古本、鉄器、賢くない人たち
京都へ
お盆の連休を利用して、京都の友人のところへ遊びに行きました。
お金が無いので、残り2回分の青春18切符を同居人から5000円で買い叩き、行き・帰りの運賃を工面。
仕事が終ったその日に発ったため出発時刻は夕方五時をまわり、そのせいか電車も思っていたより混んでいませんでした。
ただ、琵琶湖線とかいういかにも琵琶湖が見えそうな名前の電車にも乗ったのですが、それに乗る頃にはすっかり日も落ちてしまって、残念ながら車窓からは暗闇しか見えませんでした。
およそ5時間くらい揺られて友人の家に辿り着きました。友人の家は前にも一度来たことがあります。京都の入り組んだ住宅街のずうっと奥にあって、長屋をリノベーションしたような佇まいでした。高い天井には木の梁が渡されていて、庭には笹らしき観葉植物まで生えています。僕は物がゴチャゴチャ溢れた汚ったない家に育ってきましたので、友人宅の埃ひとつない空間が人間の住んでいる場所とは思えず、笑ってしまいました。
「なにこの家、すっごくキショい!」とか言って。こんな失礼なやつとよく付き合ってくれていると思います。
数ヶ月ぶりに訪れた彼の家は相変わらず几帳面に整頓されていて、というかそもそも物があまり無く、生活感が無いほどに綺麗でした。屋内に新しくツツジが生けてあって、テレビ横1m四方程度の空間をそいつが占領していました。そんな領地を与えられるほどの働きをその木の枝がなしているのかは甚だ疑問でしたが、友人曰く重要な役目を果たしているらしいです。変なの。
その日は遅い時間にお邪魔したにも関わらず、友人の彼女が夕飯までつくってくれました。
事前に何が食べたいかを聞かれていたので、手間がかからず、かつこちらが気を遣いすぎていると相手に感じさせない献立として、チャーハンをリクエストさせてもらいました。それが適切だったかどうかはよくわかりませんが。
結果、チャーハン以外にも餃子やスープ、四角い平皿に店でしか見ない置き方をされたナムルなどが出てきて、ちょっと高めの中華料理店みたいな光景が目の前に広がってしまいました。ありがたいやら申し訳ないやらでひどく恐縮しながら頂きました。とても美味しかった。友人は、そわそわする僕を面白そうにからかっていました。
下鴨クソ暑古本祭り
翌日。僕が京都に来た目的の1つとして、下鴨神社で開催される下鴨納涼古本祭りというのがありました。ご存知の方もいるかもしれませんが、下鴨神社では毎年お盆に古本屋が出店のように立ち並んで、大規模な古本市が開かれるのです。基本人混みを嫌う僕がわざわざお盆の時期を選んで京都に足を運んだのもそのためで、一度その古本祭りにどうしても行ってみたかったのでした。
結果として下鴨納涼古本祭りとは、クソみたいに暑い中、汗まみれの人々がひしめき合って砂を被った古本を物色するという、およそ正気とは思えない気違いの催しであることが判明しました。
古本市の通りはちょうど木陰となっていて直接の日差しは遮られていたのですが、んなもん関係ないぜといった調子で会場は蒸して蒸して蒸しまくっていました。
朦朧としながらも五冊ほど面白そうな本は買えましたが、友人も僕も疲れ果てて、「これはもう、二度と行かぬ」という感想で一致したのでした。少なくとも、体力の無い人間が古本目当てで行くものではない。
結局、「祭りとは所詮祭りに過ぎないのだ」ということを強く実感した日となりました。しかし我々がへばって避難した喫茶店では、客がこぞって本を読み耽っていました。おそらく古本祭りに寄った後なのだと思われますが、あんな灼熱地獄の後によくもまあそんな涼しい顔して読書ができるものだと感心。畏怖すら覚えます。
言わずと知れたあのコミケも夏は過酷だと聞きますし、日陰の文化というのは突き詰めていけば最終的に体力がものを言う世界なのかもしれません。我々は、疲れて少し寝ました。
本物のパスタ
古本祭りへ向かう少し前のことですが、友人がアルバイトをしている小さなパスタ専門店でお昼をとりました。
僕はパスタに高い金を払ったことがなく、そもそも、イタリアンには行けどパスタ専門店というものには行ったことがありませんでした。また、今ではよく同居人が家でパスタを振舞ってくれるため、わざわざ外でパスタなんぞ食べんわというところもありました。
お店にはたくさん人が入っていました。我々は端っこの方に座って、僕は友人が勧めてくれた明太カルボナーラを頼むことに。黒いデカい皿にお洒落な盛りつけで出てきたそれは、
俺が今まで食ってきたパスタは、ぜんぶ嘘だったのか——?
そのくらい美味しかったです。僕の好みだったというのもありましょうが、久しぶりに食べ物の味に衝撃を受けました。明太だけでなく煮干しの風味もあって、それがどことなくラーメンに近い風味も醸しており、まあとにかく美味しいのです。
パスタといえばサイゼリヤかトップバリュの激安麺という情けない人間に褒められたところでお店にとっては何の益にもならないかもしれませんが、掛け値なしに今まで食べてきた中でいちばん美味しいパスタでした。次に京都を訪れた際にも、また伺いたいと思っています。
錆びた南部鉄器、神戸の車窓から
翌日の夜、別の友人宅を訪ねに兵庫県へと向かいました。明石のあたりに住んでいるそうで京都からは少し距離があり、二時間半ほども電車に乗るとお金がぜんぜん無くなってしまいました。青春18切符の残り一回分は帰りの分なのでまだ使えません。
駅で合流した友人に金が無いことを伝え、吉野家へ行って神戸のねぎ玉牛丼を食べました。地元と同じ味がします。でも、300kmも離れた地で、まったく同じ味が提供されるというのもすごい話です。チェーン店のシステマティックな執念を感じます。友人は「牛カルビ丼なら頼んでやってもいいかな」とか渋りながら入店したのち、スタミナ特盛丼をバクバク食べていました。
神戸の友人も変なやつで、なぜかわざわざ南部鉄器で湯を沸かしていました。僕は牛丼でじゅうぶん満足できなかったので友人宅でカップ麺を食べることにしたのですが、薬缶かポットは無いか聞いたところ、小さな茶釜みたいなものを渡されてこれを使えと言われました。ネットで買ったものらしく、「育ててるんだよ」と。中華鍋などと同じように、南部鉄器も使う毎に育ってゆくらしいです。
言われた通り火にかけてみると、だんだん水面に赤錆びのようなものが浮いてきました。まずいかなと思って聞いてみると、友人曰くそれは鉄器の鉄分が出ているだけだから大丈夫とのこと。本当かよ。あとから調べてみましたが、鉄器が錆びた場合の対処法は数多く見つかれど、「水面の錆=鉄分なので問題ない」という情報は発見できませんでした。彼はたぶん騙されているか何か勘違いをしているのだと思います。
元の予定では、神戸の友人宅に泊まってそのまま帰るつもりでした。ですが、どうも帰宅予定日の夜に京都で五山の送り火なる催しがあるというのを小耳に挟みました。五つの山で、大の字とか鳥居(⛩)の形に火が灯されるアレです。そこまで興味は無かったのですが、せっかく目と鼻の先にあるんだったら一度くらい見ておくかと思い、帰宅を一日延ばすことにしました。
宿ですが、京都の友人宅に再度泊めてもらうことにしました。彼女は送り火の日から何日か家を空けるそうで、友人の「寂しいから明日も泊っていってよ」という別れ際の社交辞令を図々しくも利用した形になります。お礼にクッキーの手土産を買いました。
そんなわけで神戸はろくに観光せず京都にとんぼ返りすることとなりました。神戸の友人も五山の送り火を見たいということで、ひっ連れて一緒に行きました。神戸と京都の友人も互いに交友があったので、二人とも京都友人宅に泊めてもらう運びとなりました。わーい。本当にありがとう。
神戸から京都への電車からは海と明石海峡大橋が見えました。生憎の曇りでそこまで綺麗には見えませんでしたが、神戸に来たことを実感する唯一のイベントです。その景色もすぐに過ぎ去ってしまいましたが、わざわざ遠くに来て観光らしい観光をしないというのも、それはそれで贅沢なお金と時間の使い方なのだと思うと、悪い気はしません。
しかし実際のところ、僕は慣れない旅の気疲れでぐったりしてそんな余裕のある気分ではありませんでした。風情とか感傷とかは、その時その場所よりもむしろそれが過ぎ去ったのち、思い出の光景に宿るものなのかもしれません。友人は昨日ジムに行ったせいで筋肉痛に苦しんでいました。
小さな送り火、インモラルの劫火
出町柳で合流し、鴨川沿いで送り火を眺めることにしました。京都の友人は「ただの火やろがい」と言って見るのを渋っていましたが、一度実際に見ておいた方が悪口にも箔がつくだろうと唆して無理やり同行させました。
川沿いは予想よりも遥かに多くの人で溢れかえっていて、警官が忙しなく注意と誘導に奮闘していました。こういう行事に身を投じて改めて思うのが、言うことを聞かない人の多いこと多いこと。
ゴミ共にぐいぐい押しやられながら、なんとか我々は土手の隅っこに陣取りました。良い場所とは言えませんが、木々の隙間からちょうど送り火が見えます。火が灯されるのを大人しく待っていると、観覧客がぎゅうぎゅうになって座っている土手の中で、前の方にいたひとりのお爺さんが立ち上がっていました。送り火をよく見たかったのかもしれません。しかし当然飛び交う罵声。
「邪魔だよ!」
「立たないでください!」
こわい。ドスのきいた男性の声。神経質そうな女性の声。遠くの山が文字の形に燃えているのを見たいがためにこんなにも人々は怒り狂っている。そんなに見たいのでしょうか。ただの火やろがい。
少ししてお爺さんは警官に注意され、ついでにざわざわしていた我々観衆も「うるさい!」と一喝されてしまいました。叱られた子供のように大人しくなる人々。やはり国家権力にはこれくらい厳しくしてもらう方がよいのかもしれません。
やがてようやく山に火が灯りました。土手から見た送り火は確かに中々見られない光景でしたが、やはり想像の域を出ず、「送り火を見た」という実績解除のみが達せられたのでした。大の字に燃えるというよりは、ぽつぽつと灯された点を繋げて線とし、大の字をつくっている様子でした。こんな遠くからも見えるのでさぞすごい炎なのでしょうが、やはり僕にはよっぽど、今の僕らがいる人群れの方が色々な意味で燃え上がっているように感ぜられました。
人々の不道徳が際限なくごうごうと燃えさかって、五山の送り火は、その着火剤としての小さな火に過ぎなかったのでしょう。なんて。
そんなこんなで、「これももう二度と行かないね」と、帰りの車内でぐったりしながら苦笑し合ったのでした。とても疲れましたが、思惑通り、悪口に箔をつけることが出来たので良しとします。
おわり
今回の旅行のハイライトをざっと並べるとこんなところです。実に四泊五日。僕には珍しい長旅となりました。まず何よりも泊めてくれた友人たちに感謝の気持でいっぱいです。
帰りの電車は送り火の後日ということもあってかひどく混雑していました。景色を楽しむほどの余力は残っておらず、ぼうっと寝たり音楽を聞いていたりしたら最寄りに着いてしまいました。
旅情などあまりあったもんでは無かったですが、計7回も喫茶店に入ったり、夕暮れの鴨川沿いに寝そべって数時間駄弁ったり、友人がもんじゃ焼きに失敗したのをゲラゲラ笑うなど、なんだか数ヶ月分の心のもたつきを一息に取り戻すようなめくるめく数日だったなと感じます。そう思えばこそ今回の旅は非常に楽しいものでした。
またその空気が必要になるときが来たら、ふらっと訪ねてみようと思います。
今度は涼しい時期にでも。
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