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#だから今日もメイクする ~私が美容とMimiTVにかける想い~



29歳独身、俗に言う、「キャリアウーマン」とカテゴリわけされる私は
世の中の人たちにどう見られているのだろうか。

ブスでも美人でもない、きわめて平凡な私にとって
メイクする理由は

「世間を生き抜くために、世間から自分を守る武器」

だということが一番の理由だった。

100年、いや1000年前からキレイなもの(美男・美女)が優遇される社会のヒエラルキーは変わっていないのだろう。
今、ようやくダイバーシティを受け入れることが評価されているが、
まだまだ世の中の綺麗ゴトにすぎるのは間違いない。

今から私が綴るのは29年間の私の外見コンプレックスと不幸話です。

どうしてもこのキャンペーンが始まるタイミングで書かなきゃと思いながらようやく私の想いを、最終日の今日書きます。

どうか読んでもらえたら嬉しいです。


①外見コンプレックスの始まり ~父親に愛されなかった幼少期~


大手企業で海外担当をする優秀な父親は、子供に男の子がずっとほしかった。だけど初めて生まれた子供(私)は不幸にも女の子だった。
父親の理想の男の子象を背負わなければいけなかった私の当時のニックネームは「太郎ちゃん」。
男の子が生まれたらしたかったことを、彼は私に必死で教え続けた。
サッカー、水泳、勉強も…。運動音痴で勉強も嫌いな私は彼の期待に応えることができなかった。
できない私にイラ立つ父。殴る蹴るは当たり前。
見た目だけでも期待に応えようと、
自慢だったカールの髪も、男の子のようにばっさりショートに切られてしまった。

どうして彼の期待に応えられたなかったのは今でも分からない。

私が一番好きなのは絵を描くことと、お人形のファッションショー。
自分の妄想の世界で遊ぶのが楽しかった。

彼の理想と出来の悪い私の間では溝が生まれ、
そんな父親の期待に応えられない私は父親に愛される資格はないのだと無自覚に思い込んでいた。

生きてるのが辛かったし、自分が嫌いだった。


②外見コンプレックス~小・中学生期~

私は遺伝で目が悪い。視力はコンタクトで-11.5。特注でないと度数がない。
ソフトコンタクトなんて普及してない昔、私はずっと眼鏡をかけていた。
しかも眼鏡は度数が悪すぎて牛乳瓶の底な状態。
眼鏡をかけているだけで周りの男子には「眼鏡ザル」という裏ニックネームがつけられる。無邪気に私を「眼鏡ザル」と呼ぶやつらに私の自尊心は粉々に傷つけられる。

好きだったあの子にも…。

どうして「眼鏡」という他の人にない装飾品が外見にあるだけで言われなければいけないんだろう。
私の外見コンプレックスは深くなるばかりだった。
悪気なく笑って発言するクラスメイトは残酷で、
自分と異なるものを素直に受け入れられないように教育している社会が憎かった。


③外見コンプレックス~高校生期~

中学の終わりにコンタクトデビューを果たした。
私はようやく「眼鏡ザルの呪縛」から解消されることができたのだ。

見た目に少し自信が持てるようになった私は高校生になり親の転勤でタイにいた。
そこで転校してきた男子に一目惚れをした。
恋愛に奥手な私は、当時の親友に彼とどうやったら付き合えるかずっと相談していた。
私の親友は、かわいいだけでなく明るくバレエが上手で男性からとても人気で学校のアイドル的存在だった。
彼女のように少しでかわいくもなれるように、私は頑張ってマネをした。

そんな彼女との関係もつかの間、
高校1年生のプロム(ダンスパーティ)で事件は起きた。

なんとダンスパーティーに当時の親友と片思いの彼が腕を組んで登場したのだ。

どういうことか全く理解できなかった。

私の相談に乗る過程で彼女も彼に恋をしはじめ、私に内緒で彼に告白しており、付き合っていたのだ。

親友だと思ってた彼女に裏切られたショックと同時に、
彼女のようにかわいくなかった自分を恨んだ。もっと私が彼女みたいに可愛ければ、彼女ではなく私だったのかもしれないと。

(振り返ればそのショックで日本人が嫌いになり、日本人コミュニティとは縁を切り、
外国人コミュニティにいたので英語力が上がり、沢山の異文化経験ができたので今はいい思い出です。)


④外見コンプレックス~大学生期~

タイの高校を卒業し、日本で大学時代を過ごすことを決意した。
長年の海外生活から想像できない日本のキャンパスライフ。
私の心はわくわく踊っていた。

高校からの友達もいない大学デビュー状態の私は、
初めての授業で隣になった女子に、声をかけた。
この子が私の友達第一号だとわくわくしながら。

お昼を一緒に食べないか誘うと残酷に言われた一言。

「私は東京で読モになるために上京して、一番注目されるだろう青学に入ったの。読モにスカウトされるために私はかわいい子たちと一緒に歩かなければいけないから私よりかわいい子としか友達になりたくない。あなたは私と歩くのは難しいわ。」

その時に日本の「見た目社会ヒエラルキー」の残酷さに改めて気づかされた。

NYのゴシップガールよりひどい。

なんでこんなに自分の外見で私の自尊心は傷つけられなければいけないんだろう。

平和なタイに帰りたいと、帰国子女のクラスが始まるまで毎日泣きながら
それでも大学に通ったのは今でも思い出すと苦しい。

***

こんなにも今私は多くの自分の不幸話を書いているが、
私はこの不幸話から誰よりも生きていく上で大切なことを沢山学んだ。これだけ経験していることを逆に幸運だと思っている。

私の不幸話を通して伝えたいのは

「いかに自分の自尊心と外見の紐づきが強く、

人は見た目で人生が変わること。

そして傷ついた自尊心は自分で自分を愛することしか取り戻すことができない。」

そして自分の自尊心を取り戻す一番身近ですぐに自分が好きになれる方法がメイクや、美容なのだ。

(※ちなみにこの外見コンプレックスは今は無事成仏しています。
私がどうやってこの幼少期からの根深いコンプレックスを解消したのかその方法はまた今度書きます。)

***

残酷なぐらい「人は見た目で判断する社会」であるのは変わっていない。

だからこそ戦わなければいないのだ。

自分で自分を愛してあげなければいけないのだ。

周りに何を言われても折れない自尊心。

それは自分で手に入れるしかない。

失恋したって、

仕事で失敗したって、

毎日上手くいかなくても、

明日は来る。

だからこそ今日も自分が最高だと思える自分で、今日も社会と戦わなきゃいけないのだ。

今日、私を強くする赤い口紅を塗ってみる。

今日、私のコンプレックスを忘れさせる下地を付けてみる。

「あ、今日の私かわいいかも。」

自分で自分を「今日の自分が今までの人生で一番かわいい」と褒めてあげる。


女性も男性も関係なく「美容」という日々の小さな努力で人生は変わる。

「美容は消耗品だ」といわれるが、美容は消耗品ではない。
むしろ、食物や石油と同じぐらい、「傷ついた心を持つ人々」にとって生きていくのに必要なものなのだ。

「美容は自尊心」という価値になる。

小さなことで自尊心が傷つく毎日だからこそ、
私は今ここで初めて自分のコンプレックスをさらけだすことで、
一人で苦しんでいる誰かの支えになりたい。

そしてMimiTVを通して、悩んでいる誰かに自分を好きになれるメイクの方法やきっかけを伝えることで、少しでも明日を笑顔で過ごしてもらいたい。

29年間外見コンプレックスと戦ってきた私が今こうやって
でMimiTVで働けていることはきっと宿命なんだと思う。

だから今日もメイクする。


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