正しいことってなんですか 呉勝浩

作家さんにはそれぞれ哲学みたいな、芯みたいなものがあってそれをどうやって物語にするかがそれぞれの個性になっているんだなあと思うことがよくある。「結局何が言いたいの?」と思う本も、「なんかよくわからないけどすごい重要なものを読んでしまった気がする」本も、みんなそう。大体の小説はその哲学があって、だから読書は面白いんだと思っている。

呉勝浩『スワン』『ライオンブルー』を続けて読んだ。少し前にデビュー作の『道徳の時間』を読んでいて面白いな、と思ったのを覚えていたこと、直木賞候補にスワンが入っていたことがきっかけだった。

この人の哲学は「正しいことってなんですか?」だと思っている。

以下、ネタバレ含みます↓↓

『スワン』

首都圏の巨大ショッピングモール「スワン」で起きたテロ事件。死者二十一名、重軽傷者十七名を出した前代未聞の悲劇の渦中で、犯人と接しながら、高校生のいずみは事件を生き延びた。しかし、取り戻したはずの平穏な日々は、同じく事件に遭遇し、大けがをして入院中の同級生・小梢の告発によって乱される。次に誰を殺すか、いずみが犯人に指名させられたこと。そしてそのことでいずみが生きながらえたという事実が、週刊誌に暴露されたのだ。被害者から一転、非難の的となったいずみ。そんななか、彼女のもとに一通の招待状が届く。集まったのは、事件に巻き込まれ、生き残った五人の関係者。目的は事件の中の一つの「死」の真相を明らかにすること。彼らが抱える秘密とは? そして隠された真実とは。

根本に問いたいのは「誰が悪かったのか」。ショッピングモールで起きたテロ事件の被害者・遺族たちが集められ、当日の行動を詳らかにされていく。

あらすじにある通り、主人公のいずみとその同級生小梢は犯人と直接対峙している。そして小梢は迷子になった男の子を連れていた。人が死ぬ混乱の中、足手まといになるかもしれない小さな男の子を守って逃げてきた小梢の行動は称賛されるべきものなはず。しかし犯人がその場に現れたとき、その男の子は真っ先に撃たれて殺された。犯人は小梢にも銃を向ける。そして、小梢は咄嗟に死んだ男の子を盾にした

死んでいるから結果は変わらない。でも、遺族からしたらどうか。自分の息子が意味もなく二発撃ちこまれた事実をしょうがないよね、結果変わらないし、と受け止めることなんてできないだろう。じゃあ小梢はやってはいけないことをしたのか。やらなければ自分が死ぬ時に咄嗟に行動したとしてもそれはその人のせいになるのだろうか。誰かを助けたら自分が死ぬかもしれない状況で逃げ出した人は悪人なのか。特別な装備も資格も何もない警備員は立ち向かわなかったからといって会見をしないといけないほどの悪いことをしたのか。

『ライオンブルー』

関西某県の田舎町、獅子追町の交番に勤務する制服警官・長原が拳銃を持ったまま姿を消した。県警本部が捜査に乗り出すも、長原の行方は見つからない。同期の耀司は獅子追への異動を志願、真相を探ろうとする。やがて町のゴミ屋敷から出火し、家主の毛利が遺体で見つかった。事件性なしとされるが、数週間後、警ら中に発砲音を耳にした耀司はヤクザの金居の銃殺死体を目にする。さらに現場に落ちていた凶器が、長原の持ち去った拳銃だと判明し――。

舞台は田舎の腐敗した警察組織。ヤクザが幅をきかせて逆らったらその地域では生きていけない。

序盤、権力者と癒着している先輩の晃大はかなり「悪人」に見える。長原の失踪事件を探ろうとする耀司にとっては邪魔な敵。しかし話が進むにつれ「悪人」で敵だった晃大は耀司と手を組み、長原失踪を暴く手伝いをするようになる。晃大は腐った地域の権力を握って田舎のシステムを変えようとしていたのだ。大きな敵に勝つために、今は目をつぶって自分も汚れる闘い方を晃大は選んだ。

中盤で主人公である耀司は人を殺している。犯人は誰かという展開で進めていたにも関わらず、だ。お前だったんかい、と思った。信用できない語り手すぎる。主人公が人殺しになる小説ってなかなか珍しくて、しかも作中では逮捕されずに終わる。

人を殺した耀司は悪人か。そこに事情があったとしたらどうか。事実、逮捕されない耀司は悪でも善でもない状態で終わる。では晃大は悪人か。権力と繋がり小さな犯罪には目をつぶり、上に立つ日まで自分を殺して生きていくやり方は間違っているのか。

「誰が悪かったのか」「善か悪か」――正しいことってなんですか。この人のデビュー作のタイトルは『道徳の時間』。作者が一番知りたくて、根底にあるものがこれなんだと思う。

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