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父を亡くした時「ドンマイ」と言った男子に惚れかけた話。


わたしは、高校生になったばかりの頃に父を亡くしました。

周囲からいろんな反応がありましたが、その時に1番嬉しかった言葉。

それが「ドンマイ、ドンマイ」でした。

なぜか?

それは、わたしが当時、父を亡くしたというだけでなく、
統合失調症で精神病棟に入退院を繰り返す母、
重度の知的障害でコミュニケーションがままならず、障害者施設に入所している妹、
頼れる親戚は誰もいない。

そんな中で「わたしが家族を支えなければ」という、すごく大きなプレッシャーを感じていたからだと思います。

当時、他人にかけられる言葉(特に大人)は、判を押したように

「がんばってね」
「がんばらないでね」
「大丈夫?」
「大丈夫だからね!」

の4つでした。

それに、もう、うんざりしていたんです。

「がんばってね」
という声かけは、
「すでにできる限りがんばってますが、これ以上何をがんばれと?」
って思いましたし、

「がんばらないでね」
という声かけは、
「今、気張らなかったら、たぶん動けなくなるけど、わたしが動けなくなった時にあなたは責任を持ってくれるんですか?」
って思いました。

「大丈夫?」
って聞かれても、
「大丈夫じゃない」なんて答えられないから、「大丈夫です」と答えるしかない。
「大丈夫なわけないだろ、アホなの?」
聞かなくてもわかるだろ、って思いました。

「大丈夫だからね!」
という声かけに至っては
「何を根拠にそう言ってる?あなたが私の家族の面倒をみて世話でもしてくれるのか?」って思いました。

こう言った考え方がかなり歪んだ見方なのは当時の自分でも理解していました。それらの言葉に悪気がないことも。

だから、誰にも言いませんでした。というより、愚痴れる相手がいませんでした。

でも、それらの言葉から、わたし自身への興味のなさや、わたしの求めているモノとのズレを感じました。傷ついた気持ちにすらなりました。

でもそんな中で、精神疾患の母、知的障害の妹を抱え、頼れる人がいないプレッシャーに、
無責任に「大丈夫」だと言うでもなく、「無理を促す」でもなく、

「ドンマイ、ドンマイ」という声かけは、

ちょうど良い距離感で、
それでいて、一緒にこの苦境を笑い飛ばそうとしてくれるような優しさを(わたしが勝手に)感じたんです。

ちなみにその時、そう声かけしてくれた男子はそれまで、全くタイプではなかったのですが、ちょっと惚れそうになりました笑

その人のかけて欲しい言葉をかけられる人、はきっとモテるでしょうし、いろんな人との対人関係がうまくいくのでしょうね。

何年も何年も昔の懐かしい思い出でした。

でももし、今のわたしが、同じ状況にいる人に会ったら…
やっぱり、なんて声をかければ良いかわからないだろうし、ドンマイなんて絶対言えないだろうな。

誰かに声をかけたり、誰かに寄り添うって本当に難しいですね。

当時、誰にも気持ちを吐き出せなかったので、大人になった今、こうしてnoteに吐き出せています。

こう言った場を提供してくれている運営会社さんには感謝です。

それでは、また。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


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