書評 #先生と私 #佐藤優 #関西医科大学 #六甲学院 #早稲田大学 #同志社大学 #早稲田大学

先生と私 佐藤優

「社会的同調圧力としての職業誘導」

ウイルスと内向の時代のレビューが即時通ってびっくりして、17時過ぎに喫茶店を出て、千林駅。
ラッキー990円カット。
平成17年卒の僕が、平成15年の開店の比較的当初から通っている。
ほぼ20年の時間を定期的に共にしているというのは、案外この人が一番なのかもしれない。

店を出て、もっと古くから来ている商店街の入り口のたこ焼き。
10個200円も変わらない。
大玉ではないが小さくもない。
いつも通り食べながら商店街の路地へ。
どこがどうつながっているのか、ダイエー発祥の地の裏手に出て、くるっと回ってたこ焼き屋にゴミをお願いする。
それから、同じく、ずっと通うオーエスドラッグで詰め替えシャンプー2つ。
トイレの消臭剤。
さらに、元気がないという事で、10本500円ほどのいわゆるパチモンのエナジードリンクを購入した。
大学の頃、試験直前、ほぼ徹夜で、朝にあおって試験に臨んだ。
東京に比べれば可愛いとはいえ、朝の関西のラッシュで消耗したくない。

それで思い出したが、何人かの同級生に助けられてなんとか卒業できたという記憶は残る。
みんな、本当に医学を学びたくて医学部に来た奴なんかいない。
家業だから、成績良かったから、党の方針で・・・。
本当に心から学びたい、などというのはあり得ない。
医者のステータスが欲しかったといっても、それはなかなかに難しいことだ。
それが原因で、多くの後輩に舐められたり、軽蔑されることにもなったが、医学生の深層心理としてのそういう部分や一過性の困難に対して理解は良い方だと思う。
救急医療なんか地域や部署によってはほぼ戦場だが、赤紙が来て万歳と言えと言われても難しい。

逆に言えば、救急ごっここそが一番コスパが良くて、それゆえに、社会と利権のもつれで医者の世界はカオスだと言える。
これは、本文にも繋がっていて、学校と言う特殊な社会と、大きな社会の中の会社や業界のねじれた社会の現実の中で、大人も子供も苦悩する。
もちろん、先ほどの文章の、まだ見ぬ我が嫁、とかはただのブラックジョークである。
この、カトリックとその仲間のキリスト教とさらに仲間の創価学会その他の宗教団体との経緯の中で、いわゆる幸せとかはあまり頭に浮かばない。
何をもって幸せと言うかはわからないが、
たぶん、作中のわき役と言うか、むしろ、豊島君と一緒で、僕は結構早くから人生に諦めがあった。
諦めがあった割にはファンキーですねと言われそうだが、諦めていて、ファンキーなことぐらいやっておこうかという人生だった。
もう過去形。
そんなこんなで、19時ごろに家に戻りシャワーを浴びて残り100ページを読むと21時。
醸し人九平治。
歴女医まり、を名乗る人にすすめられた銘酒。
この、LaMaisonという物騒なやつを駅で買って飲みながらレビューを始めている。

塩狩峠の所の印象が強い。
出会いはかなり作為的なのが統制国家である。
ロシアや東欧への非難や解説を通して、資本主義に偽装した日本の理解と自分の人生の改装をするのが、この本の一つの味わい方だと思う。
たぶん、中学に入ったところで、芦屋の駅前のモンテメールの本屋の入り口に、めぞん一刻の愛蔵版が並んでいたのは偶然ではなかったし、小学校5年生の休日、同級生との遊びに行くときに道すがら子猫を見つけたのは偶然ではない。
職業誘導その他の出会い誘導。
一方で、親と自分の資質と運には佐藤優ほど恵まれなかったようだ。

P15
機銃掃射を受けた父の幸運。

P17
敗残日本兵に声をかける蒋介石。
ちょっとした疑問。

P22
沖縄への旅。
ドルのレート。
怪我からの肝炎。
それから、ロシア編でも佐藤優は肝炎にかかるが、なんらかの因果関係はあるだろうか?

P30
医者とか技師になりたいという話。
小学5年生の時に伯母がお腹の病気で死んだことを思い出した。
佐藤優の正直な回想ではないが、やりたくもないのに生かされていたアルトサックスに行かないでよくなってほっとしたのを思い出す。
一方で、受験の方は、メンタルヘルスのせいかますますしんどかったのを覚えている。
それと、伯母の葬式の時に移動の出発時間まで何をするか父親に叱られたのを覚えている。
子供だからゲームをしたがった。
それは、子供だからでもあるが、あれもこれも、押し付けられた時間が多かったからだろう。
これは、佐藤優の回想録とも半分重なる。
塾とかいって勉強が好きなんだと思った、と言われるシーン。
父親の俺が仕事しているんだから、子供は勉強するのが当たり前という態度。
この辺は美化されているのかもしれないが、佐藤優と僕の決定的な違いだと思う。

P38
電信の試験の時に、レストランのナポリタンを食べたいと親に言えるシーンを見て羨ましく思った。

P44
中学はいって、無線機を買ってもらって、ステーキを一緒に食べるシーン。
お小遣いの方が良かったけど、口に出さなかったと書いてある。
無線機本体は買うものの、アンテナは自作できる父が作る。
米軍のために働いた時代の父の食事の話。
自分達の早死にの可能性も含めて、あるいは、工作員にスカウトされたのかもしれない。

P52
戦争のために勉強を諦めた父がつまらなくても金の良い仕事をする話。
六甲学院の国語の時間でもそういうのがあったが、あるいは、チェックがついていたのかもしれない。

P59-63
浅間山荘事件。
のちに、拘置所でとなり合わせ。
たぶん、友情について、の話にも繋がるが、お母さんとの即席めんに慣らされて、生めんを買ってくる父親の味を好きになれない子供。
そして、メロンのような高級デザートよりも電気機器に興味を示す息子。
お金と技術でしか他人に好かれないことに悩みながら、一番最初にテレビをもった佐藤優の家。
そして、塾に行くならここなら出してあげると、お母さんが口に出すシーン。
社会党幹部の親族ならではのエリート教育のカネとコネがあったのだろうか?

第三章。
山田義塾。
その後、宗教の分離と対立と和解のようになっていく、佐藤優の塾ライフ。
その中でも、今と違いまあまあ強かった社会党ならではか、表に裏に実力のある行使との出会いが設定され、佐藤優はあざとく懐に飛び込んでいく。

講師力は合格力、というのが僕の時代の某予備校のキャッチコピーだったが、この辺は難しい。
六甲学院もピンキリだったが、科目自体の特性もある。
親が行けと言って行くと安心するので、少し無駄な科目も取った気がする。
化学は学校のH先生も凄く良かったが、予備校のM先生も良かった。

世界史はポーランドマニアの先生の授業に親が無理やり振り替えさせたもののしんどかった。
予備校のA先生は本当に上手だった。
受験の上では役に立たなかったが、多分、記憶の片隅にはあるのだろう。

物理は苦手ではなかったものの、高校の担当のA先生は学者肌でわかりづらく、また、生物に無理やり替えられた。
T先生はまあまあ楽しい先生だったが、N先生と言う予備校の先生の一言は今でも思い。
難しいことを簡単に説明できるのが本当に賢いという事ですよ。
英語も怪しかったが、自分の得意な科目の得意な部分で勝負するなら、そんなの関係ないというプライドも見せられた。
そして、田舎の国公立よりも都会の私立大学の方がいい、という言葉が何の暗示か、都会の田舎の関西医大への進学を予言していた。

男子校だったのでアレだが、たぶん、もうすこし普通の家と生活だったら、ここの同じコースの女の子と結婚してた可能性もあったなと思う。
のちに、大阪モノレールか阪急電車で、数学の授業で一緒だった女の子の開業広告を見かけた。
阪大か京大の医学部だったと思う。
僕は真面目な奴と一緒だと不真面目で、不真面目な奴と一緒だと真面目になる傾向がある。

第四章。
塾の中での問題。
まだ未熟な大人である先生たちの本音と建前に付き合っていく佐藤優。
これだけの対応ができたら、好き嫌いは別にして、こいつをどんな形でも合格させようと皆が動くと思う。
そうか、の文言が目につく本書であるが、この時点で創価学会に目をつけられていた可能性がある。

P120
キリシタンの木村さん。
P133
絶対に共産党だけはだめだというお父さん。
イスラエル出張問題も含めて、この予言は的中する。

第五章
塾の移籍。
あっさりモノで釣られる。
一方で、そのおかげで、課外授業で得をしていたと思う。
この辺は、サッカーの移籍にも似ている。
灘高出身の東大の先生に付き合うシーンも秀逸。

第六章
数学の先生の諸々に関わる。
勉強のための勉強というものは社会に指定席はない。
この問題との難しさ。
これを、本人よりもお父さんが強く関わることで、味わいを出している。
体力や数理能力は優れていてもまだ子供。
各種エリートの問題がそこにある。
他の科目の学びや労働を捨てて勉強に特化することの意味。
それは、のちの章での早稲田大学や他の高校生との対比でもよくわかる。
受験や専門の能力だけでなく、それ以外の能力。
安易に人間力と言う言葉に逃げるダメな人間ではなく、表現しがたい何かがそこにある。

第七章
革命という言葉をはき違えて悪用する人たちがいることを描いている。
だから、創価学会に親和性があると分かる。
P200
イデオロギーとは特定のものの考え方、とあるが、および、それやそれを建前とした集団の論拠とした方が正しいだろう。
革命もマルクス主義も、翻訳が怪しいことで、理解できない人や暴走する人を増やしたと思う。
それが日本の国策かもしれない。
ただの、暴走の理屈なら、皆、良いから冷めたら、カネと社会の奴隷になるだろう。

第八章
ロシアへの進路。
沈黙の岸田先生。
しかし、外務省はずっと動向を追っていて、ロシアスクールに送り込むことにしたのだろう。

第九章
過酷な競争の中で、攻撃性が強くなった同級生。
そして、非行からの自殺。
その通りではないが、六甲学院でもあったし、僕も多少はあったと思う。
その罪を告白する同級生女子。
そして、神父さんは授業料の安い学校を始めたら、一服盛られたのか、病気になって翌年死ぬ。
ウソで金とっているぼったくりのヤクザからすれば、彼らの感覚では当たり前であるし、そうでなくても、商売敵からすれば、相場から外れたものは迷惑。
今後、日本でも、格差社会へのこのような抵抗の中で、ヤクザの被害者は増えることだろう。

それから、成績の悪い番町の世話。
僕も、そんなに悪はいなかったが、ノートを貸すとか多少は面倒を見た。
彼が国公立に一浪で合格した時、僕が教えた資料がセンター試験でキーだったのはお笑いだった。
僕は教えるより資料選びのセンスがあるらしい。

第十章
浦和高校の試験を終えて、ちょっとやっかみもありつつ、後日談。
番町の感謝のしるし。
そして、井上陽水。
彼の最初の猫がローリーなら、うちの家の犬もローリーだった。
ただし、タダでさえ要求の多い家で、これ以上要求を増やされても困るので、余り関わらなかった。
犬や猫が嫌いなのではなく、これ以上重しを増やされたら壊れるからしょうがないという感じだった。
そして、僕が戸籍上の父と母が嫌いなのは、子供とペットの扱いの違いが判らないという事が理由だったのかもしれない。

井上陽水は高校2年の時に、同級生のI君にすすめられた彼氏彼女の事情と言う、曲解すればメンヘラの発生の理由を描く漫画のアニメ主題歌で出会った。
夢の中へ。
アレは警察に証拠もないのに無理やりガサ入れされて、さらに証拠を作られた時の自嘲の歌だそうだ。
のちに、有名弁護士と市町村と知り合いに潰しをかけられる僕としては何かを暗示したものだったのかもしれない。
犬の名前と言い、井上陽水の出会いと言い、捨て猫と言い、たぶん、普通の子供と違っていた何かで、国家監視にかかっていたのだろう。

あるいは、小学校低学年、転校のストレスが溜まって夜中に吐いたのも、何かの隠し投薬とかあったのかもしれない。
それくらい、邪悪な気のこもった家であったことは、兄が人生壊れて死んだことでも証明されている。

第十一章
出会いが偶然なわけないという三浦綾子の塩狩峠。
じゃあ、自分が犠牲になって死ぬか、皆を見捨てるかなんて状況も、誰かが作った?

それから、ドイツ人に出会う。
ろう学校の生徒に出会う。
それまでの対応を多分見られていた。

余談だが、僕は、身体障碍者に最低限優しいが、そんなに優しくない。
優しさと、効率や合理性がバッティングした時、僕は、効率や合理性を選ぶ。
一方で、僕自身も激しいので、そういう人たちにぶつからないように距離をとる。
最近であったFリーガーの友達の振り込め詐欺のおっさんみたいに、もともと無茶苦茶やっていて、障碍者になったので被害者面するという人間は反吐が出るほど嫌い。
そんな奴の共犯の親友を教師に雇う学校は、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。
それはともかく、当時の輸送インフラの限界か、ユースホステルの食事が豪華だ。

第十二章
稚内。
やけどのエピソードと、早稲田について聞く話。
その前の、東大を諦めて、北海道大学にいく話も併せて、当時の受験事情の一端が面白い。
そして、その中で、受験に精を出さない佐藤優ができたのだと思えば面白い。

第十三章
帯広。
先に十五の夏を読み終えていると、転校のせいなのか、国家統制による移動の自由の禁止によるものなのか、考えさせられる。
そして、大学生さんたちとジンギスカンを食べることになる。

第十四章。
たまたま偶然(笑)、中学の同級生と一緒になり、札幌で一緒の宿泊を提案されるも断る佐藤優。
それから、帰りは、集団就職の若者と一緒になる。
東京でも、そういう人の話を聞いたことがある。
豊かな家でも、貧しい家でも、悲劇はあって、主人公が自分である以上苦悩の問題は変わらない。

最終章
再び早稲田の学生と一緒になる。
公安だろうか?(笑)
というか、早稲田の大学生にカヴァーしている?
そして、授業の代わりにバイトして、テストをこなして、旅に出る若者を非難する父。
一方で、その父が好きな、貯めた金で学問に打ち込む数学の先生も実社会でうまく入っていない。

検察との対峙での名言、双六のあがりは全部地獄、ではないが、世の中、そんなに甘くない。
・・・
ということで、読み返すと、P29でお医者さんになりたかったけど、のくだりをみつける。
どんな仕事も、闇だらけ、悩みだらけ。
悩みから目をそらしている時、自分から目をそらしている時だけ、幸せになれる。

どこかのページに、こんな宿に親を招待したいと思った、と言う記載があったが、僕はそうは思わなかった。
二度と関わりたくない。
大学のトラブルで相談に行ったら殺されかけた。
やっぱり、アカ=共産党はダメだという本書の記載がよくわかる。
そんなお前だからダメなんだと言われそうだが、鶏が先か卵が先かの話で、そういう家とかそういう町に未来はないのだと思う。
あとは歴史が証明する。
お金はお金であって、人を活かす行為やサービスそのものではない。

人は生まれながらに天国に行くか地獄に行くか決まっているらしい。
それならば、諦めて、好きなようにすればいいと思う。
もちろん、その年代ならではの美意識と誇りを持って。
嘘ついてカネもらって殺すにも節度ってあるもんなあ。
ま。金欲しいけど。
2023年1月29日23時26分

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