で誰よりも
自分の心にまっすぐ正直に
自分の軸で生きていたのは
弟だったんだ。


そのことに気が付いたのは
弟が引きこもりになって
10年以上も経ってからだった。


わたしにとって人生の最初は
ちょっとしんどいこと多めの
設定をして生まれてきたんだと思う。


弟が不登校になったとき

中学生のとき人間関係で悩んで
毎日お風呂で泣いてたとき

お父さんが鬱になって
会社に行けなくなったとき

お母さんが病気で倒れたとき

過食症になったとき

全身アトピーで寝たきりになったとき

大学を中退して引きこもりになったとき

両親が離婚したとき


いっぱい泣いたし
しんどいなとは思ったけど


みんな辛かった過去の一つや
二つなんて普通にあるし
それが苦労だとは思ってなかった。


苦労ってなんなんだろうね?


その辛さや悲しみを感じる度合いは
人と比べることが出来ないから
分かんないよね。


文字の羅列だけみたら
苦労してる人みたい。


でも、わたしは苦労してるだんて
決して思われたくなかった。
可哀想だなんて同情されたくなかった。


いつもスマートでかっこいい
可愛くてキラキラした
わたしでいたかったんだ。


自分の辛かった過去を
わざわざ人に話すことは
同情を買っているみたいで
ダサいと思っていた。


わたしの過去なんて誰も興味ないし
一番大事なのは、過去じゃなくて今だし
わざわざ聞かれてもいないのに
それを話す必要があるのか?


いつからか自分の過去や
これまでの経験を話すことは
無駄なことだと勝手に思い込んだ。


それが去年、沖縄で3ヶ月間
過ごしたことをきっかけに
その考えがガラリと変わった。


自分のこれまでの過去や経験
どんなことを感じて
どんな想いで生きているのか?


それを自分の言葉で語れる人は
強いと思った。


その人の過去や歴史を知ることで
共感したり、ときには感動して涙したり
まるで一つの物語を聞いているみたいだった。


そして、 


その世界でたった一つの
その人にしか語れない物語を聞くと
自然とその人のファンになって
応援したい!何か力になりたい!
という気持ちになった。


そっか…


自分が過去どういう経験をして
それに対してどんな感情を抱いて
どのように変化したかを話すことって
ものすごく価値があることなんだ。


そう思うようになった。


それに自分の経験をシェアすることで
同じような痛みや苦しみ、悲しみを
抱えている人に共感してあげられるし
寄り添ってあげることもできる。


わたしが経験してきたことは
何ひとつ無駄ではなかった。


わたしが経験したことが
きっと誰かの役に立つ。


痛みや苦しみ、悲しみを
希望に変えてあげられる。
そんな人で在れるように。


⁡そのためにまずは自分自身が
幸せにならないと何も始まらない。
自分一人を幸せに出来てないのに
他人を幸せになんて出来るわけない。



両親が離婚しようと
弟が引きこもりだろうと
自分や家族が病気であろうと…


外側がどんな状況であったとしても
必ず幸せである選択ができる。


自分が幸せを選択し続けることで
周りの人を幸せにできる。


だって私たちは繋がってるから。


わたしはあなたで、あなたはわたし。
わたしが世界で、世界がわたし。


一人じゃない。
仲間がいる。大切な人がいる。
自分を愛してくれる人たちがいる。


わたしは今が一番幸せ。



⁡ゆい



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